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「ね? これはただの検査薬だから、心配せずに飲んで」

 「それとも、アカギと交代しようか?」硬い指先で唇を撫でながら言われて、穂香の心臓は大きく跳ね上がった。
 怖い。信用なんて、安心なんてこれっぽっちもできない。でも、乱暴にされるのはもっと怖い。

「ほのっ、穂香! 飲まんでいいって! 飲むな!」

 慟哭のような制止を振り切り、穂香は震えながら錠剤を嚥下した。奏の顔が悲痛に歪む。対照的に、目の前の不審者は優しく微笑んだ。
 それから五分が経っても、穂香の身はもちろん、奏の身にも異変は起こらなかった。五分の間に奏とアカギは散々攻防を続けていたが、もう一人の男はそれを見て「うるさいね、あの二人」とのんびりと言い放っただけで、なにもしようとはしなかった。
 腕時計を確認して、男が満足そうに笑む。

「感染及び寄生反応なし。両名共に健康体である。これより任務に移る、以上。――っと。記録終わり。……アカギ、もう離してあげたら? いつまで女の子抱き締めてんの」
「バカ言うな! 押さえとかねェと暴れんだろうが!」
「でもさー、年頃の女の子と深夜に密着って、そりゃ騒がれるよ? 報道の連中に嗅ぎつけられたら大変よ?」

 「下手したら罰則くらうよ」の一言に、アカギは奏を解放した。途端、振り向きざまの平手が彼の頬を襲う。

「おー、いい音」
「テメッ、ざけんなよ! 大人しくしてろ!」
「なんなんよ自分ら! 母さんらになにしたん!?」
「なにもしてないよ。ただ少しだけ環境をいじくって、音が聞こえなかったり普段よりぐっすり眠ってもらえるようにしただけ」

 それは十分“なにかした”ことになる。
 奏が反射的に男に牙を剥いたが、彼はびくりともしなかった。

「正直なところ、これだけはっきり俺らを感知できる接触者っていうものを、こっちも予期してなかったんだよね。だからちょっと荒っぽくなったんだけど、そこは見逃してくれない? きみらに不利益を及ぼすことは本意ではないから」

 どうやら説明役はこの男が担うらしい。「立ち話もなんだから、」と自分の部屋のように着席を促して、彼は人懐っこい笑みを浮かべた。

「とりあえず、初めまして。俺はナガト三尉。あ、三尉っていうのは名前じゃなくて階級ね。で、こっちがアカギ。同じく三尉。きみらの名前は?」
「犯罪者に名乗る義理なんてない!」
「おっと、そうくる? ま、仕方ないか。気が向いたら教えてくれると嬉しいな、“ほのちゃん”とそのお姉さん」

 突然名を呼ばれ、穂香の肩が跳ね上がった。あれだけ何度も奏に呼ばれていたのだから、彼らが穂香を認識することは不自然ではない。少し考えれば分かるはずなのに、まるで超能力でも使われたような気持ちになって不安感が増していく。
 ナガトと名乗った男は、不法侵入者という肩書さえなければ、はっとするような整った顔立ちをしていた。まるで芸能人だ。ぱっちりとした二重の瞳といい、通った鼻筋といい、テレビや雑誌の中に紛れ込んでいても違和感がない。その隣で仏頂面をしている男がアカギというらしい。奏に叩かれた頬を僅かに赤くさせ、時折苛立たしげにこちらを睨んでくる。
 どちらも飾り気のないシンプルな服装で、動きやすさを重視しているようだ。肩に入った線や胸元のエンブレムから、ミリタリーな匂いがぷんぷんしている。
 最初は外国人かと思ったが、どちらも日本人に近い顔立ちだった。ナガトの方はなまじ顔が整っているせいか、ハーフに見えないこともない。
 だが、なんにせよ、彼らは不法侵入の犯罪者だ。
 その口から語られる話を聞くに、頭がおかしいとしか思えない。

「ご両親といい、ご近所さんといい、無反応なのはちょっとした……なんて言えばいいかな。まあ、妨害電波を出してるから。ああ、もちろん人体には無害だよ。“白の植物”と僅かでも接触した者には効くようになってる」
「……白の植物?」
「そ。言葉通り、まーっしろの植物のことだよ」

 ナガトの口元に浮かんだ笑みが、冷たく歪んだ。
 ――白。
 その言葉に、穂香の胸がざわついた。

「かつての大災厄を機に、こっちの世界には“白の植物”が蹂躙するようになった。大災厄っていうのは、まあ地震みたいなものかな。次々と国が崩壊し、残ってまともに機能したのは、テールベルト、カクタス、ビリジアンの三国だ。もちろん他の国もあるけどね。主要三国以外は文明の回復は絶望的だった」

 こっちの世界。
 いきなり話し出されるファンタジーの世界に、彼らの精神異常が伺えて寒気がする。
 こんなときだというのに、穂香はふと、先日美術の時間に見た教科書の一ページを思い出した。鮮やかな色彩表の、ある一行。様々な緑が並ぶその場所に、今しがた聞いた国の名前が並んでいた。テールベルトもカクタスもビリジアンも、どれも緑色を表す名前だ。
 そんな考えは、あっという間に恐怖と不安に追いやられてしまったけれど。


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