「さすが地元産の新茶は違いますねぇ」
ふんわりと湯気を立てるお茶を一口含み、少女は笑う。
「君凄いね。一口で分かるものかな」急須の湯を注ぎ切って、自分の湯飲みに手をかける。
「味の違いがわかる女なのですよ、八木先生」と鮮やかな赤髪の少女。
ほうっと息を吐いてから静かに湯飲みを置いて、ソファに掛けた姿勢のままキョロキョロする様子があどけない。特段この部屋に少女の興味を引くようなものはない筈だが、物珍しそうな表情をしたままだ。
「何も面白いものはないだろう?」
「この部屋防音になってるんですねぇ」目ざとい。というかよく分かるね。
「そのようだね。イビキ対策かな?」と返してお茶を飲む。
「ナイショ話とかに向いてますね!」
ニッコリと人当たりのいい笑みに、飲み込む直前で噴き出しそうになった。

五分ほど前に遡る。
「ではオールマイト。そろそろ行くよ」
旧知の仲の塚内くんが、向かいのソファから腰を上げた。
「わざわざ来てもらってすまないね。私から出向くことが出来たら良いのだけど」
雄英に侵入し、教師・生徒を強襲した敵連合事件に関する捜査は、半月ほどが経過した現在も依然続いていた。私を殺害する目的でやって来たという奴らの中でも、極めて異質な主犯の死柄木と厄介な移動個性をもつ黒霧。それに圧倒的な力と複数の個性を持つ『脳無』という奇妙な存在。
捜査の指揮をとる友人からもたらされた『脳無』についての検査結果は驚きと不気味な後味を与えた。『脳無』は捕えることが出来たがそれから情報を得ることが出来ず、主犯は捕り逃がしているこの状態で、先の体育祭の開催こそ世間では批判されることもあったがやはりイベントはいい。生徒達の頑張りと情熱が、素晴らしい体育祭にしてくれた。途中会場が大破したり優勝者が暴れ回ったりと色々あったが、無事に終えることが出来た。
そして生徒達には、次の困難が準備されている。
「気にしないでくれ。そちらも慣れない環境で大変だろう」
「助かるよ……生徒達が職場体験でいない間に、色々とすることがあるんだ」
「学校行事は忙しいな」と塚内くん。
細身の彼には少々重そうな鞄を持ち上げ、お気に入りの帽子を被り、出入り口へ向かうので後を私も後を追う。
「くれぐれも身辺には気を付けてほしい。……これで終わりだとは思えないからな」
「ありがとう。気を付けるよ」
ではまた、とお互い片手を挙げる。
廊下の端まで見送り、角を曲がったところで姿が完全に消えたところで軽く息を吐く。
「さて、私もそろそろ……」
「あれ?どちら様ですかおじさま」
「ヒイッ!?!」
となったわけだ。
私を見上げるのは赤髪の少女。
顔と名前はもうすっかり頭に入っている。
体育祭での様子も記憶に新しい。
「今、仮眠室から出てきませんでした?」
「轟少女……」
轟燐子くん。
轟少年の双子の妹だ。


「担任の先生の許可がいるっていうじゃないですか。でもほら、わたし一年A組なんですけどね?担任の先生がね?出してくれそうにないじゃないですか?許可。ってことは。入る機会なんてなさそうじゃないですか?そこにちょうど!まさに!今!先生がいるわけですよ!」
正直今すぐにでもこの場を脱したい気持ちでいっぱいだったのだが、此方の様子を全く意に介すことなく流れるようなトークとエスコートで仮眠室へ逆戻りした挙句、こうしてお茶を淹れ直しソファに腰を預けて完全に落ち着いて話をする雰囲気になってしまった事態に首を傾げつつ。
「相澤くんは厳しいからなぁ」
「そう!それなんですよ八木先生!ザワちん先生は厳しすぎる!」
「そ、そんな呼び方して大丈夫……?どこかで聞いてるかも……」
「大丈夫です防音室なので!」
職場体験初日。
午前十一時前後。
「はぁ〜おいしい。お茶落ち着く〜」
「というか君……のんびりしていていいのかい?」
「だってザワ先生まだ帰ってきてないんですもん。言いつけられた作業は終わっちゃったし。あーあ、わたしも新幹線乗りたかったな〜」小さく頬を膨らませる姿は普段にも増してあどけない。
「先生に見送られて旅立ちたかった人生でした……」
「今際の際みたいに言うね」
「嫌がるわたしに先生が無理矢理……っ」
「その言い方はシャレになんないから止めようか!?」
「教師という職権を笠に着て……」と続ける少女をなんとか静止できたことに心底安堵する。相澤くん……毎日この子の相手をしているのか……。しかもいないところで教師としての存続が危ぶまれる発言を……。
しかし言い方はアレだが間違いではない。
現在轟少女が此処、雄英に留まっているのには理由があるのだった。

