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「腕落ちたんじゃねェの、ハゲ!」
「誰がハゲだ誰がッ!!」
「お前しかいねェだろボケてんじゃねェよ、ハゲ!」
「ハゲてねぇよふざけんな!」
「じゃあ脱毛予備軍だな。未来のハゲ!」
「そういうお前は短足だろうがッ!」
ヒュウガが見れば「ガキのケンカ」と一蹴されそうな応酬だが、アカギもナガトもいたって本気だった。あとから冷静に振り返ってみればくだらない内容だと思うが、やっているときは真剣そのものだからどうしようもない。怒りに勢いづいた罵詈雑言が再び唇から飛び出そうとしたそのとき、その場に似つかわしくない軽い破裂音が漏れ聞こえた。
小さな小さな破裂音。そして零れた、小さな笑声。
銃口を見つめ合わせたまま、二人の軍人はその音源に目をやった。
「ふふっ」
こらえきれずに噴き出したらしい穂香が、ナガトの腕の中で歯を出して笑っている。二人の視線に気づくとあっという間に笑声は引っ込んでしまったが、それでもはっきりと聞いた。
顔を真っ赤にしてすまなそうに目線を落とす穂香の頭を、柔らかく微笑んだナガトの手が優しく撫でる。すでに銃口はこちらを向いていない。
「笑っちゃうほど面白かった?」
「す、すみませ……」
「なんで謝るの? あのバカは笑ってやってこそ輝くんだよ?」
「お前のウザさに笑ったんだろ」
「いや、お前の」
「ふざんけな」
そのやりとりにまたしても穂香が噴き出して、アカギもナガトもすっかり毒気が抜かれてしまった。
「……ま、なんにせよ。大丈夫だよ、ほのちゃん」
「え?」
「お姉さんも、きみのことも、ちゃんと守るから。だってそれが、俺らの仕事だからね」
たかが小娘二人を守る気などないと言っていたのと同じ口で、よく言うものだ。
それでもナガトのその言葉に偽りはなく、それを読み取ってしまえる自分に嫌気が差す。
「怖いよね。不安だと思う。守ってやるって言いながら、こんなもん渡されて自己防衛しろだなんて、無責任だとも思ってるよ。でも、お守りだと思って持っててよ。きみが戦う必要はない。テールベルト空軍の誇りをかけて、絶対に助けに行く。ね?」
腰をかがめて目線の高さを合わせ、ナガトがふわりと微笑む。これが手口か、そうか。
関心半分呆れ半分で見ていると、気恥ずかしそうに逸らされた穂香の視線とかち合った。案の定、すぐさま目が逸らされてしまったけれど。
随分と痒い台詞だ。「テールベルト空軍の誇りをかけて絶対に助けに行く」だなんて、自分には一生吐けそうにもない。どうしたらそんな台詞が自然と口を突いて出るのか教えてもらいたいものだが、教授されたところで実行できるはずがないのだから聞くだけ無駄だ。
泣きそうなほど歪んだ穂香の頬をそっと撫で、ナガトは囁くように言った。
「あのね、きみみたいな反応が普通なんだよ。怖くて不安で、どうしようもなくって。奏がちょっと異常なんだ」
「それは言えてら」
「だろ? ――ほらね? アカギもそう言ってるし」
だから、泣いて喚いてもいいんだよ。
とろけるような甘い声。これに女は弱い。苦い思い出がよみがえり、アカギは思わず舌を打った。結婚すら考えていた恋人が実はナガトの“彼女の一人”だった過去の話など、どう考えても今思い出すものではない。
忌々しい記憶を無理やり追い払うように頭を振れば、視界の端で予想通り穂香の顔は赤く染まっていた。まるで、正常な林檎のようだ。真っ赤に色づいた、艶やかな赤林檎。
ほろり。透明な雫が頬を滑り落ち、ナガトの指先がそれを拭う。「大丈夫だよ」耳の奥にこびりつくような声に、嗚咽が重なっていく。ああもう、居心地の悪い。
やっぱり穂香は苦手だ。これならば、奏の方が幾分か接しやすい。
泣きはらした穂香の目を見れば、奏がまたうるさく騒ぐだろうことは容易に想像がついた。そのときに、なぜか自分が怒鳴り散らされるのだろうということも。
「大丈夫だよ、ほのちゃん。泣いてもいい、喚いてもいい。俺らが必ず、もう一度きみを笑顔にしてあげるから」
これだから、女は苦手なんだ。
優しい言葉に、簡単に騙される。
――その本質がどこにあるのかも知らないで。