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*ボイスドラマ「α.night〜始まりの夜〜」登場キャラクター



「ほらほら、なーにちんたらやってるんですか、カイルさーん! 置いてっちゃいますよーう!」

「ちょっ、しお、栞っ! 待てって! くそっ、なんだよこの乗り物!!」

 自転車ですよーう!
 きゃっきゃとはしゃいでペダルを踏み込む栞は、いつもの白拍子姿とは違い、白いワンピースを纏っていた。長い黒髪は頭の高い位置で一つに結ばれ、ワンピースの裾と一緒に風に煽られている。
 潮の匂いが顔いっぱいにぶつかった。目の前に見える海の青さに栞はすっかり虜になっているようで、自転車に慣れず悪戦苦闘しているカイルのことなど知らんぷりで前に進み続ける。風が汗ばんだ肌を撫で、それを追うようにさらに汗が流れた。
 太陽の光が容赦なく肌を焼き、うだるような暑さが体力を奪っていく。どこまでも続いていそうな青空は確かに美しいが、この暑さでは自然と頭が下に向く。カイルが視線だけで追った栞は、額や首筋に玉の汗を浮かべて幸せそうに笑っていた。

「カイルさーん! はーやーくー!」

 最初の事件以来、カイルは時折、臨時ブックマーカーとして無理やり本の世界に引きずり込まれる生活を送っている。迎えに来るのは栞と決まっていて、彼女はそのたびに一冊の本を抱えて唐突に目の前に現れる。
 あるときは光と共に。あるときは風と共に。
 元気だけが取り柄のへなちょこブックマーカーは、いつだってへらへら笑って手を引くのだ。「カイルさん、行きますよ!」その後ろにはあの食えない門番、キールがいるに決まっている。断ろうとすれば、どこからともなくあの声が聞こえてくる。「あっれ、カイルくーん、いいのかなー? カイルくんの恥ずかしーい日記、世界中に発信しちゃうよー?」
 カイルの子供時代の姿を借りたあの男は、それでいてカイルにはない憎たらしさでけらけら笑うのだ。
 本来なら固有の名前を持たないはずの彼らは、カイルと会うときは以前と同じように「栞」と「キール」で現れる。栞の話を聞くに、固有の姿を持たないはずのキールは「あれ」以来、ずっとその姿と名前でいるらしい。元が自分の姿なだけに、カイルからすればなんとなく複雑な気分だ。

 ブックマーカーの主な仕事は、本の世界の管理だ。
 物語が正常に進むようさり気なく調整したり、迷い込んできた外界の人間を手助けする役割を担っている。かつてはカイルも迷子の一人だった。誰もが知っている有名な童話の中に迷い込み、文字通り死ぬ物狂いで本の世界から脱出したのだ。記憶の中にあった登場人物達の性格と、実際に会った彼らの性格はかなり違っていたのは、今となってはいい思い出だ。
 物語には必ず鍵がある。物語に生まれた歪みを正し、ブックマーカーはその鍵を読み取ることで任務を完成させる。
 そのためには、ある程度物語の予備知識が必要になってくるが――。

「栞! お前っ、この物語の鍵がなんなのか、分かってんだろうなぁ!?」

「え? なんて言ったんですかー? 聞こえませーん!」

 へなちょこブックマーカーは、相変わらず得意分野以外の物語には無頓着だった。
 暑さも増して、ぐっとカイルの身体が重くなる。「なんとかなりますよーう」などという能天気な笑い声に怒鳴りつける気力はもうすでになく、ただひたすら彼女の背を追い続けるしかなかった。
 ――もうこれで何度目だろう。
 しかし、こうして振り回されながら物語の中を旅することがまんざらでもない。そんな風に思っている自分に気づいたとき、カイルは図書館で思わず叫んでしまい、恰幅のいい図書館長に容赦のない鉄拳制裁を喰らった。
 適当に自転車を停め――カイルはそれすら一苦労だったが――、靴を脱ぎ捨てて砂浜を走る栞を慌てて追いかける。白いワンピースの裾が踊る。健康的に引き締まったふくらはぎが目に飛び込んできて、どきりと胸が音を立てた。顕わになった二の腕も、海に入るために裾が持ち上げられて見える太腿も、普段の栞の服装ならば覆い隠されている部分だ。慣れない。――目の毒だ。
 そんなカイルの気持ちなど知る由もない彼女は、きゃっきゃと声を上げて波を蹴っている。素足に跳ね飛んだ飛沫が、太陽の光を受けてきらりと輝いた。

「ほらほら、カイルさん! 気持ちいいですよー!」

「うわっぷ! げほっ、かっら、……くっそ、やりやがったな栞ぃ!」

「あっははー、ぼーっとしてる方が悪いんですよ! そーっれ!」

 裾が濡れるのも構わず、栞は両手でカイルにばしゃばしゃと海水をかけてくる。最初の一撃で鼻に入ったせいで、未だに鼻の奥がツンと痛む。カイルは悪人面と呼ばれるその顔をにやりと意地悪く歪めた。途端に栞の頬が引きつる。


 そうかそうか、分かってんじゃねーか。



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