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「お、うっめぇ! せっかくアマギが買ってきてくれたっつーのに、ハルナもしょーがねぇよなぁ。アマギ、無視されたからって落ち込むんじゃねーぞー。今のアイツ、ちょっと拗ねてるだけだからな」
「いやいや艦長、あれ、どう見ても拗ねてるっていうか……」
「んー? なんだ、カシマ。仕事足りねぇって?」
「いえ、いいえ! なんでもありませんっ!」
慌てて敬礼を返すカシマの頭を掻き回すカガに、アマギは少し迷いながらも訊ねてみた。
「……あの、ヒュウガ隊のフォローに回らずとも、本当によろしいんでしょうか」
面倒事は嫌いだし、規律違反はもっと嫌いだ。だが、非常事態と知りつつ目を背けるのも好きではない。下手をすれば一喝されるかと覚悟を決めて発したその言葉に、カガは予想外の反応を見せた。
一度驚いたように目を丸くさせ、嬉しそうに笑ってアマギの頭を撫で回してきたのだ。前髪が視界をちらつくのが嫌いで綺麗にオールバックに整えた髪が、一瞬にして乱される。
「か、艦長?」
「お前らほんっといい奴ばっかだなー! でもな、忘れんじゃねぇぞー?」
手を振り払えずにいたアマギは、至近距離でその眼差しを見て息を飲んだ。頭を掴む手に力が籠められ、ぎり、と頭蓋が痛む。それは、この身を戒める警告以外のなにものでもなかった。
「お前らの指揮は俺が執る。――それが意味することを、もういっぺん考えろ」
* * *
苛立ちと焦燥が胸の奥で燻っている。
犬猫でも追い払うようにされ、ハルナは唇を噛みしめながらも礼をとって退室した。乱暴に開け放った扉の音が鼓膜を揺さぶり、僅かに冷静になった頭で思考を巡らせる。
カガがあそこまで言葉を厳しくするのだ。事態は思った以上に深刻なのだろう。かかわるなと言外に言われたが、それで納得できるものでもない。分からないことが多すぎる。あの人はなにを知っていて、なにを考えているのだろう。
艦内に割り当てられた狭い個人スペースで一息ついたハルナは、ベッドサイドに転がしていた個人用の携帯端末を手にしばらく画面を眺めた。着信があった様子はない。メールも入っていない。
スズヤと連絡が取れなくなってから、もうしばらく経つ。テールベルトではなにが起きているのだろう。無事なのだろうか。ナガトは、アカギは、――スズヤは。
死ぬなと言われた。自分は今もこうして生きている。感染者の数は増し、その重症度も高まってきた今もなお、大きな怪我なく生き延びている。
ならば、お前はどうだ。
かつて共に空を駆けた友人の姿を思い出し、苦い思いで端末を握る。
ベッドに腰掛けていたハルナの手の中で、途端に端末が震え始めた。驚いて画面を見ると、そこにはまだ若い女性隊員の名前が表示されていた。
自分が教官を務めた新人達の中の一人だ。女だてらに――この表現をすると激怒する者もいるが――特殊飛行部入りを目指す、生意気な部下。基礎体力もなにもかもまだまだで、正直、推薦してやるにはほど遠い。
だが、自分がこの伸びしろのある部下を気に入っていることは、少なからず自覚していた。
「――なんだ、どうした」
『あ、ハルナさんですか? すみません、コード戻していただけます?』
「ッ!?」
耳に当てた瞬間聞こえてきた声に、ハルナは思わず携帯端末を取り落とした。
膝にぶつかり、床を滑っていったそれが自然とスピーカーに切り替わって、余計に声が響く。
『あれ? もしもーし、ハルナさぁん?』
かっと耳が熱を持つのを感じた。急に速度を増した心臓が苦しい。一瞬で脳内の色が変わり、想定外の現実を突きつけられた頭が困惑のまま明滅し始める。
確かに確認した画面には、子犬のような部下の――チトセの名前が表示されていたはずだ。慌てて拾い上げた携帯の画面にも、やはりチトセ士長と表示されている。
ならば、どうして。
普段ならば考えられないぎこちない手つきで言語コードを戻し、ハルナは混乱のまま、けれど努めて冷静なそぶりで口を開いた。
「マ、マミヤ士長か……?」
情けなく上擦った声が出てしまい、思わず呻く。
ああまったく、なんて情けない。これがチトセ相手ならば毅然とした態度のまま会話できるというのに、マミヤ相手ではどうしてこうもペースが崩れてしまうのだろう。
『はぁい、マミヤでぇす。ハルナさんとお話したくて、チトセの端末借りちゃいましたぁ。突然なんですけど、すこぉしお時間よろしいですかぁ?』
「ああ、問題ない。どうした」
『ヒュウガ隊のことなんですけどもぉ』
その一言に、甘い声に踊らされていた心臓が急速に落ち着きを取り戻した。すっと熱が引いていく。一瞬で頭が切り替わる。
一度扉を開けて廊下を覗き、周囲に人がいないことを確認したハルナは一層声を潜めた。