ふわ、ふわり


ふわり。
春を知らせる様な香りに鼻を擽られて、それがどこから来るのか辿ってみる。

風に乗って訪れたそれは玄関からで、シューズラックの上に置かれた小瓶からふわりと香っていた。


「…ああ、今日は桃の節句か」


ふと、先ほど目にしたカレンダーの日付を思い出して納得する。
そのまま足をリビングへ向けると、またその香りを感じた。


「あ、おはよう、クリス」

「ぱぱ、おはよー!」


ソファに腰かけ、子ども向けのテレビ番組を見ていたらしいレイが振り返る。
それに続いてベッキョンも俺を見て、そそくさとソファを降りて駆け寄ってきた。


「ぱぱ、だっこー!」

「はいはい」


両手を伸ばし抱っこをせがむベッキョンを抱き上げてやろうとして、気付く。


「ベク、これどうしたんだ?」


ベッキョンの頭にちょこんと付けられている、桃の花。
そこからふわふわと甘い香りがして、何だか優しい気分になる。


「あのね、これね、ままがちゅけてくれたんだ!」


いいでしょ〜!とにこにこ笑顔のベッキョンが、頭に付けた桃の花にちょんちょんと触れる。
すごく似合ってるよと褒めてやれば、とても嬉しそうに笑った。


「ベク、可愛いでしょ?タオにも付けてあげたんだよ〜」


ベッキョンに続いてソファから立ち上がりこちらに歩いてきたレイが、腕に抱いているタオを少しだけ揺らす。
ベッキョンと同じ桃の花を大きな頭に乗せたタオからも、ミルクの匂いに混じって桃の香りがした。


「大丈夫か?タオ、ちょっと目を離すと花食いそうだけど」

「ふふ、大丈夫だよ」


誰かさんに似て食いしん坊なタオは、本当によく食べる。
と言っても、まだ乳児だから主な食事はミルクなのだけれど。

近頃何でも口にしてしまうから、甘い香りのする桃の花も食べてしまいそうな気がする。
まあ、花だから食べてしまっても大丈夫だろうとは思うが。


「そう言えば、レイは付けていないのか?」

「ん?ああ、うん。クリスも付ける?」

「え、」


問われて、思わず言葉に詰まる。
そんな俺にくすくすと笑いながら、レイがキッチンへと入って行く。

その後ろ姿をじっと見ていると、抱っこしていたベッキョンに「ぱぱ、てれびー!」と言われたので、大人しくソファに腰かけた。

ベッキョンが夢中で見ていたのは、毎週日曜の朝に放送している海賊アニメだ。
レイ曰く「すごく感動する」らしいのだけれど、果たしてベッキョンはこのアニメをどこまで理解しているのか。


「あのね、うでがね、ぴよーん!ってね、ぴよーんってのびるの!かっこいいんだぁ!」

「へぇ、そうか」


ぴよんぴよん、と変な効果音を口にしながら腕を伸ばすベッキョン。

まあ、本人が楽しそうだからいいか、と小さく笑っていると、キッチンから戻ってきたレイがベッキョンを挟むようにして腰かけた。
膝の上に乗せたタオは、テレビを観て「あー」とか「うー」と言いながら嬉しそうに体を跳ねさせている。


「ベッキョナ、これ見終わったら、おやつにしようか」

「おやちゅ?!たべるー!」

「今日はねぇ、ひなあられだよ〜」


そう言いながら、ローテーブルに皿を置くレイ。
その中には淡い色の小さなお菓子がたくさん乗っていて、とても美味しそうだ。

ちらちらとおやつを気にしながらも相変わらずアニメに夢中なベッキョンの邪魔にならないよう、レイに小さめの声で問うてみる。


「レイ、これなんだ?」

「これ?これはね、雛あられだよ」

「ヒナアラレ?」

「うん。日本では3月3日にこれを食べるんだって」


珍しかったから買ってみたんだ、と口にするレイに、ふうん、と頷く。
綺麗なそれを一粒摘まんでみると、隣にちょこんと座っていたベッキョンが勢いよく俺を見上げてきた。


「ぱぱ、めー!これみてからたべるのぉ〜!」

「え?ああ、ごめん」


まだ食べる気は無かったんだが…と思いつつ謝ると、俺たちのやり取りを見ていたレイがけらけらと笑い声を上げた。


「あ、ベッキョナ、もう終わっちゃったよ」

「ああ〜!べく、みてなかったのにぃ〜!!」


どうやらラストシーンを見逃してしまったらしいベッキョンが、ぷくぅ、と頬を膨らませて足をぱたぱた動かす。
我が子ながら忙しない子だなぁと苦く笑っていると、ぽこぽこ頭から湯気を立てたベッキョンが俺の上に圧し掛かって来た。


