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「王子様はね、必ずお姫様を助けるようにできてんのよ」
「かっこいーね!」
「そうよ。つまりね、ナガト。お姫様をものにしたいなら、まずはあんたが立派な王子様になんなきゃ駄目なのよ」

 絵本を広げながらそう言った姉に、小さなナガトは無邪気に頷いていたように思う。成長するにつれて「王子様」や「お姫様」などというむず痒い言葉は意識の外に追い出されていったけれど、まさか成人してから自分がそんな風に呼ばれるようになるとは思ってもいなかった。
 テールベルト空軍の王子様。
 広報部が面白がってつけたあだ名が、どうしてか今、重くのしかかってきた。
 グローブもつけずに艦を飛び出したせいで、簡易飛行樹のグリップを握る手は身を切るような冷たさの風に、すっかり感覚を失くしている。下手をすればそのまま落下してしまいかねないほど、指先は冷たく色を変えていた。
 現場の状況の悪さは、空に上がれば一目瞭然だった。
 この山は、急速に白の植物に浸食されている。なにが起きているのかは理解できない。だが、異常事態であることは呑み込めた。小さな山の半分ほどが白く染まっているのだから、これを異常と言わずになんと言うのだろう。
 片手でスコープを覗き、ナガトは決死の思いで奏の姿を探す。
 あれほど強く望んだ木々の緑さえ、このときばかりは邪魔だった。冬の間でも枯れることなく生い茂った葉が視界を遮り、焦燥感を募らせていく。
 奏にはマーカーがついているから、接近すれば反応するように端末を設定してある。それでも肉眼で見つけようと、ナガトは死に物狂いで目を凝らした。
 ナガトにとって、蔓延る白の光景は別段珍しくもないものだ。テールベルトの大半がそうであるし、どこを見ても白の植物が存在することが当たり前の世界で暮らしている。にもかかわらず、この光景には胸が痛んだ。
 ここは違う。この世界は、そうであってはならない。
 あの子は言ったのだ。全部が白く染まってしまっては、面白くないと。
 その通りだ。この世界には色がある。緑は“緑”であって、様々な色を持っている。ここではそれが当たり前なのだ。これから先の未来も、変わらずそうあるべきだと強く思う。
 ――あの子が、楽しめる世界であるように。

「どこだよ、奏……!」

 風を切る音に混じって端末が鳴り響く。奏の存在を探知したのかと思ったが、かじかむ手で確認したモニターに映し出されていたのは、感染者の存在を告げる赤い明滅だった。

「クソッ! 嘘だろ、レベルD感染者なんて……! 奏がいるってのに、」

 感染者探知のアラート音を遮るように、別の音が鳴る。
 そのことに血の気が引いた。グリップを握る手に余計な力が入ったのか、一瞬でぐっと高度が下がり、身体が大きく揺さぶられた。
 冷たい風が頬を叩く。

「なっ……!」

 三つの赤い点が、緑の点を追う。
 逃げ惑う緑は間違いなく奏のものだった。いっそ別人であってほしいと願うほど、二つの色は切迫している。
 ナガトの瞳が限界まで瞠られ、童顔と言われる柔和な顔立ちに、焦りからくる険しさが宿った。髪を振り乱したまま空を滑る姿は、奏や穂香からは想像もできないほど険しくなっているのだろう。
 ――早く、もっと速く。
 壊れそうなほどの操作で簡易飛行樹を操り、風を切って点を追う。
 絶対に間に合ってみせる。もうあんな思いをするのはごめんだった。助けに走って、そこで見つけたものがほんの僅かな血液と肉塊だけだなんて、そんなのはもう嫌だ。
 必ず助けると誓った。だから、無事でいろ。
 気が強くて、いつも背筋を伸ばしてそこに立っているけれど、その実、彼女はただの女の子でしかない。
 端末に映る点はすぐそこだ。一気に下降したナガトの目が、山道を駆け抜ける感染者の背を捉えた。背筋に電流が走るような感覚を覚え、一瞬でナガトの放つ空気が鋭くなる。
 反射的に端末を投げ捨て、腰のホルスターに収めていた薬銃を抜いて弾丸を撃ち込んだ。撃たれた衝撃で、前に吹っ飛ぶようにして感染者が倒れ込む。不安定な状況下での長距離射撃だったが、なんとか射程圏内までは接近できていたらしい。

「なっ……、これ、あいつの……」

 空からでは血にも見えた赤いそれは、見覚えのあるマフラーだ。地面に取り残されたそれを拾い上げたとき、そこにきらめく花のストールピンを見つけてナガトは奥歯を噛み締めた。
 今は感傷に浸っている場合ではない。マフラーを手早く腕に巻きつけ、薬銃を握りなおして睨むように前を見た。


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