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 どういうことか訊ねようとしたところで引き戸がノックされて、学年主任と生徒指導部の教師が何人か入ってきた。あまりの顔ぶれと展開に、穂香の思考回路がパンクしかける。
 父が事故に遭った。それだけでも十分すぎるほどの衝撃なのに、これ以上なにが待ち受けているというのだ。泣き崩れる小牧の肩を抱いて慰める生徒指導部教師の表情は、すっかり強ばっている。彼も動揺しているのだろう。
 「なあ、赤坂」展開についていけない穂香の隣に、学年主任の青木とよが座った。青木は、某魔法学校を舞台にした映画に出てくる女教師にそっくりだと、生徒達の間では噂になっている。ぎゅっと唇を引き結んだその表情は、ますます彼女にそっくりに見えた。
 彼女が本当に魔女ならば、今すぐこの場を明るく染め変えてほしい。そう思うのに、現実は上手くいかない。

「赤坂。小牧先生から、どこまで聞いた?」
「お父さん、が、事故に巻き込まれた、って……。自殺でって、あの、どういう……? あの、まさか、うちの父が……」
「それはちゃう。安心し。……六組の佐原って知ってるか?」

 その名前を聞いて、ついに小牧がわっと声を上げて泣き出した。顔を悲痛に歪ませ、青木が小牧から目を背ける。
 ――六組の佐原。交流はないが、知らないわけではなかった。佐原孝雄とは、英語の発展クラスで授業を一緒に受けていたし、テニス部での活躍で何度か表彰もされていた。
 それ以外でも、彼は有名人だった。その理由が、ここ最近の彼の様子にある。受験勉強のストレスからか、授業中に突然教室を飛び出し、それ以来かれこれ一ヶ月不登校状態だったのだ。
 「このまま退学するのでは」という噂が流れていたから、三年生では彼を知らない者の方が少ないだろう。噂話に疎い穂香でさえ、これだけの情報を持っている。

「その佐原がな、今日、マンションのベランダから飛び降りたんよ」
「えっ……」
「佐原の家は、あんたのお父さんが勤めてる会社の近くで、それで……」

 そこまで聞いて分からないほど、穂香は鈍くなかった。
 父は、飛び降りてきた佐原に巻き込まれたのだ。たまたまか、それとも助けようとしてか、それは分からない。
 けれどきっとあの人は、目の前で娘と同じ年頃の少年が自殺を図った瞬間を、はっきりと見てしまったのだ。穂香は意識が遠のきそうになるのを自覚した。
 父は無事だった。――だが、佐原は?
 言葉にできない穂香の意思を汲み取って、青木が言う。

「赤坂さんがすぐに救急車を呼んで、佐原は病院に運ばれた。……けど、さっき、息を引き取ったって連絡があった」
「そんな……」

 小牧の嗚咽がより一層ひどくなる。
 そういえば、小牧はテニス部の顧問だったことを思い出した。

「それでな、赤坂。……ほんまは、こういうことは言わん方がええんかもしれん。先生らの判断が、間違っとるんかもしれん。でも、いずれ分かることやろうから、あんたに言っとこうと思って」
「なにを、ですか……?」
「佐原が飛び降りたとき、赤坂さんは受け止めようとしたそうや。でも、ぎりぎりで間に合わんかったらしい。……仮に間に合っても、十三階のベランダからやから、二人とも大怪我してるんは確実やった。それでも、少しでも衝撃を和らげることはできて、佐原は即死やなかったんよ」

 幸か不幸か。
 言葉の裏に隠されたその一言に、穂香は戦慄した。

「そのとき、意識のあった佐原が、助け起こそうとした赤坂さんを見て、叫んだんやって。……お前が死神やな、殺さんでくれ……って」

 なにを言われているのか、すぐに理解できなかった。――死神? 佐原は一体、なにを言ったのか。
 意味が分かった瞬間、穂香の中で恐怖と怒りの両方が悲鳴を上げた。

「そんなっ」
「もちろんちゃう! それは、他に目撃者もおるから、ちゃんと分かってる。……佐原は錯乱しとった。やから、その場に居合わせた赤坂さんを、その……死神やなんやと勘違いしたんや。けどな、まあ……」
「……お父さんは、いま……?」
「……病院で警察の聴取受けてるって、お姉さんから電話があった」

 穂香は急に、ここにいる大人達の視線に吐き気を覚えた。
 言いたいことは大体分かる。
 マンションから飛び降りた高校生の傍らに、中年男性が一人。血塗れの男の子が、男性に向かって殺さないでくれと叫ぶ。その光景が人々にどんな印象を与えるか、そんなことくらい、穂香にだって容易に想像がついた。
 いくら事故でも。いくら偶然でも。
 世間はきっと、事実だけを見てはくれない。

「あ、赤坂、その……早退するか? 大丈夫とは言っても、心配やろ? 病院まで送ってやるから、荷物まとめておいで」

 視線を合わせないまま、穂香は無言で立ち上がって頷いた。退室する際、目を真っ赤に充血させた小牧が「佐原くんのこと、内緒にしてね」と声をかけてくる。
 穂香は泣き出さないよう、目の奥に力を入れることに必死だった。誰が好き好んで吹聴するものか。悲しみに暮れる担任は、その言葉がどれほど穂香を傷つけたか気づいていない。
 幸いにも、穂香の使っている二組の教室では授業が行われておらず、誰もいなかった。がらんどうの教室で一人、鞄に教科書を詰めながら思う。
 これからどうなってしまうのだろう。どうしよう。怖い。どうしよう、どうしよう。
 ついこの間まで――そうだ、二週間前のあのおかしな夜まで、事故や自殺はテレビの向こう側で起きている、ある意味“違う世界”のものだった。
 それなのにどうして、こんなにも身近なものになってしまったのだろう。


 病院に向かう青木の車の中で、穂香はたったの一言も口を聞かず、鞄を抱き締めるようにして俯いていた。
 そうすることしか、できなかった。
 やがて不穏の欠片は、日常を奪うべく手を伸ばす。
 そう分かってはいても、今の穂香にできることなどありはしなかった。


【3話*end】
【2014.1017.加筆修正】


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