俺の机と隣の席の机を向かい合わせにくっつけて、数学のノートと教科書を広げる。 そしてかつて神崎先生に教わった通りのやり方を思い出しながら真似をする。 及川のノートの取り方は予想以上に綺麗にまとめられていて、字も及川専用フォントといった独特の感じで普通に解読できた。 その張本人の栗毛野郎は、ずっとさっきから顔をわくわくてかてかさせて、ハニかんでいるようにも見える。
「えへへ。なんか緊張してきちゃった。こうして浬くんと一緒に居残って勉強見てもらえるなんて。」
目はキラキラ。 顔はつやつや。 呆れるほど気持ちの悪い表情。
(・・・・・・。)
そんな及川を警戒しつつ、さっさと用を済ませたいので触れないようにしていた。
「ねぇ、浬くん。」
「ん?」
「『ハルくん』でいいよ。浬くんに僕、『ハルくん』って呼んでもらいたいな。」
(まだソレ言うか。)
「それで及川くん、ここの問いはー・・。」
「即答で無視ィ!?シカトぉ!?また『及川くん』呼んだぁ!!ハルくんって親しみと愛をこめて呼んでほしいのにぃ!!」
「及川くん?真面目にやらないと俺、帰るよ。」
「真面目にやってるよ!僕はいつだって真面目!今だってこうして浬くんとお近づきになりたくて、真面目に親交を深めようとしてたのに!!」
(しなくていい!!)
及川の口から、グチグチと愚痴が次々と。 俺の口からは「はぁ・・・」と疲れた溜息ばかりが零れた。 すると、
「あの、さ。・・・浬くん。」
いきなり及川の手が止まる。 そして真っ直ぐとした目で俺を見て、とあることを尋ねてきた。
「この間。僕と浬くんと大瀬たちで映画観に行ったじゃない?その時、浬くん直ぐに席外したよね。」
「え。」
「その離れていた間・・・、浬くん。何をしていたの?」
それは、ついこの間の話。
「浬くんが席を立った後、僕も浬くんの後追ったんだよ。あの時、浬くん顔色あまりよくなさそうに見えて心配・・・だったから。」
「・・・っ。」
「そしたら浬くんと神崎先生が一緒にいるところを見ちゃって・・・。」
まさかの話に動揺した俺は言葉が詰まりかける。 あの時のことを、どこまで及川に見られたのだろう。 もっと周りを注意するべきだったと、今更ながら遅い後悔をする。 及川に言われた言葉を探りながら、警戒心を強めた。
「あの時は偶然、だよ。」
「・・・・・・。」
「偶然、神崎先生と鉢合わせて俺を介抱してくれただけ。」
如何にもそれらしいことを話す。 この口は、いくらでも誤魔化す気でいた。
「そっか。・・・そう、だよね。神崎先生、あの日は奥さんとデートしてたもんね。」
「・・・うん。」
「僕もそう思ったから、あとは神崎先生に任せて直ぐ席に戻ったんだ。本当あの時、心配したんだよ僕。」
すると及川は、それで納得してくれたのか。 真剣に訊いてきたわりには、アッサリと頷く。 けれど俺はこれ以上、その話について触れてほしくなかった。
「及川くん、ここまででいいかな。」
「ん?」
「俺、その、ちょっと急ぎの用あったの思い出しちゃって。」
「あ、そうだったの?ごめんね浬くん、それと教えてくれてありがとう。すごく助かったよ。」
まるでここから逃げるかのように。 ササッと荷物をまとめて帰ろうとした。
「ねぇ、浬くん。」
そのときー・・。
「キミ、本当は分かってるんだよね。」
雨空から眩しい光が一瞬。 ゴロゴロと激しい音を立てた雷。 そしてザーッと地面を強く打ち始めた雨。 さっきまであんなに静かだった雨が、一気に荒れ崩れたのだった。
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