堕ちた先の世界 [ 25 ]

頭の中が、真っ白になった。
一瞬、音さえ感じられなくなった。

その刹那の後、ギルドの中が怒号と歓声でけたたましくなる。
皆が一斉に、手当たり次第に、周りにある物をナツに投げつけていく。
さっきまでテーブルに並べられていたはずのグラスやお皿が、フォークやナイフが、椅子や、誰かのブーツまでもが、宙を舞った。


「なんで今なんだ!よりにもよって、こんな…壮行会の時に!」

「こうなるのが…おっせえんだよ!二人共!」


皆、怒っているのか泣いているのかわからない擦れ声で罵倒しながら次々にナツへと襲い掛かっていく。


「ちょっと…皆どうしたの!?」

「気付くの遅すぎるよ!ルーちゃんのばかー!!」

「え、レビィちゃ…きゃああああ!?」


いつも突然始まる仲間内の喧嘩。いつもと違うのは、全員が参加していること。
そして、その喧嘩の中心にはナツとルーシィがいた。


「だーーーー!!くっそ!なんなんだ!お前らぁ!」


たまらず、ナツが反撃に炎を吐き散らす。
ルーシィも処女宮の星霊の鍵を振るった。


「バルゴ!よくわからないんだけど助けて!」

「…承知いたしました、姫。」


そう応える前に一瞬、処女宮の星霊のいつもの無表情が僅かにうれしそうに見えた。
そして、次第にエスカレートしていく喧嘩。
誰かが魔法を使い始める前に誰かが止めるのに、今回は誰も止めないからだ。
ギルドが壊れる。そんな一抹の不安を抱き、ルーシィは攻撃を避けながら辺りを見渡す。
よく見ると、壁の内側に術式の結界が張り巡らされていた。

こうなることを予測していたのか。こうなる予定だったのか。
いつものように飲んで、笑って、騒いで、喧嘩して、そしてナツを見送る予定だったのだろうか。

ルーシィは、思わず顔をしかめて、立ち止まる。
すると、背中にドンッとぶつかる衝撃を感じた。
ルーシィが後方を確認しようと振り返ると、ナツがルーシィの後ろを庇うようにルーシィの背に背を合わせていた。
目線は前を向いたままのナツの横顔が見える。
その状態のまま、ナツは声を張り上げた。


「お…おい!さすがにやりすぎだろ、ちょっと落ち着けって、みんな!」

「いつも率先してやりすぎる誰かさんに言われたくねぇ!」

「てゆうか、全力で街を壊したお前が言うな!」

「色々と面倒をかけさせられた分、きっちり返させてもらうからな!」


そう言って、本気で皆が襲ってくるのをルーシィはビリビリと肌に伝わる魔力で感じ取った。


―――これは、やばい。


ルーシィが鍵を振るうのと、背中越しに伝わるナツの魔力が一気に膨れ上がるのは同時だった。
衝撃で、空間が揺れる。術式なんて関係ない。これはさすがに、ギルドが壊れる。
応戦しながら、ルーシィは叫んだ。


「ロキ!そっちに加勢してないで私に力を貸して!再契約したでしょ!?」

「おい!今はオレがいるから別にいいだろ!」

「へ?…なっ…ナツが、ロキの代わりに私を守ってくれるの?…じゃなくて、一緒に戦って…?」

「出た!自意識過剰!」

「じゃ、どうゆう意味で言ってんのよ!?」


ルーシィの瞬時に返ってくる切り返しに、うれしそうに笑うナツ。
ナツが笑っている振動が背中越しに伝わってくる。


「てゆうか、いつも一緒に戦ってきただろ?」


一呼吸置いて、不意に返ってきたナツの声。
見上げるように後方を振り返ると、目を細めたナツの瞳と目が合った。




ナツが笑ってる。

ナツが笑った。

でも、これはナツの壮行会だ。

ナツがここにいるのも、ここでナツの笑顔を見るのも、これで、最後なんだ。

どうしてだろう。

それでも、今はうれしい。

すごくうれしい。

今、この瞬間が、永遠に続けば良いのに。

ナツがここにいる、笑っている、皆がいる、この瞬間が。

この時が、今が、終わらなければいいのに。

ずっと傍にいたい。傍にいてほしい。でも、それが無理なら。

これから先の世界を、ずっと。

私は、ナツの帰りを待つだけでいいの?










ひとしきり暴れた後。
全員が床に身を預け、荒く呼吸を繰り返していた。
皆、体は埃と傷だらけでボロボロ、ギルドの中は崩壊が免れただけでも奇跡だと思うくらいにめちゃくちゃだ。


「…よし、行くか。」


グレイが、よろけながら立ち上がる。


「いい具合になった…これなら、ナツを苦労して捕まえて連行してきたように見えるだろうな…。」


そう言って、エルザも立ち上がる。


「「ナツ、行くぞ。」」


二人が揃って、疲れて床に座り込んだままのナツに向けて、視線と言葉を投げる。
ゆっくりと、ナツは俯きながら立ち上がった。
それを見たルーシィは、慌てて立ち上がり、ナツより先にグレイとエルザの元に駆け寄った。


「行くの?評議院に。」

「ああ、俺とエルザと二人で連れて行く。ルーシィは…悪いけどここにいてくれ。」

「私は…評議院に目をつけられてるから…?」

「ナツはフェアリーテイルが拘束して連行させた。逃亡幇助の疑いのあるルーシィは責任をもってフェアリーテイルで今後監視する。そうゆうシナリオなんだ。」

「……」

「フェアリーテイルとルーシィを守るためなんだ。」

「……」


そう言われると、何も言えない。迷惑をかけた分、余計に。
でも、ナツと一緒に逃げていたのは事実だ、ナツと一緒に捕まるのなら、本望だ。
ルーシィは、後ろに近付いてきたナツを振り返った。
吊り上がったナツの目と目が合う。