『えー……A組B全員の体験先希望が出揃いました。受け入れ先リストの方は被ってる事務所もあったので此方で調整しています』
先週の土曜日。
会議室に集まった一年生ヒーロー科担当の教師達に渡された資料には、生徒の職場体験先が記されている。担任である相澤くんが一人ひとりの体験先を読み上げ、我々が目で追っていき課題や注意点、必要な手続き等を確認していく中で、ふと目に入った生徒の欄がある。轟少年は、エンデヴァーの事務所か。体育祭の表彰式でのやりとりが記憶に甦る。緑谷少年との戦いで、変わりつつある。先が楽しみな生徒の一人だ。ウンウンと頷いていると相澤くんに睨まれてしまった!ゴメンと手で返す。
『次に轟……妹の方ですが、奴は俺が引き取ります』
『イレイザーが?』
『雄英に残るってことか?』
『彼女、結構指名来ていませんでしたっけ』
『何もなくても目立つリスナーだからな!商業映えするぜアレは』
『けどそういう指名をされているのは彼女だけではないよ』
『何か理由があるのかな?』と問いかけるのは校長先生。動物に個性が宿ったという極めて稀なケースで人語と解し、個性『ハイスペック』により人類よりも秀でた高度な知的生命体だ。私に雄英への赴任を持ち掛けてくれた方でもある。
『成績や主だったイベントでは目立たない奴ですが』と相澤くん。
『ハッキリ言って素の身体能力は現時点で相当なものです。兄の方は恐らくエンデヴァーさんから指導を受けているんでしょうが、こいつは全く違うベクトルの鍛え方をしている。独学なんでしょう。非常に完成度の高い技術です』
『そうなんですか?オールマイトさん』
『確かに彼女の体術は凄い。ただ、個性を使用する場面はほとんどないから、評価がムズかしいところだよ!』
『毎朝七時に登校して自主訓練を行う勤勉な生徒かと思えば、実技試験や個性把握テスト、体育祭ではろくに実力を出そうとしない。ほとんど個性を使わず、口が達者でのらくらとした態度。ただ敵襲撃では火炎ゾーンにいた五十余名を尾白と二人で凌いでいます』
『実力があるらしいのは分かるけど……』ミッドナイトが言う。その美貌で数々のファンを魅了してるミッドナイト。彼女は普段からよく轟少女と話をしている(主に轟少女が彼女の美貌を褒めたたえている)からか、心配げな表情をしている。
『職場体験先は自分で選ぶというのが原則だよ。指名が来ていたのなら尚更さ。彼女はそれを望んだのかい?』校長の指摘は正しい。相澤くんはハッキリ『いいえ』と返す。
『旅行先を選ぶみたいにして選ぼうとしていたところを、俺が半ば強制で決定しました』
『まぁそういう生徒もいるだろうが……』眉を顰めるブラド。B組の生徒はそんなことしなさそうなイメージなのは、きっと彼の真面目な性格が少なからず影響しているのだろう。
『表立って見える性格や日頃の態度、行動、実力、それと家庭環境を鑑みた結果……危うい。そう判断しました』
家庭環境。という言葉にハッとさせられる。
そうだ。轟少女は、当然ながら轟少年と兄妹で。
それも双子で。
轟少年を救おうとした緑谷少年。
エンデヴァーのあの言葉。
一人、家族と離れて暮らすあの少女。
明るくて華やかな十五歳の少女。
底を見せない実力を持つ。
『うん。教師として、ヒーローとして、君がそう判断したのならそれでいい。雄英は自由さ。そして生徒の心身の自由を守るのも我々の務めなのさ!』
何か思うところがあるのだろう。その気持ちが、懸念が、私には何となく、わからなくもない。だけどうまく言葉にできない。曖昧だが、何となく不安にさせる部分が彼女にはある。演習でしか接する機会のない私と違って、相澤くんは毎日、誰よりも長く見ているからこそだろう。
『ではイレイザー・ヘッド。彼女の指導は君に』
そして雄英も、外部に対して、内部に対しても恐らくは、警戒している。過去例を見なかった襲撃事件とその計画。不可解な少女に対して、君は誰だと問いかける。今回の職場体験は、そういった意味も持つものになるだろう。

