「失礼します。」
職員室に入ると俺は、さっそく用のある先生を一目で見つけ、彼の元へと足を運ぶ。
「神崎先生。」
「ん?」
その先生の名前は、神崎 孝(かんざき こう)先生。 年齢はまだ若く、去年この学校にやってきた今年で教員歴二年目の新米男性教員。 俺らの学年の数学を担当している、温和で優しい性格の神崎先生。
「錦くん、どうかしましたか?」
「神崎先生。今、時間ってあります?」
「え?」
俺と10cmも差がある高身長。 前髪は七対三で分けてる時が多く、真っ直ぐで癖のないストレートな髪型。 左目の下にある小さな泣きホクロが、神崎先生のチャームポイント。
「数学で解らない問いがありまして。その、神崎先生さえ迷惑でなければ、また教えていただきたくて・・・。」
「え。」
周りの人にはあまり聞こえない声で、遠慮がちに用件を話す俺。 『学年首位の野郎が何を言ってるの?』 そんな風に思われるのは、神崎先生だけでいい。 それを俺の口から言われた神崎先生は、少しだけ驚いた色に顔を染める。 けれどそんなことは一切口にせず、そっと静かに席を立つ。
「いいですよ。今日はちょうど、どの部活動もお休みですから時間もありますし。」
「ありがとうございます!よかった・・・、断られなくて。」
「錦くんたってのお願いを断るわけありませんよ。それじゃあ数学準備室に行きましょうか。」
そして嫌な顔を一つ見せず、二つ返事で了承してくれた。 向かった先は、数学準備室。 普段から誰かが立ち寄る場所ではなく、自分のクラスでやるより静かで集中しやすい教室。 けれど今日に限ってー・・。
「!」
「!!」
「・・・・・・。」
俺のクラス担任の男性教員と、違うクラスの男子生徒が先取りしていたのだった。
「あわわっ。神崎先生に錦くんじゃないですか!?ど、ど、どうしたんです?こんな場所に。」
「・・・・・・。」
何かを必死に誤魔化そうと、イソイソする担任。 そしてもう一人は極力こっちを見ないように、背を向けたままでいる。 『どうしたんです?』は、まさにこっちの台詞である。 どうしたんです?こんな場所で。ナニをしていたんですかー・・って。
「・・・に、錦くん?他の場所に行きましょうか。」
そんな二人を見て、さすがの神崎先生も状況を把握したのか。 表情をカチコチに固まらせたまま、クルッとUターン。
「えぇ、そうですね。」
それに合わせ、俺もクルッとUターン。
「待って!お待ちなさい!神崎先生!!」
「神崎先生。オレらに変な気を遣う必要なんてないですから、どうぞ中に!」
「いえいえ、どうぞごゆっくり。お邪魔致しました。」
「・・・お邪魔しました。」
「あぁぁ、錦くんまで。待ってよ!待って!待ってってば〜!」
同僚と理事長の孫に、不祥事を目撃されたせいか。 担任と違うクラスの男子生徒は青ざめた顔色で『待って』を繰り返す。 けれど何言われても二人は振り返ることなく、数学準備室から遠ざかって行く。
「ゴホンッ。す、数学準備室は使えなさそうですね。」
「・・・そ、そうですね。」
そして、とにかく何処かへ。 数学準備室ではない別の場所に進み、やっと離れたところで急ぐ足を止めた。
「数学準備室が使えないなら、今日は図書室にしましょうか。あそこなら、まだ静かな方ですし。」
「神崎先生。それなら進路相談室はどうですか?」
「進路相談室・・・ですか?」
次に向かう先を図書室ではなく、進路相談室へと向かわせようと提案する。 あそこは本当に用のある人しか立ち寄らない教室。 受験シーズンでもなければ三者面談シーズンでもない今は、さきほどの数学準備室よりも静かな場所だ。
「そう、ですね。では進路相談室に致しましょうか。錦くん場所、分かります?」
「こっちですよ、神崎先生。」
『○○よりも』という言葉で心惹かれる案に頷き、俺の話に乗っかる神崎先生。 神崎先生は去年、いや今年もか。 別のクラスの副担任をされている。 そのためまだ進路相談室の場所が曖昧なようで、俺を追うように後ろからついて来た。
「あれ?」
少し歩いて、進路相談室へと辿り着く けれどおかしなことに。 何事もなく、この教室のドアが開いたのだった。
「開いてますね。」
「開いてましたね。」
普段、誰も立ち寄らない教室なのに鍵が開いていた。 そのことに少し疑問を抱く二人。 けれど『きっと誰かが閉め忘れたのだろう』と言う俺の意見に、神崎先生はアッサリと納得して、数分も満たずに解決。 特に深く考えず、気にしたのはホンの一瞬だけだった。
「本当に静かな場所ですね。」
「あまり使われない教室ですから。」
中に入ると、さっそく空いてる席に向かい同士で座る。 そして本題に入ろうとしたのだが。
「・・・・・・。」
「ん?」
教科書を出さずに、キョロキョロと周りを見る俺。
「どうかしましたか、錦くん。」
「あ、いえ・・・。」
そんな不審な行動に『どうしたの?』と尋ねる神崎先生。 だから俺は『何でもないです』と、後につけて答えた。 神崎先生が気にしていない。気づいていないのならそれでいいー・・。 そうして神崎先生と俺の二人だけの居残り勉強会が開かれたのだった。 解らなかった問いを、みっちりきっちり丁寧に教えてくれる神崎先生。
「錦くん。正直なこと伺ってもよろしいですか?」
「え?」
「先生に気を遣わず、正直に答えて下さいね。」
「・・・はい。」
そんな中、神崎先生は何を思ったのか。 真剣な顔をして、それを俺に聞く。
「先生の授業のことです。もしかしたら錦くん。錦くんにとって先生の授業は解りにくいとこありますか?」
「え?」
「すみません。こうして錦くんに個別で教えるの、前にもありましたから。だから錦くんにとって私の授業は教えがなってないからだと。少々、心配に思いまして・・・。」
まだ教員歴が浅い二年目の神崎先生。 ここでしか言えない小さな不安を打ち明ける。 だから俺は書き進めていた手からシャープペンシルを机に置き、
「いえ、そんなこと・・・っ!そんなんじゃないです。」
素直に正直に、訳を話す。
「俺、実は数学、あまり得意な科目ではないんです。だから、その・・・っ。」
「え?あ、でも錦くん。錦くんはそれ以外は勿論、数学だって見ている限り、いつも。」
「・・・・・・。」
「・・・そう、だったんですか。すみません。先生が未熟なばかりに、とんだ無礼をお聞きしてしまって。」
「いえ、謝る必要なんてないですから。それに俺の方こそ、なんだか神崎先生に迷惑をかけていたみたいで。・・・本当にごめんなさい。」
真剣に聞かれたのだから、真剣に答えるのが人の筋。 これが成績優秀やら頭脳明晰やらと謳われていた男の隠されていた事実。 それを打ち明けられたのは、きっと相手が神崎先生だったからだろう。
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