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 久しぶりに座った執務机の上には、うんざりするほどの書類の山が築かれていた。
 左から右へ、いくつかの山を処理して移動させながら、シルディは大きくため息をつく。
 期限が迫っているものから片づけていったから、あとはしばらく余裕のあるものばかりだ。王子様も楽じゃないね、と誰ともなしに呟いた。
 それでも、シルディに回ってくる執務など、微々たるものだ。自らが治めているディルート地方の政治が九割で、国政など一月(ひとつき)に書類二枚も書けば事足りる。 上に優秀な兄が二人もいるのだから、それも当然と言えるだろう。

「――入りましたよ」
「……ノックはもういいから、せめて『入ります』がよかったなぁ」

 数枚の書類を抱えた有能な秘書官は、透き通った灰色の眼差しを呆れたように細めてシルディを不躾に眺める。
 白露宮でもロルケイト城でも『変人』として有名な彼は、あろうことかシルディが座る椅子の肘置きに浅く腰掛けた。

「アスラナの史料ですか? ――それですよ、あなたの左手にあるもの。相変わらず鈍くさいですね」

 レンツォは相変わらず容赦ないよね。ぼやいた瞬間、持っていた書類で頭を叩かれた。
 長い足を見せつけるように組み替えて、優秀な変人レンツォはシルディから奪った書物に目を通し始めた。時折眉を寄せたり舌打ちしたりしているから、どうやらいい気分ではないらしい。

「どーにも胡散臭い国ですね、昔から」
「いや、あの、すごい国だからね? 立派な国だからね?」
「立派な国が、立派な行いばかりやってきたとは限らないでしょう。それはあなたもよくお分かりかと思いますが。アスラナを立派な国だと言うのなら、ベスティアも立派な国ですよ。なんせ、あのアスラナに対抗しうる軍事力を持つんですから」

 注意するような物言いに、軽率な発言だったと気がつく。さらっと吐き出される正論ほど、心に突き刺さるものはない。
 アスラナは目立った問題も内乱もなく、情勢は非常に落ち着いている。悪政が働かれている噂もなく、国は国民のために動いてくれるともっぱらの評判だ。しかし、あれほど大きな国が、隅々まで目をかけられるわけもない。いくつもの抜け道があり、闇がある。――いや、むしろない方がおかしい。
 ただでさえ、あの国は特殊なのだ。中央政権があのような状態である中で、なんの問題も生じていないのだとしたら、それこそ奇跡を越えた神の国と呼ぶにふさわしい。

「それで、同盟の確認はよろしいですか? 陛下が調印なさったものの写しには、すでに目を通していただいたかと思いますが」
「うん、大丈夫。……兄様達は、この同盟更新に関してなにか言ってた?」
「筋肉馬鹿の方がなにやら不満を唱えたらしいですが、まあ大した問題にはなっていないようですね」
「…………あの、レンツォ? 一応その、兄様は王族だからね? しかも第二王子だからね?」

 初めて聞いたとでも言いたげにレンツォが目を見開いたので、シルディはなにも言わずに机に突っ伏した。途端にずっしりと肩に重みがのしかかってきたので、思わず蛙が潰れたような声が出る。
 レンツォは肘掛けに座ったままシルディの背中に仰向けに寝転がり、ぴしりと書類を指で弾いて笑った。

「ホーリーはベスティアおよびプルーアスとの軍事協定は今後永続的に結ばないこととする、ですか。物資等の交易は許しても、アスラナの不利になることはしちゃダメよーってことですね」
「でもそれは前からでしょ? 昔の三国聖同盟を現代っぽく変えたくらいで、内容に変更はほとんどないし。……それよりレンツォ、ちょっと苦しいんだけどなあ」
「馬鹿ですか。馬鹿ですね。それすらおかしいって言っているんですよ、私は。ホーリー、エルガート、アスラナ。これらの国々の同盟は確かに昔からのものです。ですが、我が国は永世中立国家として宣言したこともあったでしょうが」

 そして今も、その体制は崩れていない。
 ホーリー王国は戦争には加わらない。もうどの国とも争わない。攻撃を仕掛けられた場合には防衛のために武力をもって全力で排除するが、こちら側から手を下すことはない。
 アスラナ城よりも落とすことは困難だと言われるホーリーの防衛力だからこそ、可能な判断だとも言えた。でなければ、非戦を掲げた途端にベスティア軍が領土と資源を求めて進軍してきたに違いない。
 三国聖同盟は、いわゆる軍事同盟ではない。言葉を柔らかくすれば、「仲良くしましょう、交易しましょう、情報もどんどん交換しましょう」といった同盟だ。
一番の目的は「争ワズ」。軍事同盟の形式を取っていないとはいえ、結局はそこに落ち着く。



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