「いやウチで職場体験ってことは必然的に君が出した希望先は結局全て却下されたわけだから、間違ってはいない。違ってはいないがしかしその言い方をされると私達は非常にマズいというかヤバイ立場になってしまうというか」
「あえてそこを攻めてみるのがプルスウルトラかと思いまして」澄ましたカオでそんなことを言うものだから心臓に悪い。芦戸少女と似たタイプかと思いきや、中々どうして手ごわい性格をしているなと思う。相澤くんが懸念するワケだ。ニコニコと笑みを絶やさない少女を前に、ここにはいない渋面を思った。
「でも、副業をしているヒーローの様子を知るのは絶対に損じゃない。もしかしたら轟少女だって、雄英で教職に就くヒーローになる可能性だってあるんだからね」
「ありますかね?可能性」
「あるさ!君達には無限の可能性がある!」
「八木先生って熱血系なんですね〜まぶしい……」
「君の可能性だって同じくらい輝いているんだよ」
本心を言った。
「そんなにまっすぐ言われると照れちゃうのでこの話は終わりにしましょうか」すぐに流されてしまったが。
「先生はお仕事に戻らなくてもいいんですか?」
「いいのさ。仮眠室から出てきたのを見ただろう?休憩中なんだよ。そしてなかなか寝付けずに暇を持て余してしまった」
「わたしはいつでもどこでも寝ちゃえますけどねぇ」
「それは健康で何よりだ」
「八木先生は見るからに不健康そうですよね」
「耳が痛いよ」
「お目目はきれいですけどね」
「えっそう!?初めて言われたなそんなこと!」
「なんか全身の輝き全て瞳に持っていかれたみたいな」
「褒めてなかったか……!!」
「褒めたつもりです」
「ありがとう!!!!」
褒められていた!
この姿になってから、容姿を褒められることって全然ないから……。
マッスルフォームの時は、みんなカッコイイって言ってくれるんだけど。
少しハシャぎたくなるのも仕方ない。
そうさ!仕方がない!
「可愛いお人だよまったく……」
うん?何か言ったかな?


時々お茶を飲みながら、
私は轟少女と色々な話をした。
授業のことやクラスメイトのこと、
クラス外の友人達のこと、
最近流行りのドラマや音楽のこと。
一番好きな映画の話では本当はまだまだ語りたいことがあった。
現在の超常社会や世界情勢、
悲劇の偉人エラ・イヒトの話。
個性の多様性と職業のかかわりやメディア理論など、
少しばかり真面目な話もした。
どんな話にも轟少女は声を弾ませて、
笑ったり驚いたり顔をしかめたりと忙しかった。
目まぐるしく、しかしゆるやかに流れる時間の中で、
ただ人と言葉を交わすことの純粋な楽しさを思い出す。
私の話に身を乗り出したり、手をたたいて大声で笑う。
目の前に居るのは、
一人の生徒であり、
ヒーローの卵であり、
クラスの(ちょっとした)問題児であり、
相澤くんが目を光らせているヤバい子であり、
底抜けに明るく、
舌のよく回る、
少し憎たらしく、
それを補って余りある子供らしい可愛げがあり、
弾けるように笑う、
表情のめまぐるしい、
屈託のない少女だった。

「何をしてんですか」
唐突に空気を割く低い声が響いた。
ビクリ、と、反射的に身体が反応してしまった。
それくらいに低く低く、底冷えのするような声だった。
「あ、ザワちん先生」と轟少女。
「そのフザけた呼び名を止めろって前にも言ったな?」
「嫌だなあ先生。人の嫌がることを進んでするのがヒーローたる所以でしょ?」
「悪用すれば敵に裏返るんだよその言葉は」
「わたしは、休憩しているだけですよ。休憩。先生に、一時の上司ヒーローに指示されたことは終えてしまいまして。少しばかりの休憩です。時には必要なものです。人間ですもの。病み上がりで毎日無理をしている先生にも必要なものですよ。ほら先生、一緒にお茶を飲んでまったり三人で恋愛トークをしましょう」彼相手によくそんなに流ちょうに喋れるね。参考にしたい位だ。
「お前と話をすると、疲れが五倍になる」短く返し、こちらに目をやる相澤くん。
文句も何も言ってはこないが、目が雄弁に語っている。
何一緒になってサボってるんですかと。
「あっ、八木先生は悪くないです。主犯はわたしです。先生は助演男優賞というか、監視、そう監視。監視役です。仮眠室に入りたいがために詰め寄ったわたしに付き合ってくださっています。きっとお忙しいでしょうに。やさしい先生だなぁ。これは先生も見習った方がいいです」
あああああ!
かばってくれてありがとう轟少女!
でも最後のは火に油注ぐやつ!!
「ほぅ……先ほど恋愛トークがどうとか聞こえたがな」
「男性と女性が集えば、まず高確率で出てくる話題らしいですよ」
放っておくと室温がどんどん下がってくる(おかしいな轟少女の個性は炎だ)ので、震える声で何とか口を挟んで収集をつけることに成功した私グッジョブだ。時間は有限、を掲げる相澤くんはこれ以上時間を無駄にしたくないのかもしれない。視線は非常に厳しいものを感じたが最終的には「さっさと片付けて業務再開だ」と息を吐く。
「では八木先生。わたしは行きます。労働に」
「ああ。頑張ってね」
「先生はどうぞごゆるりとおくつろぎください。さっき紹介し合った大スペクタクル映画を鑑賞するのもいいかもしれません」
「一日が終わってしまうだろうから、次の休日にさせてもらうよ」
「それは楽しみができましたねぇ」と轟少女。
湯飲みは私が片付けるから、と伸ばした手を制止して出口を促す。
扉の前には眼力で人を攻撃できる相澤くんが腕を組んで待っている。
「またお話できる機会があれば、いいですね」
「そうだね」
私はそう応えた。

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