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 言えば彼は困るだろう。それは難しいと言うのだろう。だからこれでも我慢している方だ。いきなり家に行きたいと言ったところで一瞬で拒否されるだろうから、今の今までずっと言い出さなかった。
 線香花火の束の中から、お互いに自分で一本選んで引き合った。さあ、ここからが問題だ。風はさほど強くない。風の吹く方向に背を向けて、高月がつけたライターの火に二人同時に線香花火を近づける。
 シュボッと音がして火がついた。勢いよく燃えたあと、玉ができてそこから細かな火花が散っていく。本当に花が咲くように綺麗で、一瞬勝負を忘れて見入っていた。
 火花の勢いがだんだんと弱くなっていく。ちらと見た高月の花火は、まだ鮮やかな花を咲かせていた。

「えっ、やだやだ、だめ! もうちょっと、もうちょっとだから!」
「鳴海、約束は守れよ? 二度はないからな」

 勝ち誇ったように高月が笑う。
 事実、梨緒の方が先に終わりを迎えそうな様子だった。火花は僅かしか出ていない。
 ――けれど、諦める気はない。梨緒は高月専用の魔法の言葉を知っている。

「ひろちゃん」

 呼びかければ、すぐ隣に屈んでいた高月の顔がこちらを向いた。手は動かさないようにしっかりと意識しながら、少しだけ腰を浮かせて暗がりの中に浮かび上がる柔らかい唇に触れた。強ばる身体を追いかけるように、重ねたままの唇で紡ぐ。

「――ひろひとさん」

 どさ、と高月が後ろに倒れて尻餅をついた。その足の間に、まだかすかに火花を散らす線香花火の玉が落ちている。
 限界まで瞠られた瞳の前に未だ垂れ下がる火玉を持ち上げて、梨緒は屈託なく笑った。

「わたしの勝ち」

 ずるいと言うだろうか。反則だと抗議されるだろうか。だけど、キスをしてはいけないなんてルールはなかった。別に今のは、邪魔するつもりでしたんじゃない。ただ、したかった。それだけだ。
 梨緒の線香花火も、高月のものを追いかけるようにしてすぐに落ちていった。瞬時に消えていく炎には切なさを感じるが、今はお互いにそれどころではないだろう。

「鳴海、おまっ、反則だろう!」
「二度はしないって、ひろちゃんが言ったんだよ? だから、はい、約束」
「無効だ! バカバカし、」

 マナー違反は承知の上で持っていた花火をその場に落とし、代わりに少し汗ばんだ肩を掴んだ。ゴミはあとで回収するから許してほしい。
 広い肩だ。立てられた膝と腹の間に滑り込むように押し入って、騒ぐ口に指先で蓋をする。この手は火薬の匂いがしているのだろうか。男の人だというのに存外柔らかな唇を触るのは、想像よりもずっと楽しかった。

「大きな声出しちゃだめ。近所迷惑になっちゃうよ」
「分かったからどけ」
「やだ」
「鳴海!」
「りおだよ、ひろちゃん」

 今もなお鍛えているのか、触れ合った身体には硬い腹筋の感触がある。体温が互いを行き来し、吐き出した息が相手にかかるこの距離は今までにないものだった。
 たった二文字でいい。そう難しくはないはずだ。流れるように美しい英語を生み出すその口で、たった二つの音を紡いでくれればいい。
 高月は様々な感情を大鍋で煮込んだような顔をして、唇に触れる梨緒の手を掴んで離した。掴まれた手首が熱い。伝わる熱を受けて走り続ける心臓の音は、彼には聞こえているのだろうか。
 できることなら離してほしい。そうしないと、緊張と期待に震える身体がばれてしまう。
 高月しか見れない。大人の、大人らしい葛藤を繰り広げているその表情を、眉の一本一本すら見落とさないように見つめることしかできない。
 やがて、かちりと視線が重なった。ざざん。波の音が大きくなる。

「あんまりせかすなって言ってるだろう。……梨緒」

 掠れたその声に、言うなり逸らされた視線に、泣きたくなった。じわりと目の際が涙で滲んでいく。掴まれた手は、大して力を入れなくてもふりほどけた。
 震える両手を首に回す。抱っこをせがむ子どものようにしがみついて、そこでようやく忘れていた呼吸を再開させた。


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