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 山頂から町を見下ろせるわけではないけれど、精一杯背伸びをして眼下に広がる景色を見た。
 身体を拭き終えた今、冷えた風が心地いい。火照った頬を撫でた風が木々を揺らし、紅葉を躍らせる。目の前に落ちてきた赤い一片を手にしてポケットに仕舞ってから、ナガトは再び手を差し伸べてきた。

「そろそろ戻ろうか。日も暮れてきたし」
「……あのさ、いちいちキザなその仕草、どうにかならん?」

 躊躇っている手をあっさりと取られ、まるで恋人のように握られる。擦れ違う人達の目に、自分達は恋人同士にでも見えているのだろうか。

「えー? レディファーストってこっちでも常識じゃないの?」
「あんたのはなんか違う気がする」
「あ、バレた? いやー、だってさ、軍の中ってむさっくるしい男ばっかりなんだもん。女の子と出会えたら触っとかなきゃ損でしょ」
「うっわ、サイテー!!」
「はいはい、騒がない騒がなーい。せっかくのデートなんだしさ」
「は、はぁ!?」

 ぎゅっと指を絡められ、思わず声が上擦った。しまった。はっとして口を覆うが、きょとんとしていたナガトの目がすぐさま爛々と輝く。まるで、新しいオモチャを見つけた猫のような目だった。毛並みのいい上等な猫が、どう悪戯しようかと尻尾をまっすぐに立てている。
 繋いだ手を見せつけるように持ち上げられ、彼は一歩距離を詰めてきた。
 赤に閉じ込められた世界の中、太い鳥居の柱を背で感じる。

「ちょっ、近い!」
「なぁに、奏。もしかして照れてんの? 手を繋いだくらいで? それとも“デート”?」
「るっさいな! どいてって!」
「ふーん……。意外と男慣れしてないんだ? あ、分かった。あれでしょ。いいお友達止まりで終わっちゃうタイプ。……まさかと思うけど、キスもまだだったりする?」
「アホか! ちゅーくらいはあるし!!」
「へぇ、“くらいは”ね」

 探るような笑みと同時に指先に軽くキスを落とされ、今度こそ耳まで赤くなったのを自覚する。
 ――ああそうだ、そうとも。友達止まりでなにが悪い。好きになったところで、いつもいつも“いいお友達”で終わる人の気持ちが、いかにもモテそうな男に分かるはずがない。告白したら「ごめん、男友達にしか見えない」とか言われた女の気持ちを、一度でも考えたことがあるのか。
 無礼千万の相手に怒鳴り散らしてやろうと思ったが、恥ずかしさと怒りで言葉が渋滞を起こして飛び出してこない。

「案外かわいいとこあるんじゃん。ねえねえ、理想の告白ってどんなの? どういうシチュエーションがいい?」
「誰が言うか!」
「えー、いいじゃん教えてよ。――やっぱさぁ、こーゆー王道?」

 とんっと顔の横に手をつかれて、耳元に吐息が触れた。久しぶりに間近で感じた他者の体温に、肌が粟立つ。

「――『好きだよ』」

 低く、わざと掠れさせた声。
 直接鼓膜を震わせようと意図したのが丸分かりのくせに、それでもぞくりとしてしまった自分に腹が立った。通り過ぎていくカップルが、こちらを見てくすくすと笑っているのが見えた。こんなところでいちゃついているバカップルとでも思われたのだろうか。
 その瞬間、奏の中でなにかがぷつりと音を立てて切れていった。

「んっの、ドアホ!!」
「痛ッ! ちょ、どこにそんな馬鹿力……」

 突き飛ばし、渾身の力を込めて頬を張った。避けられたせいで綺麗に決まらなかったが、掠った爪の先が端正な顔立ちに赤い線を残しているので少しばかりすっとする。もう一、二発殴ってやりたいところだが、こんな馬鹿げたやり取りの間にも日は落ちている。
 苛立ちを露わに石段を降りてくと、微塵も悪いと思っていなさそうな謝罪が追いかけてきた。絶対に許してやるもんか。そう心に決めて頑なに振り返らない。

「ねえ、奏ってば。ごめんってー。ちょっとふざけすぎた、ごめんごめん」

 へらへらと笑うこの男、テールベルトとかいう彼の国ではどれだけ女を泣かせてきたのだろう。二股くらい平気でしでかしそうで怖い。嫌味を込めてそう言ったのに、ナガトはなぜか照れくさそうに「それほどでも」と言ってきた。正真正銘の馬鹿だと吐き捨ててどすどすと音がしそうなほど大股で歩いていた奏の耳に、突如として甲高い電子音が突き刺さった。
 反射的に振り返る。一瞬で顔色を変えたナガトが携帯端末を操作し、先ほどまでとはまったく異なる表情で奏の腕を引いた。

「――感染者だ。計二体。いい、よく聞いて。相手は東側からやってくる。すぐに片付けて追いかけるから、奏は逃げろ。大丈夫、下に気配はない」
「その感染者のレベルは?」
「そんなのいいから、早く行けって!」
「教えてや!」

 東側。それは山頂の方角だ。石段を降りてくるというよりは、斜面を下ってきそうな雰囲気だった。


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