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 ごめんね、痛いだろう。ごめん、僕のせいで。何度謝っても、きっとスツーカには届かない。思いを届けるための声を、“今”のハインケルは持ち合わせてはいなかった。
 ミーティアが唖然としてこちらを見つめている。彼女はどこまで“ハインケル”のことを知っていたのだろうか。
 外された左肩を庇いながらよろめくように立ち上がれば、周りの男達が一斉にハインケルを取り囲む。どうせ逃げられないのだから、もう逃げはしない。これ以上余計な痛みを与えられるのはまっぴらごめんだ。
 なんとか自力で立ってはみたが、前屈みでしか身体を支えきれなかった。荒い呼吸が前髪を揺らす。
 随分と背が伸びたものだ。今までのハインケルの視界とは大違いで、それがとても新鮮だった。別にこれが初めての景色でもあるまいに、こんな風に思うのは不思議なものだ。
 ほつれた長い前髪の隙間から、涙を滲ませた瞳が覗く。少年とは呼べない、青年の姿がそこにあった。
 眠る記憶の欠片が揺り起こされる。早く目を覚ませ。急かすその声に、ハインケルは目を開けざるを得なかった。
 肩で息をしながら、ハインケルはドルニエを“見下ろして”言った。

「……渡さない。このデータは、君には渡せない」
「うっわ、なに。急に強気になっちゃって、どーしたわけ? 気まで大きくなっちゃった? やだ、ウザイからやめてよね。渡すとか渡さないとか、そーゆーハナシじゃないの。いーい? あんたの意思なんざこれっぽっちも関係ないの。兄さんのデータをもらったあとは、ぜーんぶ焼いちゃってそれでおしまい。あたしも大手を振って国に帰れるってワケ。お分かり?」
「無理だよ。……無理なんだ、ドルニエ」

 もう、すべてを思い出した。
 眠る記憶が、目を覚ます。


* * *



 奏の住む町からもそう遠くないこの山は、小学生の頃に遠足でも登ったことがある。地元民にはすっかりお馴染みの場所だ。ちょっとしたハイキングにはちょうどよく、舗装された道を進めば木漏れ日が心地よく降り注ぐ、そんなところだった。
 だのに一人で分け入った馴染みの山は、どういうわけかそのまま呑み込まれてしまいそうなほどの不安を煽ってくる。
 風が吹けば木々が揺れ、がさがさと葉擦れの音が嘲笑のように降ってきた。そのたびに身体が竦む。跳ね上がる心臓が恐怖と不安を訴えるが、奏はそのことに気づいていて無視をした。
 足を止めるわけにはいかない。ここで立ち止まってしまえば最後、もう一歩も動けなくなるだろうことは想像がついた。

「だいじょうぶ、いける。大丈夫、大丈夫。よゆーよゆー」

 声には出さず息だけでそう呟いて、縋りつくように薬銃を握る手に力を込める。
 ミーティアに教えてもらった座標の通りやって来たが、空渡艦らしきものは未だに見えてこない。近くにいるのは間違いないだろうが、ナガト達のようにレーダーを持っているわけではないので、正確な位置は分からずじまいだ。どの辺りにいるのか確かめるため、奏は周囲の警戒は怠らぬまま穂香に電話をかけた。
 使い慣れた携帯を操作するだけなのに、いつもよりも時間がかかる。その理由などわざわざ考えたくない。
 呼び出し音は数回で切れた。「もしもし、」続けようとした言葉は、鼓膜をつんざく罵声にあっさり掻き消された。

『このバカ、こっちからのコール無視してどういうつもりだよ! 今どこにいる!?』
「え、ナガト? ちょ、うるさい! 鼓膜破れるかと思ったやろ!?」
『知るかバカ! たかが鼓膜だろ!? こっちはお前のせいで心臓が破けそうなんだよ!』

 余裕のない声に、心臓が今までとは少し違う跳ね方をした。安堵と、それから少しの動揺だ。
 電話口の向こうでは、ナガトがなおも語気を荒げている。他のことに気を取られている場合ではなかった。どこにいると聞かれて、奏は辺りを見回しながら告げた。

「あ、えっと、多分近く。鎧山(よろいやま)の中やねんけど、あんたらがどこにおるかちょっと分からんくて。なあ、そっちはどの辺におるん?」
『聞くな、いいから帰れ。今すぐ下山して室長さんとこに行け! いいか、危険なのは感染者だけじゃない、厳密には白の植物そのものの方が遥かに危ないんだ。だから奏、早く、』
「じゃああんたらはどうすんのよ! そっから逃げられへんねやろ!?」
『それはなんとかするって言ってるだろ! こっちはお前と違ってプロなんだよ!』
「せやったら(それだったら)、あたしがそっちに行ったってなんとかなるやん! 危なくなったら助けられるやろ、プロやったら!」

 震える声で怒鳴りつければ、聞いたことのない言語で悪態が吐かれた。テールベルトの言葉か、それとも違う言葉か。どうやら奏や穂香には聞かせられる単語ではなかったらしい。


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