9 [ 112/225 ]
今日のことが今後にどう影響するのか分からない。不安で、どうしようもなく怖くて、明日を考えるのが怖い。ずっと助けてほしいだなんて、口が裂けても言えなかった。
また守ってほしいだなんて、とても。
「……お前、いじめられてんじゃねェだろうな」
「いじめとか、そういうのじゃありませんから、大丈夫です。本当に、その、ちょっと、擦れ違っちゃってるだけなので……」
言えば言うほど情けなくなってきて、目の奥が熱を帯び始めてきた。隣でざくざくと切られていく半透明の玉ねぎからは、つんとしたにおいが漂ってくる。
「うわ、なんだコレ! すっげェ、目、いっ、クソッ、いってェ! ――テールベルトじゃここまでじゃなかったっつーのに、クソッ!」
あんなにも恐ろしい化け物と平気な顔で戦える強い人が、玉ねぎ一つで涙を流す姿がとても不思議だった。真っ赤に染まった目から、涙がぽろぽろと落ちていく。
――ああ、切る役目は自分がすればよかった。
アカギの横顔を斜め後ろから眺めながら、しみじみとそう思った。そうしていれば、今泣いたとしても、玉ねぎのせいにできたのに。泣きたいのに泣けなくて、胸の辺りがパンクしそうなほどに苦しい。
――どうして私なの。いつだって、そう思っている。
それは別に、今回のことに限った話ではない。
どうして私ばかり、こんなにも苦しい思いをするの。どうして私だけ、こんなにも不幸なの。どうして、どうして。
内に溜まった不満には、必ず誰かが逃げ道を用意してくれた。「穂香ちゃんはいい子ねぇ」「赤坂さんはとっても真面目だから助かるわ」周りが勝手に“私”を作る。だから、それに従って行動しなければならない。そう考えているのは、つらいけれど、楽だったのに。
彼らといると自分の嫌な部分ばかり見せつけられて、ますます自分が嫌いになってしまう。
「……なんで、私なの」
音にする気のなかった呟きがアカギの耳に届いたのか、穂香には分からない。慌てて蛇口を捻って水音で誤魔化したから、もしかしたら聞こえていなかったかもしれない。
それ以降は必要最低限の会話だけで作業を続け、ことこととカレーを煮込んでいた頃合いでようやく奏とナガトが帰ってきた。ナガトはキッチンに立つアカギを見て指さして笑い、アカギはおたまを片手に怒鳴り散らして応戦した。そんな二人を見て、奏が笑う。なんとも平和な光景だ。
平和すぎて、頭がおかしくなりそうなほどに。
* * *
夕食後、珍しく食堂に残ってぼんやりとしていたときのことだった。携帯端末でネットのニュース記事を流し読んでいたソウヤの前に、誰かが座った。聞き覚えのある足音だったので、それが誰かは見ずとも分かる。なにか用かと声には出さないまま視線で問えば、同じイセ隊所属の部下――タイヨウが一つ面倒くさそうな溜息を吐いた。
上官を前にしても相変わらずの態度に、怒りよりも呆れが勝る。彼はいつもこの調子なので、今更どうするわけでもないけれど、今日の溜息はいつもよりずっと「面倒くさい」と吐き出しているように聞こえた。
「ソウヤ一尉、今少しお時間よろしいですか?」
「ああ、なんだ?」
「遠回しなの嫌いなんで、直球で言います。あんま余計なことに首突っ込まない方がいいですよ」
「靴紐ほどけてますよ」ニュアンスとしては、そう言うのとあまり変わらない。
その上、テーブルに置いたソウヤの端末画面に目をやり、そこに表示されていた強盗事件のニュースを見て「物騒ですね」とコメントするのだから、なんとも奇妙な話だった。
「たっく。イセ艦長になんか言われたか?」
「言われました。暴走しないように見張っとけとも。普段と逆ですねって言っておきましたけど」
「そりゃそうだ。普段問題行動起こすのはお前の方だからな。なにしろ、口を開けば人畜有害なことしか言いやがらねぇ。艦長もなんで、そんなお前に見張り役なんざ頼んだんだか」
「俺の方が聞きたいくらいです。こういうのは向いてないんですよ」
心底面倒くさそうに溜息を吐くタイヨウを見ているのに、ソウヤの頭に浮かんだのはイセの顔だった。「お前を失いたくない」痛みを押し隠すように吐き出されたあの一言に、一体どれほどの思いが集約されていたのだろう。
人を使って見張りを立てようというくらいだから、この案件はよほど触れられてもらっては困る代物らしい。