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 古い紙と、インクの匂いがその場を満たしている。飴色になった本棚にはたくさんの本が詰まっていた。どれもぼろぼろで、本棚にもところどころ歯抜けが見られるけれど、それでもかなりの数がある。

「ここはなに?」
「知らずに入ってきたのかい? 見ての通り、ここは本屋だよ、少年。せっかくだ、ゆっくりしていくといい」

 優しい風貌にはちょっと似合わない、どこか男っぽい口調で女性は笑い、「押してくれてありがとう」と見上げてきた。どきりとして慌てて手を離す。

「本屋って……こんなところ、買いに来る人なんかいるの?」
「いるさ。まあ、ごく稀にだけどね。大体は立ち読みか盗みかな。君はどっちにする?」
「僕は盗んだりなんかしないよ!」
「冗談だよ、そう怒らないでおくれ」

 くすくす笑って、女性は店の奥まで車椅子を進ませる。少年の手を借りずとも、重たい車椅子はあっさりと動き出した。
 意地悪だ。膨れっ面で恨みがましく見れば、彼女は「ごめんごめん」と笑って、近くの棚から一冊の本を抜き出した。赤ちゃんでも扱うように本を抱くその仕草に、またしても少しだけどきりとする。

「物語はどんな夢でも見させてくれるからね。空を飛びたくなったり、かわいいお姫様を助けたくなったりしたら、みんなここに来るのさ。少年はどんな夢を見たい?」
「えっ? 僕は……」
「とはいっても、君のような少年には、この本屋は少し退屈だろうけれど。おうちの本棚の方がうちよりずっと立派に埋まってそうだ」

 そんなことはないと言い切れなかった。彼女の言うとおり、家の書庫の方がずっと立派に違いない。

「なんで分かるの?」
「見れば分かるさ。上等な服に靴底の抜けてない靴。仕上げにその匂いだ。毎日風呂に入ってるんだろうね。やさしいミルクの匂いがする」

 急に恥ずかしくなって、少年は話題を変えようと必死に頭を動かした。ぐるぐるぐる、歯車が回る。

「あっ、ねえ、そうだ、六番街の路地裏の秘密って知ってる? そのことについて書かれた本、ない?」
「路地裏の秘密? さて、そんなものは知らないな。そもそも秘密なんてものは、秘密にしているから秘密なんだよ」

 悪戯っぽく笑われたが、ここで訳が分からないという顔をするわけにはいかない。分かったふりで飲み込んで、「じゃあ、」とすぐさま切り出した。

「じゃあ、十年前の隕石の本は? 七番街に落ちたってやつ!」

 ほんの一瞬目を丸くさせて、彼女は「それなら……」と少年のすぐ隣の本棚を指さした。

「そこの上から二番目の棚に何冊か入ってる。台がいるなら後ろにあるよ」
「いいよ、平気! ありがとう」

 棚に手をかけ、うんと背伸びをすればなんとか背表紙の尻に指先が届いた。震えながら時間をかけて取り出した本は、本そのものこそ古くなってはいたものの、きちんと手入れされているのか埃一つ被っていなかった。棚にしがみついていた手も綺麗なままだ。安心して本を開く。
 少年が本に目を通す間、女性はお茶を淹れて、椅子を勧めてくれた。遠慮なく座って出されたお茶を片手に、小難しい本の文字を追う。ほとんど分からない言葉で溢れていたけれど、それでも、分かっているふりをして読み進めた。
 一つの章が終わって一息ついたところで、彼女が紅茶を啜りながら言った。

「少年はどうして、そんな本を読もうと思ったのかな」
「六番街のひみつを、解き明かそうと思って」
「それじゃあ、秘密ってやつは隕石なのかい?」
「それを今調べているんだよ!」

 なるほどねぇ。彼女は目を細めて、割れたガラス窓を見つめていた。なにか見えるんだろうかと思って少年も首を巡らせたが、別になにも変わったものはない。カーテンとガラスの向こうに、薄汚れた路地裏の壁が見えるだけだ。
 それにしても、彼女はどうしてこんなところに一人でいるのだろうか。六番街の治安の悪さは話に聞いている。足の悪い女性一人では心もとないだろうに。

「ねえ、お姉さん、家族は?」
「家族? 家族か。いないよ。随分と前に亡くしてしまったから」

 優しい笑顔でそう言われて、どう返せばいいのか分からずに困ってしまった。謝ればいいのだろうか。しかしそれも違う気がして、結局少年は違う言葉を選んだ。

「えっと……、それじゃあ、いまは一人で住んでいるの?」
「そうなるかな。夜になるといろんな人が店で寝泊まりしていくけれど、住んでいるのは私一人だよ」
「……それって危なくない?」
「そうかい?」
「そうだよ! だってお姉さん、足が悪いし、この辺りは危ないって聞くし! ――あっ、そうだ、うちの近くに引っ越しておいでよ! そこで本屋をすればいいよ。一番街なら安全だよ!」

 父が貸していた小屋に入っていた自転車屋は、つい数週間前に店主が病気で倒れて店を畳んだところだ。そこに新しく店を構えればいい。
 一番街ならわざわざ本屋に盗みに入るような人間もいないから、きっと安全だろう。空気も綺麗だし、今よりもずっと快適に暮らせるのは間違いない。
 これ以上はないくらいいい提案だと思ったのに、彼女は驚いたように目を丸くさせて、それから困ったように笑った。

「驚いたな。いいところの子だとは思っていたけれど、まさか一番街の子だったとは。そんな少年がどうして六番街の、それも路地裏なんかに来たんだい? パパとママに怒られるだろうに」
「それは……、だから、路地裏のひみつを知りに来たんだよ」

 話を誤魔化そうとしているのが分かって、少年はむっと唇を尖らせた。


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