―――ルーシィは、ここにいろ。


鋭く強い視線に、そう言われた気がした。
ここでナツとお別れだという事実が、ルーシィに重く圧し掛かる。


「ルーシィ、すまない。ここで余り時間つぶすと、また評議院に勘付かれた時に厄介なんだ。」

「うん、わかった。…エルザ、ナツをお願い…グレイも…あの時はごめん。」

「あ?…あれは、お互い様だろ。」


俯き加減で目を伏せて言ったルーシィに、グレイはやさしく笑ってルーシィの頭にポンッと手を置く。
だが、ジトッと睨むナツの視線に気付き、慌ててすぐに手を離した。


「…ロキ!」

「ん?なに、ナツ。」

「ルーシィのこと頼むぞ!!」

「…言われなくても。…どうゆう意味で言ってるのか知らないけどね。」


別れの言葉を。ナツは、それを筆頭に一人ずつに投げかけていく。
大半が、ギルドを出て行ったときにしたことへの謝罪や今までのお礼の言葉だった。
それを受けて、皆は涙ぐみながら様々な返答を返していく。


「リサーナが来なかったら…ここには帰らなかったかもしんねぇな。来てくれてありがとな、リサーナ。」

「…ううん。私も待ってるからね!帰ってきてね、ナツ。」

「………おー、帰ってこれたらな。」


だいぶ間があいたが、リサーナの笑顔にしぶしぶとそう応えたナツ。
ルーシィは思わず、ナツのピンク色の髪を引っ張った。イテェ!と声を上げたナツに気にせず、ルーシィは声を荒げてしまう。


「ちょ、ちょっとナツ!私には待つなって言ったくせに!?」

「…あ?ルーシィのは意味が違うだろ!?」

「何が違うのよ!?」

「はぁ?…ち、違うだろ、待ってるの意味が!お、同じなのか!?」


ルーシィの返答に焦り、不安気に問い返すナツ。リサーナが、ルーシィの肩に手を置き苦笑する。


「私は仲間として…幼馴染としてナツを待つの。ルーシィは、結婚せずにナツをずっと待ってるんでしょ?」

「え?」

「…あれ、違うの?」

「ち、ちが…わないけど…」


間を置いてから、顔を真っ赤に染めてしどろもどろに答えるルーシィに、周りにいた者達が思わず腹立たしげにナツに一撃を食らわす。


「ってぇ!なんなんださっきから!」

「ナツ!私にも、おーって返事してよ!」

「ルーシィは…幸せになるんだ!だからだめだ!」

「は?なによそれ…!?もう、待つって決めたんだから!」

「だめだっつってんだろ!」

「うるさい!決めたの!ナツが何言っても変わらない!待ってる!」

「だめだ!勝手に決めてんじゃねぇ!」


言い争う二人に、これは終わらないなと悟ったエルザがナツの首根っこを掴んでギルドの外へと引きずっていく。
引きずられていくナツを追いかけながら文句を言い続けるルーシィ。その後ろをグレイが歩いていく。


「ナツ!いい加減、うんって言いなさいよ!」

「だからだめだっつってんだろ!何回も言わせんな!」

「だめって言われても待ってるから!諦めなさいよ!」

「っな…!る、ルーシィのクソ頑固野郎!」

「うるさい!このツリ目野郎!」

「…それ。いつもの俺の売り言葉じゃね?」


グレイが二人の言い争いに思わず苦笑する。
外には魔導四輪が準備されていた。
それにナツを押し込むエルザ。
押し込まれたナツが、ルーシィにさらに言い返そうと窓から体を乗り出した。


「バカルーシィ!」

「馬鹿はそっちよ!バカナツ!」

「金髪のギャーギャーうるせーくそ女!」

「不法侵入繰り返す超自分勝手なくそ男!」

「騒がしいし、自意識過剰だし、色気ねーし!」

「…う、うるさい!」

「でも好きだぞ!」

「…!」


一瞬で言葉を無くし、真っ赤になったルーシィに、ナツは笑って、手を左右に大きく振る。
笑顔のまま、バイバイ、と。


「ルーシィ!そのままでいろよ!…フェアリーテイルで、いつものルーシィのまま!」

「ナ…ナツ!」


グレイが助手席に乗り込むと魔導四輪が動き出した。
途端にナツの顔色が悪くなる。魔導四輪を追うように、ルーシィの足が無意識に前へと進む。
それを、獅子宮の星霊に腕を捕まれ、阻まれた。
徐々に遠く、小さくなっていく魔導四輪の窓にしばらく苦しそうに腕を垂れ下げていたナツ。
もう見えなくなると思ったその時、ナツの大きく振り絞った声が響いて聞こえた。


「ルーシィー!…またなー!」


さよならではなく、また明日と、仕事帰りによく交わした言葉。
ナツの声に、ルーシィは大きく手を振って返す。


「ずっと前からも、これから先も、ナツが好き!…絶対、変わらないからー!!」


だから、忘れないでと、ルーシィは強く願い、うわーーんと声を上げて泣いた。
もう小さくなって見えなくなった魔導四輪。どこまで声が届いたかわからない。
でも、ナツならきっと聞こえたはずだ。

ルーシィが泣き出したのを引き金に。後ろで事態を静かに見守っていた皆も声を上げて泣き出した。
体の力が抜けて、ルーシィは地面に膝をつく。その時、スカートが揺れてカサリと音がした。

ルーシィは、まだ読んでいないナツから預かったハッピーの手紙の存在を思い出した。



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