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* * *



 緑の世界、白の世界。
 かつて色溢れる世界は砕かれ、白に呑まれて悔恨の闇に包まれた。
 人々は嘆き、悔い、悲しみ、その先に、再びの緑を求めた。
 緑は、希望の色。
 緑を求め、彼らは何度でも飛ぶ。
 いつか花咲く、その日まで。


* * *



 ヒュウガに連れられてやってきた青年の正体を聞いて、穂香と奏は唖然として二の句が告げなかった。数拍の間を置き、「うっそぉ!」と悲鳴にも似た声を上げたのは奏の方だ。同感だ。説明されたところで、すんなりと飲み下せるはずもない。
 目の前のこの長躯の青年が、あのハインケルと同一人物だなんて。

「正真正銘、この方はハインケル博士よ、奏。自ら開発なさった薬の副作用で成長が止まってらしたんだとか」
「いや、え、でも、えええ……? そんな、漫画じゃあるまいし」

 苦笑するミーティアの前で奏が呟いたのは、有名な探偵漫画の主人公の名前だった。彼も薬の影響で身体が縮んだという設定だったが、そんな現象が現実にもありえるだなんて到底思えない。いくら信じられずとも、こうして目の前に突きつけられてしまえば否定のしようがなかったのだけれど。
 すっかり見上げなければならなくなってしまったハインケルは、成長しても変わらず長い前髪の隙間から、青い瞳を伺うように覗かせていた。「めっちゃイケメンやん」感心しきりの奏の呟きを拾ったのか、彼の耳がほんのりと赤く染まっていく。
 ミーティアもハインケルも、果ては鳩のスツーカでさえ、どこかしらに怪我をしているような状態だった。非戦闘員の彼らですら、無傷でいることは難しい状況らしい。
 すっかり大人の風貌になってしまったハインケルの傍にいるのはなんとなく落ち着かない気分になって、穂香は奏の傍にぴたりと寄り添った。一通りの説明を聞いている間も、目は何度もモニターと彼らの間を往復する。

「外はどんな感じだったよ、ヒュウガ」
「このままだとキリねぇな。核の具合はどうだ? 変わりあったか」
「いんやー。ザコはわんさか湧いてくっけど、大元は全然だな」

 艦長同士の冷静な会話は、穂香の胸に淀みを生んでいく。濁った泥水を嚥下したような、胃がぐるぐると重く蠢く感覚に襲われた。
 この艦を出る際、アカギは一度だけ穂香の頭を撫でていった。ナガトのように、なにかを約束してくれたわけじゃない。それどころか、言葉一つくれなかった。
 付き合いはそう長くはないし、深く知っているわけでもない。それでも、彼がこういうときに言葉でなにかをくれる人ではないということは、なんとなく気がついている。
 彼がどんな気持ちで穂香を守ってくれているのかだなんて、そんなことは分からない。自惚れるつもりもない。ただ、彼が守ってくれる。それだけで今は十分だ。

「なあ、大元の核って、どうやったら現れるん?」
「強力なフェロモンでもばら撒いておびき寄せるしか手はなさそうね。かなり知能も発達しているようだし、このままでは親は警戒して寄ってこないわ。今この場で起きていることには、どれもこれも前例がない。許されるならお手上げって言いたいところだわね」
「強力なフェロモン?」
「ええ。リスクを冒してでも喰らいつきたくなるほどの餌があれば、あちらも寄ってくるでしょうけど」

 ミーティアは端末に浮かんだグラフを見て苦笑した。「とはいえ、そんな危険な餌は──」言いかけた彼女の台詞を遮るように、ハインケルが端末画面に指を滑らせる。
 表示されるデータが変わる。なにを示しているのか、穂香にはこれっぽっちも分からない。代わりに、ミーティアの眉間にきつい皺が刻まれた。

「基本的には、君にしたのと似た方法だ」
「え? なにが?」
「ちょっと、ハインケル博士!」
「誘引剤は、ヒトの身体に入れて初めて作用する」

 気色ばんだミーティアが止めるのも聞かずに、ハインケルはまっすぐに奏を見つめている。言葉の意味を咀嚼するのに、十秒ほど時間を要した。
 ──つまり彼は、囮が必要だと言っているのだ。生餌が必要だと、そう言っている。

「え、ちょっと待って、そしたら、……そしたら、その薬入れて外に出たら、……奴は出てくるん?」
「無駄よ。アナタには、もうすでに白の植物が反応するフェロモンを投薬してる。新しい誘引剤なんて入れたら拒絶反応で倒れるのがオチよ。言ったでしょう、相手は進化しているの。仮に倒れなかったとしても、妙な匂いのする餌に警戒されて親は来ないまま、子に喰らい尽くされるのが関の山よ。──それくらい、ハインケル博士にもお分かりでしょう?」

 あのミーティアが反対のそぶりを見せたことに、穂香も奏も驚きを隠せなかった。彼女であれは効率を優先するかと思っていたのだが、どうやらよほど危険なことらしい。
 自分達の仕事をこなしつつも、艦長達もこちらに耳を傾けているのが分かる。
 ハインケルが、そっと前髪を掻き分けた。露わになった青い瞳は、半ば覚悟を決めた奏から穂香へと移動する。青年の腕の中で、くるぅと、鳩が鳴いた。

「でも、君なら可能だ」

 椅子に座っているのに、宙に投げ出されたような感覚だった。
 射抜くような強さで見つめられ、穂香は今度こそ言葉を失った。なにを言われたのか分からない。言語変換はされていたのだろうか。ハインケルが言った言葉は、確かに日本語だったのだろうか。
 あんぐりと口を開けていた奏が、悲鳴に近い声で怒鳴った。「そんなんあかん!!」必死の叫びに、ミーティアの声も重なる。「そうですわ、彼女には荷が重すぎます」それも民間人にそこまでさせられない。そう言ったのは誰だろう。


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