「ぱぱ、めー!べくのおかしとったから、ぱぱ、めーっ!」

「え〜?!」


まだ取ってないだろ!と抗議の声を上げてみるも、子どもにそんなものが通用するわけなくて。
今週分のアニメのDVDを借りてこいと怒るベッキョンに、こういうところは確実にレイに似たな、と妙に冷静に考えたりした。


「ベク、もうその辺にしてあげて?パパ泣いちゃうから」

「むぅ…」

「いや、泣かないけど…」


さっきからずっとくすくす笑っているレイに、またちょっぴり苦笑い。
ようやく俺の上から退いてくれたベッキョンを見て、崩れた姿勢を整える。

ベクとじゃれ合っている間に用意してくれたのか、テーブルには温かそうなお茶が置かれていた。


「まま、たべていい?」

「うん。ちゃんといただきますしてね」

「いただきまーす!」


小さな指であられを掴み、ぱくりと口に放り込むベッキョン。
味しないー!おいしー!と矛盾した感想を述べるベクにレイと2人で笑って、俺も、とあられを頬張ってみる。

瞬間、ふわりと口の中で溶けた。


「ん、なんか、ふわふわしてる」

「タオでも食べられるやつだからね」


言いながら、レイも一粒摘まみ上げる。
それをあむあむと口を動かして待っていたタオに食べさせてやり、自分も一つ。

本当はもう少し固いお菓子なのだそうだが、離乳食への切り替えが始まっているタオでも食べられる物にしたのだそうだ。
そうしないと、食いしん坊のタオが拗ねてしまうから。


「ねぇね、まま。これ、どうしてみっちゅもあるの?」

「ん?色のこと?」

「うんっ」

「これはね、ちゃんと意味があるんだよ〜。白は雪、紅は花、緑は新芽」

「しんめ?」

「そう。春が来ると、新しいお花がたくさん咲くでしょう?」

「さく!」

「雪が溶けて、花が咲く春の訪れを表してるんだって」

「へぇ〜!」


すごいねー!と目をきらきらさせているベクに倣って、そうなのか、と俺も感動する。

レイは本当に物知りだなぁ、と思う。
好奇心が旺盛なのもあるだろうけれど、こういった文化や年中行事がとても好きだ。

だからこそ詳しいのだろうなと感心していると、少し気になることがあった。


「そう言えば、どうして桃なんだ?」


この国で生まれ育ったとは言え、その理由は知らない。
昔母から聞いたことがあるかも知れないが、そんなこと気にも留めていなかったから。


「桃はね、魔除けの力があるんだって。だからだよ」

「魔除け?へぇ…知らなかった」


改めて、ベッキョンとタオの頭に飾られた桃の花を見つめてみる。
全ての入り口と称される玄関にも桃が置かれていたのは、そういうことだったのか。

そんなことを考えていると、耳元でさらりと音がして。
下に落としていた視線を元に戻すと、俺を見てふわりと微笑んでいるレイが居た。


「ふふ、クリスも似合うなぁ」

「え?」

「桃の花飾り」


レイの言葉に、まさか、と先程触れられた所へ手を伸ばす。
かさりと小さな音を立てた先には、案の定柔らかい感触があって。


「レイ〜…」


ほんの少しばかり恨めしそうにレイを見つめると、彼は手の甲で口元を隠して笑みを耐えた。


「魔除けなんだから、レイも付けなきゃ」

「でも、もう無いもの」

「じゃあ俺のやるよ」

「だぁめ」


ふふふ、と楽しそうに笑いながら、タオにもう一粒あられを食べさせるレイ。

俺に花なんて似合わないだろう…とちょっぴり落ち込んでいると、あられをぱくぱく食べながら俺たちを見ていたベッキョンが、不意に自分の花飾りに手を伸ばした。

2つ付いていた桃の花弁をひとつ、ぷちりともぎ取る。
続いて、「あ!」とどこかわざとらしい声を上げたベッキョンが、その様子を不思議そうに眺めていたレイを見上げた。


「まま、べくの、とれちゃった!」

「え?」

「だから、べくの、ままにあげるね!」


そう言って、ソファの上で立ち上がるベッキョン。
きょとんとしているレイの頭に、つい先程もぎ取った桃の花をちょん、と乗せた。


「わぁ〜、ままにあうねぇ〜!」


にぱり。
満面の笑みを浮かべるベッキョンに、ぽかん…としていたレイが、ふにゃりと微笑む。

タオが羨ましそうにレイの桃に両手を伸ばすから、ベッキョンがその手を掴んで「タオはもうちゅけてるでしょ〜!」なんて。
そんな微笑ましい光景に、自然と笑みがこぼれる。

俺と目が合ったレイが、ひどく嬉しそうに目を細めた。




ふわ、ふわり









またぼんやりしたお話になってしまいました…^o^
もうすぐ春ですね。

7/8