スープはうまかった。
火の通ったレタスはまずくない。普通にうまい。
ずっと前のことだけど、雑誌で見たと言ってレタスと牛肉のカレーを作りたがったとき、却下するんじゃなかった。
今度カレーを作るときは言ってみようと思う。
トーストもこいつの好きな店のちょっといいパンで、焼き加減も俺の好みにあわせてあってうまかった。
こいつは全体が色づくくらいが好きで、俺はその一歩手前。
正直焼き加減にこだわりはないが、焼きすぎた、焼き足りない、焼きムラの形が何に似ているかなんて感想を毎回言いあうのが楽しみだから、先に取り出すことにしている。
たかが五枚切りのパン一枚、だが俺たちにとっては日曜の朝に欠かせない習慣だった。
判で押したように、いつもいつも。
例外は、こいつの体調が悪いときだけだ。
だから両方の皿にまだらのトーストが乗せられたとき、俺は何も言わなかった。
食べながら、相手の二口ほどしかかじっていないそれについて、どう切り出すか考える。
焼きたてのトーストが好きで、いつも冷めてしける前に食べてしまうこいつが、俺が半分以上食べ終わっても残しているなんて異常事態以外の何ものでもない。
とりあえず無難な一言からだろうと、
「焼き足りなかったか?」
それ、と指さして言ってみる。
相手も同じように指さして、
「もうちょっと食べない?」
「ん」
皿を寄せると、半分近くをちぎって渡された。
皿に残った分が少なすぎる上に、食べた歯型も遠慮したかのように小さい。嫌な兆候だ。
「そんだけ?」
「こんだけ」
「…胃薬持ってんの」
「ああうん、常備。大丈夫だって、もともと朝はあんまり食べないし」
「そうだけど」
「ほらしけるから食べて」
こいつは体脂肪率が低くなりすぎないように管理してるし、昨日あれだけ食べたから問題ないのはわかってる。
でも俺はこいつの食欲が消えると不安でたまらなくなる。
「朝しっかり食って夜軽めが体にはいいらしい」
「そうなんだ? あ、でも納得いく」
「来週それで試してみるかな」
「えー、朝からしっかり料理作るのめんどくさい」
「仕込みだけしておくとか」
「一晩置く系…炊き込みご飯?」
「舞茸安かったら作ろう。あとたれに漬け込むようなのは? 鶏か豚か」
「揚げなきゃ朝でもいける、かな?」
「それか夜も朝も軽めで、クッキーとか焼くのは? アイスボックスクッキーもパウンドケーキも得意だろ?」
「ガスオーブンない」
そういえばレンジの機能は温めだけで、焦げ目はオーブントースターにまかせている。
俺は記憶を探って、
「アルミホイルかければ作れるはず」
「ガスオーブンで作らないと焼き菓子はおいしくない」
中学のとき、バレンタインにこいつが配るクッキーの味はだれにもまねできなかった。
レシピを渡した相手に冗談半分本気半分でつめよられていたのを知っている。
好物だから食べるかと思ったんだが、この話題は失敗だった。
「じゃあ今度、小豆炊くのでもなんでもいいからとにかくなんか作ろう。そんで食おう」
「そんなこと言われたら白玉ぜんざい食べたくなったんだけど」
「今日作るか?」
「半日水に浸けてからだから帰り遅くなるよ」
「小豆と白玉粉あんの?」
「ないよ」
「今すぐスーパー走って作れば夕方にはさ」
「…行ってきてもらっても、いい?」
「おお。鍋とか出しといてくれな」
食器を片付けてカーゴに穿きかえて、Tシャツにあいつが好きだといったやわらかいフランネルのシャツをはおって。
学生時代そのままの格好だ。
変装というほどではなくても、印象が変わって見えることは期待している。
俺もあいつも世間体が大切な仕事だ。
いざとなったら婚約しているとでも言えばいいだろうが、騒ぎたてられるのは鬱陶しい。
今日も不安が残らないわけではないけども、財布と携帯だけポケットにねじ込んでドアノブに手をかけて。
「じゃ、行ってきます」
「気をつけて」
この会話だけなら夫婦みたいだと思って、浮かれた自分を罵った。
そんなこと俺には思う権利もない。
こんなやり取りは今まで何度だってしてきた。だからときどき忘れてしまう。勘違いしてしまう。
赦されたように。
けど気を抜いた瞬間に、同じことをあいつも思っただろうかと考えてしまった。
もう恋人じゃないのに、名前を呼ぶこともできないのに。
想う権利はないのに。
俺はまだあいつが、天香(てんこ)が好きだ。
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2011.05.08 up