▼ 05
「お兄ちゃん…」
振り返れば真っ青な顔をしたアイツ。
「どういう事なの…?会社に勤めてたんじゃなかったの…?」
何も言えなかった。
仕事ならどんだけでも嘘吐けるのに…
その真っ直ぐな瞳が不安に揺れているのを目の当たりにして、取り繕う事が出来ない。
「違うよ。陽菜ちゃん、君のお兄さんはホストなんだ」
「ミノル君、どうしてそんな事知ってるの?」
「そりゃ、俺もホストだからだよ。
この皇海さんは違う店の人だけど、俺でも知ってる位有名だよ」
「ミノル…!」
止めてくれと制止する様に思わず名前を叫ぶ。
「悪どい事して女に貢がせて、君の入院費を出してたんだ。ねぇ、陽菜ちゃん。そんなお兄さんどう思う?最低だよね。いやになったらいつでも俺のところにおいでよ」
それも空しく、事実を告げて心底楽しそうな笑い声を残してそのまま去っていく男。
そして、残された俺達は沈黙に押し潰されそうだった。
「お兄ちゃん…嘘ついてたの?私には会社で働いてるって言ってたのに…本当は…」
「陽菜…あのさ…確かにアイツの言う通りで…でも…」
これ以上逃れられないと観念した俺は、説明するために近づこうと歩み寄ろうとする。
「来ないで…!」
けれども遮られて、浴びせられたのは拒絶の言葉。
「私、お兄ちゃんが女の人騙してお金で助かりたいなんて思わない!治らなくてもいい!病院ももう出る…!」
「何言って…っておい!!」
涙を溢しながら怒鳴って俺を詰っている最中に、突然コイツは俺の目の前で崩れ落ちた。
呼吸も荒く、とても苦しそうに顔を歪めている。
俺は急いで看護師さんを呼びに走った。
「…先生、どうなんですか」
病室で眠っている妹の傍らで、主治医の先生の言葉を待つ。
アイツが廊下で倒れてすぐに看護師さんと先生が駆けつけてくれて、病室に運ばれて点滴などの処置が行われた。
今は状態も安定したようで、穏やかに眠っている。
「一時的なものだと考えられます。おそらく、何か強いストレスで心拍数が上がって負荷がかかってしまい、貧血の様な事が起きたのでしょう。意識もしばらくすれば戻ると思いますが、安静にしていないといけません」
そう告げて、主治医は病室から出ていった。
その言葉に安心する。
ひとまず、大事には至らなかった。
けれど…
「ん…」
寝息に混じって、寝返りを打ってこちらに向いた妹の口から微かな声が漏れた。
アイツが目を覚ましそうだったから、慌てて病室を後にする。
俺は一人、扉の前でしゃがみこんで大きく溜め息をついた。
退院が見えてきた矢先のこんな出来事。
このままじゃいけない。
それは解ってる。
いつまでもこんな事は続けられないと。
でも、金が必要で…
この矛盾する状況をどうしていいかわからない、そんなもどかしさを抱えたまま仕事を続けていた。
「お前が皇海ってホストか」
ある日、閉店後、帰ろうとすると店の前で声をかけられる。
振り返れば、いかにもその筋の人相の悪い男達が3人立っていた。
「…って!」
ガシャンと大きな音が響く。
ごみ捨て場になっている、奥まった暗い場所で俺は男達から暴行を受けていた。
「お前、ウチのお嬢さんをソープに堕とそうとしたらしいな…」
「舐めてんじゃねえぞ!コラァ!」
「ぐぁっ…!」
顔を殴られたかと思えば動けなくなっている俺の腹に蹴りを入れてくる。
呻き声と共に口から血が溢れる。
1度良くない事が起きると、悪い事は重なるもので。
どうやら、少し前に常連の派手な女をソープに紹介した所、どうやらどこかの組の組長の大切な一人娘だったらしい。
「オラ!こんなもんじゃすまねぇぞ!」
「落とし前どうつけるんじゃ!」
止むことのない暴力。
衝撃が重なる度に身体が動かなくなっていく。
多分、骨の一本や二本は軽く折れてるだろうな…
あぁ、これが自分の行いの報いか。
殴られる痛覚の奥で、そんな事を考えていた。
「兄ちゃん、覚悟しな」
いい加減殴られまくった後、頭らしき男が地面に這いつくばってる俺の耳許でそう笑い、直後に左の小指に冷たくて固く鋭いものがあてがわれる感覚と共に鋭い痛みが走った。
「…っ!」
余りの激痛に声にならない声が漏れる。
でも、それは俺に与えられた罰だから受けなければならない。
決して綺麗事を言うつもりもないし、他人を食い物にした俺にはそんな権利もない。
でも、他人に罵倒されても、例え汚れた金だったとしても俺はアイツを救う事ができた。
それだけで満足だ。
例え、身体の一部を失う事になっても後悔はなかった。
2016.4.12
天野屋 遥か
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