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確認したのは一瞬だった。飛び乗った勢いのまま硬い軍靴の底でフロントガラスを蹴り破り、ぽっかりと空いた隙間に薬銃を突っ込んだ。たとえ相手が正常な思考能力を持っていたとしても、現状を把握する余裕すらなかっただろう。
打ち鳴らされた撃鉄の落ちる音に、遠くで鳥が飛び立っていく。
後部座席の女にも同様に薬弾(やくだん)を撃ち込み、そのまま車内に身を滑り込ませて動かなくなった男の足の上からブレーキを踏む。耳障りな音を響かせ、車は停止した。摩擦によって、白い煙が立ち昇る。
血液とガラスの散った助手席に居心地の悪さを覚えつつも、ハルナは息一つ切らせることなく耳元の通信機に告げた。
「感染者オールクリア。洗浄の準備をお願いします」
* * *
――そういうわけだから、協力してね。
強盗かなにかだと思った男は、にっこりと笑ってそんなことを言った。人畜無害そうな笑みだが、そんなものが信用できるはずがない。
奏を捕まえている体格のいい男が、器用に片腕で拘束したまま、開いた手でポケットからなにか取り出した。「飲メ」まだどこか片言の日本語で、奏の口に白い錠剤のような物を押しつける。
奏は無言で首を振った。当然だ。見知らぬ者から――それも、相手は不法侵入者だ――いきなり薬のようなものを渡されて、大人しく飲むはずがない。
しかし、屈強な男はそれを許さなかった。抵抗を続ける奏に苛立ち、なにやら彼らの母国語で怒鳴って強制的に唇を割って錠剤を押し込んでいく。「やめて」と叫んだつもりの声は、小さく掠れた音になった。
――殺される。
きっとあの薬は毒だ。顔を見たから、私達は始末される。嗚咽が漏れる口は、ろくなことを言いやしない。叫んで近所に助けを求めるなり、警察を呼ぶなりできるはずなのに。
ただ泣くことしかできない自分が嫌だ。泣くだけなら赤ん坊だってできる。なにかしなきゃ。そう思ったとき、軽く肩を叩かれた。
「あ、ごめんね。初めまして。急で驚かせちゃって悪いんだけど、許してくれると嬉しいな。ああそれから、ケーサツはちょっと我慢してくれる? 俺らは危害加えに来たわけじゃないから。むしろその逆。だから安心して」
そこまでを水が流れるようにすらすらと言い切った男は、涙でぐしゃぐしゃになった穂香の前に白い錠剤を差し出した。
「これ、飲んでくれる? 大丈夫、別に怪しいクスリじゃないから。心配なら同じの俺が飲むよ。全部一緒だけど、きみが一つ選んで。それ飲むから」
男は手のひらに数粒錠剤を取り出し、穂香に見せた。そうこうしている間に、奏は錠剤を飲まされたらしい。げほげほと大きく噎せているが、すぐに体調に変化は現れない。
だがもし、遅効性の毒なら――……。そんなぞっとしない考えに囚われて、穂香の身体は指一本動かすこともままならなかった。
「俺はアカギと――ああ、アカギってのはあっちの男ね。まあ、彼と違って俺は優しいから、選ばせてあげるよ。きちんと証明してあげる。時間がないから説明はあとにしたいんだけど、どう?」
「ふざけんな! ほの、絶対飲んだあかんよ!!」
「クソ、暴レんな!」
大きな声で怒鳴りつけたアカギという男が、さらに強く奏を拘束する。呆れたように溜息をついた目の前の男が、彼に「フタマルフタフタ」と告げると、小言を漏らすアカギの言葉は流暢な日本語に切り替わった。目の前で起きていることが信じられない。これは一体なんなのだろう。
どくどくと血を吐き出す心臓が、壊れそうなほど早鐘を打っている。いっそ壊れてしまったら楽になれるのに。そんなことを思ってしまうほど、今の状況から逃げ出したくてたまらない。
錠剤を手のひらに乗せたまま、再び男が向き直った。
「どれでもいいよ。どれも同じだから。全部っていうのでも構わない。俺が先に飲むから、早く選んで。……まあ、無害なのはあっちの女の子を見ても分かると思うけど」
全力で抵抗する奏の身体に、特に変化は見られない。
そうは言っても、恐怖は薄れるものではない。けれど、向けられる穏やかな微笑みが抵抗を許さなかった。無言のままに促される。
その圧力に負け、穂香は震える手で錠剤を一つ指さした。
「おっけ。じゃあもう一つ選んで。きみの分」
ほの!、と泣きそうな声で奏が叫ぶ。
――ごめん、ごめんねお姉ちゃん。でも、怖いの。
「はい、いい子いい子。聞き分けのいい子は好きだよ、俺。じゃあよく見ててね。本来は噛み砕くものじゃないんだけど、毒じゃないってことの証明で一応」
躊躇いなく錠剤を口に放り、前歯でくわえたそれを穂香にしっかり見せてから、柔和な顔立ちの男はガリッと音を立ててそれを噛み砕いた。唇から突き出された舌の上には、欠片になったり粉末状になったものが乗っている。
穂香が視認したのを確かめてから、男は砕けた錠剤を水もなしに飲み込んだ。