2 [ 159/225 ]

『ハルナが、えらくナガト達のことを気にかけててなぁ』

 苦笑交じりの声は、カガにしては珍しい。
 イセは端末を引っ掴み、そのままベッドに身体を横たえた。サイドテーブルの上から枕元へと移動した端末がノイズを拾ったらしく、カガが「あ?」と不思議そうな声を上げる。移動しただけだと告げれば、特に興味もなさそうに「あっそう」と返された。
 硬いマットは、疲れの溜まった身体が沈むことを許さない。
 妻と娘、そしてここよりはずっと柔らかい寝具が待つ自宅には、もう二ヶ月以上帰れていなかった。空渡の間は当然のこと、戻ってきてからも基地内の寮で寝泊まりする生活が続いている。自宅はヴェルデ基地から十分も離れていない距離にあるが、いつ何時緊急招集のかかるか分からない今現在では、ほんの数分も惜しまれるのだった。
 それが建前だと分かっているから、余計にやるせない。上としては、今ここで特殊飛行部の人間――特に艦長クラスだ――を、外に出すわけにはいかないのだろう。それくらいは嫌でも理解できる。
 疲労の蓄積した身体は、横になっただけで睡魔を連れてやって来た。イセももう五十だ。年齢のわりに老けて見られるのは日頃からいろいろ溜め込むせいだと、妻によく言われてきた。
 腕で目元を覆い、カガの声に耳を傾ける。休息を求める身体とは裏腹に、頭だけはいつも通りの動きを見せた。

「暴走させるなよ」

 言ってから失言に気づく。
 カガ相手になんたる失態だ。イセが己に舌打ちするよりも早く、カガが鼻先で笑った。

『ありゃあ大丈夫だ、折れどころを知ってる。どこまでもまっすぐなくせしてな。あいつは忠犬だよ。お前んトコと違って』

 ――そらみろ、油断するからこうなる。
 防御のつもりで構えた盾は、躊躇いなく中心を貫かれていとも容易く砕け散った。砕けた破片が鋭い刃となって突き刺さる。今さら失言を取り返すこともできず、ただただ痛みを甘んじて受け止める。
 カガに嫌味を言ったつもりはないのだろう。だからこそ余計に深く刺さった。昔からこの男はそうだった。お互いまだ若く、カガがイセに対して丁寧な口調で話しかけていた頃から、それはずっと変わらない。
 この男は、笑いながら真理を突く。悪意などなく、ただまっすぐに。

「……ああ、そうだな」

 乾いた笑いさえ出てこなかった。
 カガが溺愛する有能な部下は、まぎれもないテールベルト空軍のエースだ。現役パイロットの中では突出した技量を持ち、その判断力や軍人としての素質は称賛に値する。
 唯々諾々と上の命令に従うだけではなく、己の意見もしっかりと述べてくる。けれど彼は、その上で命令を厳守する。
 ふざけた調子のカガに口だけではなく容赦なく手も足も出すハルナだが、ひとたび任務となれば誰よりも忠実に命に従う。それはまさに忠犬だった。
 だがイセの部下は、忠実には違いなくとも、忠犬には程遠い。

『お前ンとこのアレ、目ぇ離すととんでもねぇコトになんぞー。気をつけろよ』
「言われるまでもない」
『俺達はなすべきことをなすだけだ。上が決めたことにゃ逆らえねぇ。……あーあ、偉くなったら自由度増すと思ってたのになぁ。息苦しくってやんなるぜ』

 いい加減に年相応の落ち着きを見せたらどうかと言いかけて、イセは言葉を噤んだ。これ以上自分の首を絞める気にはなれない。カガにはカガの、イセにはイセの為すべきことがある。
 傍若無人で好き勝手振る舞っているように見せて――確かにその通りではあるけれど――、艦長としての道を外すことのない男。誰よりも“人間らしく”情に厚い男に見えるくせに、その実誰よりも軍人らしい。彼の生き方を羨んだことがないとは言わない。だが、イセは今の自分を微塵も後悔してはいなかった。
 たとえ、優秀な部下を失うことになろうとも。

「お前は、どうする」

 なにをとは言わない。言わなくても分かるだろうという確信があった。
 もしもカガがイセの立場に立ったとすれば、どうするのだろう。イセが抱く葛藤を、この男も同じように抱くのだろうか。
 まどろみさえ裸足で逃げ出すような目つきで天井を睨んだイセの耳元で、カガは少しだけ考えるように長い息を吐き、笑った。

『俺は動かねぇよ。命令されるまではなー』

 ――それが兵隊の役目だろ?
 あっけらかんとした物言いは、それでいてとても鋭かった。



[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

「#オメガバース」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -