華には花を、愛には愛をの続きですが知らなくてもお読みいただけます。




にはを、には



 ドアを開けると、小麦粉の焼ける香ばしい香りが漂ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」

声に続いて、ひょこりと扉の影から制服姿の土方が顔をのぞかせる。

「遅かったですね」
「ああ、ちょっと長引いてね」
「お疲れさまです」
「でも、十四郎の顔見たら癒されるよ」
「うわー、ホストの戯言だ…」

 合鍵は渡している。
 でも、 同棲している訳ではない。
 土方は昼間学校があるし、金時は夜から本格的な仕事が始まる。お互いの空いている時間のわずかな重なりを見つけては金時の家でまったりするのが、ふたりの中でいつのまにか当たり前になっていた。

「お菓子でも焼いてんの?」
「おれが料理できないことは金時さんが一番よく知ってるくせに」
「まあそうだけど…ついにやる気になったのかと思って」
「買って来たおやつ暖めてるだけです」
「お、いいね。おやつって何?」
「たいやき」
「たいやき…」

 今着ているシルクのスーツにたい焼きは到底似合わない。土方は二十歳を超えても、お洒落とかムードとか、そういった類のものにはとんと無頓着だった。
 でも、こういう庶民的なところに惹かれたのも間違いではないと思う。
 ホストなんていう職業をしていれば、上辺だけの言葉のやり取りが当たり前に蔓延していて、自分自身のキャラクターだって偽らなければならないこともままある。
 でも、土方の前ではなぜだか素の自分が出せた。純粋でうぶで真面目で飾らない、そんな土方の自然体な魅力が、いつのまにか深く金時の心をつかんでいた。

 好きです、と最初に言って来たのは向こうだ。
 でもそれは告白というよりもいわゆる”酔った勢い”で、高校卒業パーティだなんだとかこつけて、土方にしこたま飲ませてしまった責任をとる形で、金時のほうから付き合おうと言った。
 そんな始まりだったけれど、大きな波乱もなく早くも三年目を迎えている。
 いまの職業をする前から、恋愛といえば長続きしなかった金時にとって、三年というのは相当長く続いていることになる。
 夜の繁華街ではやたらに軽々しく飛び交う「恋」だの「愛」だのという言葉の響きも、土方を目の前にしてみれば妙にそれらしく温度をもって感じられることもあった。


「ふふ…金時さんにたいやき、似合わない」
「うるせーな。買って来たの十四郎だろ」

たい焼きは尾から食べるらしい土方は、早くも半分を食べ終えている。

「あ、金時さんあんこついてる」
「え?まじ?」
「すごい貴重な瞬間じゃないですか?写メ取ろうかな…」
「え、ちょ、どこだよ?」
「ここ…、」

 土方が、金時に比べればだいぶ華奢なゆびを伸ばして、口端についていたらしい欠片をそうっと摘まんだ。と、おもむろにそれをぱくりと口のなかに入れる。
 金時と目が合うと、いたずらっぽく笑んでみせた。

(まったく、ホスト相手にそんな技どこで覚えてきたんだか…)

「おまえも付いてるよ」
「え、嘘っ?」

 どこですか?と慌てる土方の手首を取ると、口の端についていたちいさな餡をちゅうとついばんだ。
 土方がくすぐったそうに目を細める。

「甘い…」
「…っ」

 手をつかんだままちゅ、ちゅと口づけると、食べかけの唇はそれだけで甘かった。
 残さず味わうようにちろりと舐めれば、土方の肩がびくりと上下する。
 金時はそのまま土方の身体を引き寄せると、両の腕の中に収めた。

「そういえば、今日十四郎のバイト先行ってきたよ」
「え、なんで、おれがいない時に…」
「うん、まあたまたまね、で―」

 金時はたい焼きを皿に置いてソファの後ろに手を伸ばすと、秘かに置いておいた花束を取り上げた。

「はいコレ」
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「アイリス…ですか?ちょうど季節ですからね…」
「うん」
「綺麗…」

 言いながら、土方が少し思案するそぶりを見せた。
 二人の間で交わされる花束には、いつも何かしらの意味が込められている。
 ―花言葉。
 年齢も性格も、育ち方もまったく重ならない二人の、おそらく唯一であろう共通点がそれなのであった。
 
「『よき知らせ』」
「うん」
「何かあるんですか?」
「あとで教えてあげるから、他の意味知らない?」
「うーん、と…あ、」
「なに?」
「『あなたを大切にします』」
「そう」
「え?」

 金時の意図するところをつかめず、土方は目を瞬かせる。

「俺の気持ち」
「な、…」
「あなたを、大切にします」

 もう一度、噛みくだくようにゆっくりとそう繰り返せば、ようやくそこに潜む深い意味の端を土方がつかむ。それでもまだすべてを理解しきらずに眉を寄せる土方に笑って、金時は潔く言い放った。


「だから、俺と結婚して」


 土方の瞳がさらに大きく丸く見開かれて、その縁が見る見るうちにじわりと赤く染まってゆく。
 瞳に潤んだ膜を張って、土方はほんとうですか、とちいさな声で問うた。
 そんな恋人を見て、金時は笑いながらよしよしと頭を撫でる。

「本当だって。もうどしたの…泣くほど感動しちゃった?」
「感動したっていうか、もう、びっくりした…」

 真っ蒼なアイリスの花束に顔を埋めて、土方が肩をふるわせる。
 それをぎゅうと後ろから抱きしめながら、あらわになったつむじに金時は優しくキスを落とした。

「十四郎、こっち向いて?」
「んん…」
「もう、イケメンが台無し」
「金時さんが言わないでよ…」
「まあ泣いてる顔も可愛いけどさ」

 ちゅ、と眦に滲んだ涙を吸えば、土方はきつく目を瞑った。
 その震えるまぶたにひとつ、ほの紅い鼻のあたまにひとつ、やわらかな頬にひとつ、最後にきゅっと結ばれたくちびるにひとつキスをする。
 瞳を開いた土方の視界いっぱいに、優しい華が満ちた。

「十四郎、」
「…っ」
「俺の、お嫁さんになって」

 甘い金色に射すくめられたら、もう動けない。
 はい、と、ようやく消え入りそうな声で土方が頷いた。
 その左手を、金時はそっといとおしむように包む。


 ふたりが出逢って五度目の夏は、梅雨が明ければもうすぐそこ。



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