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 残念ながら担任は外れたものの、そんなものは梨緒には大した障害にはならなかった。なにしろ、彼は梨緒のクラスの英語の担当教師なのだ。入学当時は他の教科と同様に地を這うレベルの英語力だったが、それを逆手に取って高月のもとに通いつめた。
 他の生徒は友永に流れているから、競争率も低い。むしろライバルは皆無と言っても過言ではなく、落ち着いて二人きりの時間が得られたのだ。
 最初は、なんとか苦手を克服しようとする熱心な生徒として近づいた。教科書を片手に飛び込んでくる梨緒を高月は不思議に思うことなく受け入れ、勉強以外の話題でも会話が弾むようになってくるまで、約二週間。
 加奈と「勝った方が友永の、負けた方が高月のメアドを聞いてくる」という小さな賭をして、無邪気な高校生のノリであっさりと連絡先を手に入れたのが、入学から約三週間。
 最初は、分からないところだけをメールした。そのうち、好きな本の話になった。オススメの作家を教えてもらって、興味があると言って本を貸してもらったのが、出会ってから二ヶ月が経った頃だ。借りて読んではみたものの、活字の苦手な梨緒は半分も読まないうちに寝てしまったけれど。
 そうして梨緒が徐々に距離を詰めていくことに、高月は気がついていないようだった。警戒心など砂粒ほども持たれていないのだから、やりやすい。放課後はなにかと理由をつけて高月のところに顔を出し、できるだけ長い時間を過ごすように心がけた。
 入学から半年も経てば、休日に二人で会うことも稀にあった。この時点で気づいてもよさそうなものなのに、高月は案外鈍かったらしい。休日も勉強に励む生徒として梨緒を褒め、向けられた感情が憧れ以上のものであると思いもしていないようだった。
 しかし、場所が図書館からやや遠方の水族館ともなると、さすがに高月の方もおかしいと思い始めたらしい。この頃になると、もうすでにメールの内容は教師と生徒の枠の外にあったからだ。

『ひろちゃん、すき』

 初めて好きだと言ったのは、高月が車で家の近くまで送ってくれたそのときだ。あのときは確か、ハロウィンのイベントを見に行った帰りだった。
 告白はしたが、答えは求めなかった。薄暗い車内に浮かぶ高月の驚いた顔に満足して、弾むようにして梨緒は車を降りたのだ。それ以来、何度か思いを告げ、一時の気まぐれだと思おうとする彼の退路を、少しずつ封じてきた。
 そして、今から半年前。クリスマスを二人で過ごし、遠方の神社に初詣に訪れたその日、ついに高月は二人の関係の名前を書き換えることに同意したのだ。

「花火は無理でも、ひろちゃん、海行きたくない?」
「海? そんな人の多いところは無理に決まってるだろう」
「夜の海だよ。そしたら人も少ないし、花火だってできるかも!」
「夜って言ったってなぁ」
「泳がなくてもいーの。ひろちゃんと海に行きたいの。……だめ?」

 シャツを握って下からそっと見上げれば、高月の目が右に左にふよふよと泳いだ。こうなればもう少しだ。あともう一押しで、彼は流される。
 薄汚れた布一枚隔てた世界で、一体なにをやっているのだろう。この向こうには日常が広がっているというのに、たった一枚のカーテンが秘密を作る。
 学生時代はスポーツをやっていたという高月の厚い胸板に静かに頭を預けて、梨緒は頬を擦り寄せた。

「……ひろひとさん、おねがい」

 頭上に降ってきた潰れた蛙のような呻き声に、梨緒は己の希望が叶ったことを確信した。


+ + +



「見て見てひろちゃん、イカだよ! おいしそう〜!」

 青い光に照らされて、白いスカートが海の色に染まっていた。
 海沿いに建てられた小さな水族館は高校から離れた場所にあるのもあって、ここならば姿を見られることもないと踏んでいる。以前にも訪れたことがある場所だが、人目を気にせず楽しめるのならどこだってよかった。
 待ち合わせはいつもと同じ、学校から二駅離れた駅直結のショッピングモールの駐車場だ。ショッピングモール自体は同じ高校の生徒もよく利用するが、駐車場となれば遭遇率はぐんと下がる。車の場所をメールしてもらってそこに向かっていると、一歩進むごとに心臓が跳ねていく。ドキドキそわそわと落ち着かなく、自然と顔が綻んでいて幸せを噛みしめている自分に気づくのだ。


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