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強い光を放つ竜玉は、誰の目にもその存在が明らかになる。人間の目ですら、見ることが可能であろう。
せめてもと自らも邪竜の周りを飛び回り攻撃を仕掛け、そして倍以上の数を避けながら、ノルガドは兄と慕った竜の額を見た。
若草を思わせる美しい鱗の並ぶ、すらりとした涼しげな面立ちだ。白く鋭い角の生えた、その僅か下。額の部分が、内側からまばゆい光を放っている。それがウィンガルドの竜玉だった。
彼はあんな場所に玉を秘めていたのだ。誰も知らなかった。知らなくてもいいことだった。玉座を賭けて戦うのでなければ、人化しておらずともわざわざ相手の玉の位置を探ったりはしない。それが竜族の礼儀だ。
空が揺れる。他の誰も手出しをできないほどの速さで二頭の竜は旋回し、互いに攻撃を繰り返していた。
一声と共に、ウィンガルドが牙を剥く。その決死の突撃は邪竜の左翼を捉え、彼女の翼に大きな裂傷を負わせた。体勢を崩したところを好機とばかりに数多の竜が邪竜に飛びかかる。ノルガドの爪も彼女の腹を掻いた。裂くまでに至らなかったのは、かつての王が振るった桁違いに太い尾による、鞭のような一撃のせいだ。
肥大化した邪竜は十頭あまりの竜を前にしても、数度の身震いで彼らを振り払ってしまった。ウィンガルドがその首元に食らいつこうと速度を上げる。
そのときだ。──邪竜の喉奥が、昏く光った。
近くを飛んでいた誰かが、「下がれ!」と叫んでノルガドに体当たりをした。王に対する不敬など咎めていられるはずもない。身体が一回転し、視界が揺れる。纏う風が一変した。ぞくり、身体の内側から侵食される。
邪竜のあぎとが熱風を生む。耳をつんざくような咆哮と共に炎が絡みついた黒い稲妻が放たれ、今までとは段違いの威力で持って仲間達を貫いた。首を振りながらのその攻撃に、ノルガドですら餌食になるはずだった。避けられないと分かっていた。すぐそこにまで迫った邪悪な熱気が、竜玉もろともこの身を焼き尽くすのだと、そう瞬時に判断した。
だが、次の瞬間にノルガドが感じたのは身を焦がす熱ではなく、胸を打つ同胞の号哭だったのである。
「ウィンガルド!! ──く、ぐぅあっ!」
「我が王!」
同胞が、かつて兄と慕ったその竜が、翼を燃やして墜ちていく。
ほんの一瞬気を取られたノルガドの足を、雷撃が射抜いた。こんな調子だから侮られるのだと、地上の合いの子は笑うのだろう。
墜ちては飛び、また墜とされる。それでも竜は諦めない。ならばと、ノルガドは喉の奥で唸って風を切った。我こそがこの空を統べる覇者なのだとその翼で語って、強大な邪竜の首に勢いよく喰らいついた。牙が負けそうなほどに鱗は固く、顎に渾身の力を込めて肉を破る。するとさしもの邪竜にも痛みが走ったのか、悶絶してその巨躯を揺らした。
竜たちの声が猛りの奥で聞こえる。身を案じる声だと分かってはいたけれど、ノルガドは牙を緩めなかった。
黒い雷撃が翼を焦がし、鋭い爪が鱗を削いでいくのを感じる。翼の付け根に鉤爪が立てられ、強引に身を離されたとき、ノルガドの口内には邪竜の肉が残っていた。腐ったような味のする肉を吐き出すと同時、目の前に血の色をした淀んだ双眸が迫っていた。
周囲から悲鳴が上がる。気高き竜がそのような情けない声を上げるなと、そう叱りつけたい気分だ。──なぜか、そんな余裕が芽生えていた。
喉元に鋭い痛みが走る。ごぼ、と嫌な水音が響いた。怨嗟を滲ませた眼光がノルガドを貫き、竜玉の在り処を探っている。息ができない。このまま喉笛を食いちぎられるのだろうか。王ともあろうものが情けない。だが、強きが善で弱きを悪とする竜の世では、これもまた仕方のないことなのだろう。
血が沸く。あの男のように玉を燃やそうかと、ノルガドが激痛にけぶる頭の隅でちらと考えたそのとき、熱く、淀んだ空気を一掃するかのような冷気が吹き抜けた。
「そう簡単に諦めんなよ、坊ちゃん」
強い衝撃により身体を突き飛ばされ、邪竜から離された。錐揉み状に落下しかけ、傷ついた翼を本能だけで動かして体勢を立て直す。
その鼻先に、薄青が舞う。清らかな氷の華が身体を飾り、熱を持ってどくどくと血の流れる個所を冷やしていった。
ノルガドは、己の目と耳が信じられなかった。それは周囲の竜達も同じだったようで、呆然とした様子で“それら”を見ていた。とはいえ、ほんの一瞬だ。生まれながらにして戦うことを知っている、幻獣界最強とも謳われる竜族の民が、いつまでもむざむざと間抜けた姿を晒していようはずもない。瞬時に切り替えて邪竜に立ち向かっていく。
この気配を知っている。見上げれば、案の定その色が陽の傾きかけた空を飾っていた。
片方は狼だった。足の先に氷を纏った、白銀の被毛。荘厳な見かけに似合わぬ軽薄な口調。狼がその背に乗せたものに、今のノルガドは気づかない。
片方は竜だった。鱗の色が淡い紫から濃い紫へと移り変わる、濃淡が美しい体表をしている。尾の先に紫水晶のような石の塊を持ち、まばゆい輝きを放っている。その姿を、その色を、ノルガドは忘れたことなどついぞなかった。