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 「なんだ」と問えば、ルタンシーンは不機嫌そうに目を細めた。どうやら言葉遣いが気に入らなかったらしいが、それにしても、随分と感情が表に出やすい神だと思う。それとも、神とは皆こうなのだろうか。
 なにか言いたげにしていたルタンシーンだったが、一度己の胸に手を当て、溜息交じりに首を振った。

「まがいものとて、長くは持たぬか」
「まがいもの?」
「この器だ。ただの人の子に、俺を受け入れられるはずもない」
「どういう意味なんだ?」
「神は人智の及ばぬところにある。神を受け入れるは、人の身には毒ともなろう。――俺は気が短い。これ以上を求めるなら、あの神官にでも聞いておけ」

 面倒くさそうに言い放たれては、それ以上を問うことができなかった。ルタンシーンの激しい怒気は治まっているが、わざわざもう一度怒らせて、一人であれに立ち向かう度胸はない。

「姫神、貴様のすべきことはなんだ」
「……ディルートの穢れを祓い、蛇神を見つけて神器を修復させること」

 贄については触れなかった。

「蛇神は俺の前に引きずり出せ。殺してもいい。なんなら神殺しの矢をくれてやる」

 「まあそんなことをすれば、貴様は姫神ではいられなくなるが」とルタンシーンは一人楽しそうに笑った。
 ホーリーに来てから「姫神」と呼ばれることが増えた気がして、シエラは小さく首を傾いだ。確かにいろいろな呼ばれ方をするが、姫神という呼び名はホーリーに来るまでは聞かなかった。
 いったいなぜだろうか。目の前のルタンシーンからほんの僅かに意識を外した間に、かの神はがらりと雰囲気を変えていた。なにも見た目が変わったわけではない。だが、先ほどまでの触れれば斬られるような苛烈さはなく、波のない水面のような静かさへと変貌していた。
 神気だけがそのままに強い。組んだ腕の先から、ぽとりと雫が垂れ落ちた。

「……姫神よ、神は人に非ず。ゆめゆめ忘れるな」
「それは当然だろう? 人であれば神ではない」

 神は人ではないし、人は神ではない。
 そんな当たり前のことを言われる意味が理解できなかった。

「ああそうだ。それすなわち、お前は神ではない。なれど、人でもない」
「……私は人間だ」
「人の子として生まれたに過ぎぬ。神は人ではないし、人は神ではない」

 静かな声音が再びシエラの心臓を強く揺さぶる。
 この神はなにを言っているのだろう。頭が沸騰する。ひどく苦いものを飲まされているような、そんな気分だ。

「私は、人間だ! 人の子の、シエラ・ディサイヤだ!」

 まるで慟哭のようだと思った。
 否定してくれるなと乞うように吐き出した言葉を、ルタンシーンは嘲ることもしなければ、怒鳴ることもしなかった。熱いものが込み上げてくる。分からない。どうして。唐突に突き付けられたものは、受け入れられるはずもなかった。
 シエラは母親の腹から生まれた。人の中で暮らしてきた。翼もなければ水かきもない。これでどうして、人ではないと言えるのだろう。
 怒気を滲ませて睨み付けた先のルタンシーンが、なんの感情も宿さない声で言った。

「確かに、お前は最も人に近い。いっそ哀れなほどに」

 一瞬、呼吸の仕方を忘れたのかと思った。
 蒼い髪に、金の瞳。たった一人の、奇跡の子。
 けれどレンツォは言った。たった一人なのは、シエラだけではない。思い上がるな、と。そうだ。なにも特別なのは自分だけではないはずだ。だから、――だから、大丈夫だ。心を傷つけるそれは、もう大分軽くなっている。
 大きく肺に空気を取り込んで、ルタンシーンを睨み据える。その態度に腹を立てたのか、神はひくりと口元を歪ませた。

「姫神、お前は器だ。そこに入れるは人ではない。……一つ、教えてやろう。人の子は神には抗えぬ。神の決定を覆すことができるのは、神だけだ。我ら神にとって、国一つを沈めることなどあまりにも容易い。よう覚えておけ」

 ぼんやりと、シエラはそれを聞いていた。
 ルタンシーンの言葉を額面通り受け取るならば、それはあまりにも残酷なことのように思える。ルタンシーンがなにを考えてそう言ったのか分からない。ただ、すとんとなにかが落ちてきた。

「私が人の子だろうが、神の子だろうが、それこそ器だろうが、今はどうでもいい。ただ、私は、人でありたいと思う。最後まで、人として生きていたい。だが、それを神であるお前が笑うなら、――私は、神の器には向いていないのだろうな」

 きっと、そういうことなのだ。
 他と比べてどれだけ特別だろうと、違うと言われようと、最後まで人でいたい。
 
「……同じ世界を、見ていたいんだ」

 理由はひどく簡単だった。


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