▼ all things go 前編
昔から人を驚かせるのが好きだった。
悪戯はもちろん、彼女のためにサプライズを企画したり、とにかく俺の行動で人が表情を変えたり大きく反応する様子を見るのが大好きだったんだ。
「俺は譲る気はない」
目の前で酒を煽る男ははっきりとそう言い放った。
「先輩、俺の方がアイツの事色々知ってるんで勝ち目ないですよ。先輩の事は単に本当に尊敬している上司で男としては見ていない」
誘われたのが宗方先輩であれば断る事なんて出来ないから、こうして二人だけで飲んでいる。
自然と話は共通の想い人の冴子の事になる訳で…
「鶴木、それを言うならお前もそうだろう?お前らはただの慣れ合いにしかみえない。とても男と女の関係に進展するとは思えないが」
「何だと!?」
「事実を言ったまでだ」
失礼なその言葉に酒の力も相まって、仮にも上司である男の胸倉を掴んでしまう。
ところが、この人はその状態でも口許にうっすらと笑みを浮かべている。その他人を小馬鹿にした態度は、苛つきを通り越して気味が悪い。
「なぁ、鶴木。こんなところで俺達が争っても無意味だとは思わないか?」
「は…?どういう事ですか?」
手の力を緩めて先輩を解放する。
「庭田は俺達の気持ちに全く気付いていない。尚且つ、アイツはそれなりに他の男性社員からも人気がある…いつ男が出来てもおかしくないんだぞ?」
その言葉に固まる。
もちろんそんな事は知っていた。
ただ、アイツ自身は特に彼氏が欲しいとは言ってなかったし、俺はガードを固めていたつもりだった。
加えて、一番警戒してたのはこの人だったはずで…
「鶴木、お前は今のままで良いのか?」
真っ直ぐに俺を見つめて近づいてくるその瞳の深い色に吸い込まれそうになる。
「ぼやぼやしてると他の男に取られるぞ?」
硬直したままの俺の耳許でそんな事を囁かれた。
妖しいその声色はまるで呪文の様で…
呪いにでもかかったみたいにへたりと椅子に座り込む。
「…先輩、どうすればいいんでしょうか?」
「俺にいい考えがある」
二人とも椅子に座り直したところで、この人は三日月の形の様に目を細め、整然と並んだ歯を見せる。
「アイツを俺とお前の二人だけのものにするんだ」
気に入らない男の提案だったけれど、それは非常に魅力的で。他の男に盗られる位なら無理にでも自分のモノにするべきだと思った。
それが全ての始まり。
そして、先輩による例の計画が実行された次の夜に連絡が入った。
「鶴木、計画通りだ」
電話越しの宗方先輩の声は嬉々としていた。
「アイツはどうたったんですか?」
「まぁ、最初は抵抗していたが、始めてしまえばこっちのもんだ。最後にはちゃんと俺を受け入れていた」
「…そうですか」
成功の報告の筈なのに複雑な気持ちになってしまうのは仕方がない。
「浮かない声だな。まぁ、惚れた女が他の男に抱かれた訳だし仕方ないだろうが…」
無言になってしまった俺を気遣う様に先輩が声をかけるけれど、仕事の時と全く変わらないそれに逆に恐ろしくなる。
この人には時折冷酷な部分が垣間見える。
先日も、ずっと付き合いのあった取引先との契約を何のためらいもなく切っていたし、今回の計画もそうだ。
先輩の心の奥は夜の闇の様に暗く見えない。
俺も冴子も踊らされているんだろう。
けれども、何も知らずにただ操られるのと分かった上で敢えて操られているのでは訳が違う。
「…大丈夫です」
「そうか。彼女は期待以上だったから楽しみにするといい」
俺の言葉にくつくつと喉の奥で嗤う。
「で、お前の携帯に例のモノ送るからな」
上手くやれよ−−−−−
電話はそのまま切れた。
メッセージを確認すれば、約束のモノも送信されてきている。
中身を確認して、思わず口許が緩む。
今度は俺の番だ。
先輩との出張の後、冴子は元気がなかった。
周囲には悟られない様に振る舞ってはいるけど、先輩の事を避けているし、俺は全てを知っているからいつもにも増して、目で追っていた。
「最近、元気ないけど、どうかしたのか?」
あれからしばらく経ったある金曜日。
飲み会の帰り、二人きりになった所で核心へと迫る。
「どうもしてないよ?」
取り繕おうとして無理に笑顔を見せる冴子。
「どうもしてない訳ないだろ。いつも、二次会まで行くお前がこんな早くに帰るなんて。それに、全然飲んでなかっただろ?」
心底心配した表情で普段の俺からは考えられないような真剣な面持ちで彼女を誘う。
「…鶴木には敵わないな」
「だって入社からの付き合いだろ?社会人になってからのお前の事は誰よりも知ってるつもりだ」
「そうだね。私も鶴木の事は誰よりも知ってるもんね」
嘘だーーーー
もし、本当にそうならもっと早くに俺の気持ちに気付いたはずだ。
どれだけ、俺が想っていたかなんて君は微塵も気付いてなかっただろう?
微笑みと共に向けられたその言葉に、心が翳ってしまう。
でも、そんな葛藤も今日で終わりだ。
わくわくが抑えられない。
全てを知った時に君がどんな表情をするのか楽しみで仕方ない。
「なぁ、これから家で飲み直さないか?ゆっくり話聞くからさ」
俺の申し出に彼女は無言で頷いた。
よく、二人でどちらかの部屋で飲む事があったからそれはごく自然な流れ。
いつも、部屋着で集まっては飲んでる途中でそのまま二人とも寝てしまう事もある位だったから、コイツは何も怪しんでいない。
その後、マンションの近くのコンビニでそれぞれの好みの酒とつまみを買って、準備をして俺の部屋に集合となった。
部屋着のスウェットで現れた彼女を同じく部屋着に着替えていた俺が迎え入れた。
そのままローテーブルに酒とつまみを並べて、2人で壁にもたれながら並んで座ってテレビを見る。
しょーもない話をしながら、酒を飲み始めれば冴子はリラックスした様子を見せていた。
「庭田…ショックな事って何だったんだ?」
ある程度飲んだところで、本題を切り出す。
何でもない様に、些細な事であるかの様に正面を向いたままそう尋ねた。
「…とても個人的な事だから、詳しくはちょっと話せないの。とにかく、落ち込んで身が入らない自分が嫌になってまたそれで落ち込むってゆう自己嫌悪の繰り返しで…忘れようとしてるんだけど…」
少しの沈黙の後、俯いてそう言葉を紡ぎ始める君。
「そうか…」
「あんな事初めてで…どうしていいかわからなくて…ずっと信じてた人に裏切られて…」
泣きそうな震える声でそう呟く。
「…つまりこういう事だろ?宗方先輩に無理矢理抱かれて傷ついてそれから全部がおかしくなってるって事だろ?」
核心を告げれば、冴子は顔を急に上げて信じられないものを見る様に目を大きく見開いて俺を見つめていた。
2015.12.5
天野屋 遥か
天野屋 遥か
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