▼ bed of lies 前編
「ちょっ!?先輩どうしたんですか!?酔っ払ってるからって許される事と許さない事がありますよ!」
「どうもしてないぞ。それに本当は酔っ払ってなんかもない」
はっはっはといつもと変わらない笑い声を上げる宗方先輩。
ところが、今の状況はそんなのん気なものではない。
なんと、私は出張先のホテルの先輩の部屋で押し倒されているのだ。スプリングの軋む音が妙に耳に障る。
「離して下さい!!」
身体を動かそうとしても、先輩が馬乗りになり上から両腕を押さえつけている。男性の力には勝てる訳もなくて、抵抗しても当の本人は私の様子を楽しそうにその眼に映すだけだった。
「無理なお願いだな。好きな女を抱けるチャンスをみすみす逃す男が何処にいる?」
そのまま綺麗に並んだ真っ白な歯を覗かせて彼は私のスーツに手をかける。
ジャケットが宙を舞い、ブラウスのボタンが素早く外されて大きく開かされた胸元に外気が触れた。
どうしてこんな事になっているの?
今日明日と本社で行われる会議に出席するために先輩と二人だけで出張していた。
会議の後の懇親会と言う名の飲み会で珍しく酔い潰れてしまった先輩を部屋まで送るだけだったはずなのに…
どうして先輩は嘘なんかついたの?
どうして優しいはずの先輩がこんな風に私を追い詰めるの?
「これが俺の気持ちだ。お前と一緒に仕事をする様になってから、ずっと好きだった。ずっとこうしたいと思ってた」
真っ直ぐ私を見つめる瞳。
あまりに強過ぎる視線に目を反らす事は出来ない。
ただ、混乱するばかり。
「先輩が私を…?冗談でしょ?だって、あんなに綺麗な彼女さんいるじゃないですか…」
確か、先輩は社内一の美女と言われる秘書課の先輩と付き合ってたはず。
社内のゴシップに疎い私ですら知っているレベルの有名な話だ。
「…庭田、誰の話だ?」
ところが、先輩は訝しげに眉を顰める。
私が知っている話を伝えれば、驚いて目を丸くしていた。
「訂正しておく。そんな女とは付き合ってない。誘われて試しに一回ヤっただけだ。その後、暫くしつこく付き纏われたけどな」
だから安心しろ―――
なんて、信じられない発言をしながら、何時もよりも更に優しく微笑む先輩。
「安心出来る訳ないじゃないですか!ただの典型的な酷い男じゃないですか!」
さすがに尊敬している先輩に面と向かって最低とは言えない。
これが鶴木だったら、最低ってぶん殴るレベルだけど。
「仕方ないだろ?別に好きじゃなかったんだから。見た目はいいから味見してみただけだ」
「…そんな人だったなんて知りませんでした」
「そりゃそうだろう。変な噂が立ったら困るからな。俺の社会的評価にも関わるだろう?」
女性社員の人気を独り占めし、仕事の上でも優秀で上からも一目置かれ後輩からも慕われている先輩の隠されていた裏の顔が明らかになっていく。
仮面が剥がれ落ちて現れたその正体に、私は今まで先輩に幻想を投影していたのだと自覚し、更にそれが一気に消え失せていくのを自覚した。
「こんな事してたら悪評どころじゃ済まないですよ」
「…本当に何も気づいてないんだな。俺の気持ちや焦りも…そしてお前を取り巻く状況も何もかも」
まるで、いつも仕事中に私がしょうもないミスをしたのを咎める様に頭を抱えて溜め息を吐く先輩。
鼻と鼻がくっつく位の至近距離まで縮まり、視界一杯に広がる端正な顔は寂しくて儚かった。
「先輩、何言ってるんですか!?いい加減止めてください…!人呼びますよ!」
「それは困る」
「!?」
叫ぼうとしたところで、五月蝿いと言葉を遮られて唇を塞がれた。
いきなり捻じ込まれた舌に自分のそれを絡めとられたかと思えば、無遠慮にそのまま口の中を舌が這い回る。
抱き締められ、背中に腕を回されて両手で顔を固定されてしまう。
胸を叩いてどうにか止めさせようとしても、細い割にしっかりと筋肉のついた胸板はびくともしなかった。
何度も歯列をなぞられ、そのまま喉の奥まで喰らわれそうな、普段のクールな先輩のイメージからは程遠い激しい口づけに酸素を奪われて苦しくなる。
「やっ…助けて…鶴木…」
やっと唇が離れて、口を開けた途端に思わず出た名前は同期のアイツ。
「此処でアイツの名前を出すのか?何処までも俺を煽るんだな」
その刹那、漆黒の切れ長の瞳の奥にゆらりと暗く大きな炎が浮かんで揺らいだ気がした。
ゾクリと戦慄が身体を駆け巡る。
「知らないです…そんなの…私は先輩を煽った事なんてありません…!」
本当に心当たりがなかった。
純粋に尊敬していただけだった。
仕事は出来るし面倒見もよくて、私もこんな風になりたいと性別を超えた憧れを持っていた。
ただそれだけで、思わせぶりな行動をした覚えもなければ、先輩が私にそんな感情を抱いていたなんて事も今初めて知った。
「いつも俺に嬉しそうに話かけてくる笑顔や俺が奢った食い物を美味しそうに食べている顔は無防備で見ているだけで欲情しそうだった」
いつも穏やかに見守ってくれていると思っていた先輩の眼差しの意味が全く違ったものと知って愕然する。
「ひゃっ!?」
そんな事を考えていたら不意に胸が冷たい感触に襲われる。視線を落とせば、膨らみに先輩の手が乗せられていた。その体温は低めであり、掌で体温が奪われ、驚いた身体は反射的に鳥肌が立ってしまった。
「なんだ。嫌がる癖に先端が固くなって誘ってくるぞ?」
にやにやしながら指でくにくにと胸の突起を押し潰してくる先輩。与えられるその甘い刺激に、腰の中がじわりと緩んでいく兆候を覚える。
「違う!これは先輩の手が冷たいからぁ…!」
このままでは取り返しのつかない事になるから、身を起こそうと再び抵抗しようとすれば凄い力でシーツに縫い付けられる。
「その強情な所が可愛いが、今は少し鼻に付く」
苛立ちを隠さずにそう呟いて、胸の双丘を揉みしだきはじめる。先端の桜色を舌先で遊ばれた後に、唇で啄ばまれるとそれだけで身体が反応を示して、心とは裏腹に腰の中が疼いてきてしまった。
「動いてるぞ?腰が」
目敏いこの人は見逃すはずもなく口角を上げる。
そして、スカートの中へと手を伸ばした。
2015.10.24
天野屋 遥か
天野屋 遥か
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