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 竜玉を燃やすなど、彼女に出会わなければ考えもしなかったに違いない。心残りがあるとすれば、あの愛しき存在に嘘を吐いてしまったことだ。一度たりとも彼女に偽りを述べたことなどなかったというのに、最後の最後にその禁を犯してしまった。
 この命に代えても、魂の伴侶を守りたかったのだ。言葉にすればなんと陳腐なことだろう。これが他の竜が口にしたものであれば、ウィンガルドは鼻でせせら笑う自信がある。
 タラーイェ、とその名を風に乗せる。西日が傷ついた身体を照らすのを感じながら、糸のように細いもので繋いでいた意識を手放した。


 轟音が響く。
 赤茶けた砂が逆流した滝のように噴き上がり、地面には大穴が開いた。オークらを巻き添えにして墜ちてきた若草色の竜は、全身から血を流し、焼けた肉の臭いをさせてぴくりとも動かない。いかな回復力を持つ竜とはいえ、これだけ傷ついていては息絶えるのも時間の問題であることは間違いがなかった。
 オークらは歓喜の声を上げ、竜の鱗を剥がしにかかった。竜の持つ角や牙、鱗は、そのすべてが高い価値を持つ。肉は水竜と風竜のものが淡白で特に美味い。
 余すことなく楽しめるが、中でも竜玉は最も威力を持った遺産で、魔物にとっても価値あるものだ。ただ問題が一つあり、その竜玉がどこにあるかは外側からは分からない。ゆえに巨大な身体を細かく刻んで探すのが常であったが、この竜の場合はそんな手間は必要ないように思えた。
 というのも、竜の額が僅かに光を放っているのである。それが一体なにを示すのか地底の存在には理解が及ばなかったが、その光が力の源泉であることは容易に想像がついた。
 鼻が曲がりそうな異臭を漂わせたオークが何頭も近づいてきても、竜は身じろぎひとつしない。下卑た笑い声が竜を取り囲む。まだ浅く胸が上下するのを見たオークが、嘲笑混じりに竜の身体を蹴った。
 身体の大きな一頭が、竜の額に向けて斧を振りかぶる。生きたまま竜玉を抜こうとする蛮行に一同が喜びの声を上げたが、その笑声を甲高い悲鳴が打ち破った。はて、と愚鈍の衆が声のした方を見やる。
 するとそこには、いかにも美味そうな若い肉が立っていたのである。


+ + +



 約束したでしょう。
 迎えに来てくれるって。くちづけで起こしてくれるって。
 なのに、ねえ、なんで。
 どうして、そんな嘘を吐いたの。


 声を聞いた気がした。ありえないと分かっていても、それでもタラーイェは直感がもたらした胸の痛みを無視することができず、たまらず窓辺に駆け寄って色を変え始めた空を懸命に探した。
 数多の竜が雲を払い、遥か高みを埋め尽くすように飛んでいる。黒い竜巻を纏った邪竜が放つ雷は地上にも降りそそぎ、あちこちで凄まじいを立ててオリヴィニスの地を嬲っていた。風が吹き荒れている。
 そこに、若草色の竜を見つけた。ここから見れば豆粒ほどの小さな姿であっても、タラーイェの目が彼を見間違えるはずもなかった。目も眩むような速さで漆黒の邪竜に突撃していく一頭の竜を見て、少女は先ほど感じた痛みが気のせいや幻などではなかったことを痛感した。
 唇を割った声は震え、もうすでに濡れている。頬を伝った熱いものが窓枠にしがみついた手の甲に落ち、傍にいた姉のアリージュが心配げに声をかけてきてもなお、タラーイェの耳には彼の声だけを拾っていた。

「だめ、ウィン……やだ」

 上空で竜が絡み合う。
 邪竜が仄暗い光を蓄え、閃光を放った。水色の大きな竜、竜王ノルガドをも捉えるかに思われたその攻撃の前に、若草色の竜が庇うように躍り出る。その瞬間、タラーイェの小さな胸は引き裂かれるような激痛に襲われた。心の壊れる音は、ガラスが砕ける音によく似ていた。
 目の前が大きく捻じ曲がり、立っているのも困難なほどの眩暈と吐き気に襲われて膝をつく。
 いや、と零した声はもう言葉の形を取っておらず、ただの嗚咽でしかない。慌てて肩を抱いてくれる姉の手を振り払い、タラーイェは誰の静止も聞かずに寺院を飛び出していた。背中を追う悲鳴じみた声は少女の耳には届かない。
 小さな少女の足だ、大人であれば追いつくのは容易いだろう。けれどもこのとき、オリヴィニスの地は混乱で満ちていた。空からは瓦礫や雷、火球が容赦なく降りそそぐ。タラーイェが寺院を飛び出したその直後、出入り口付近の天井が崩落し、けたたましい音を立てながら扉を塞いでしまった。こうして少女は誰にも追われることなく、かの竜のもとへとひた走ることができたのである。


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