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「……だ、大丈夫ー?」
「これが大丈夫そうに見えるのでしたら、貴方の目は相当悪いようですね」

 ライナの鋭い眼光がシルディに据えられ、彼はうっとたじろいだ。雫の滴る髪を拭おうにも乾いた布がなく、シエラは手で水気を絞るはめになる。
 髪も服も当然水浸しの状態でアビシュメリナのほぼ真上にある小島に辿り着いた一行は、なんとも言えない感情を胸に抱いて息をつく。
 唯一揺れと水飛沫に慣れているシルディが引きつった笑顔を浮かべているが、リースに至っては全身から殺気を放つ次第であった。
 エルクディアは剣の手入れが大変だと嘆いている。

「それにしても、随分と小さな島だな。船室とあまり変わらないではないか」
「あ、だってここ島じゃないから。アビシュメリナの一部、星見の塔のてっぺんだよ」
「……は?」

 さらりと言い放たれた言葉に、そこにいた誰もが眉根を寄せた。目に見えて機嫌が悪くなっていくリースを視界の隅に捕らえながら、シエラが島――正確には塔らしいが――の端まで行って海の底を覗く。
 ゆうらり、と揺れた藍の奥には海草と魚に囲まれた白い建造物が見えたような気がした。確かにこの足場はずっと下まで続いているらしく、塔の天辺だと言われても納得がいく。
 ぱたぱたとテュールが飛び寄ってシエラの肩にちょこんと腰掛けた。濡れた体は冷え切っているが、元々竜なので濡れても別段気にならないらしい。
 ライナのポーチからようやっと開放されたらしい彼は、けぷりと息をついて大きな欠伸をした。
 そこで初めてテュールを目にしたシルディが物珍しさに目を輝かせ、なおかつ現状を信じられないのか「え、え?」と意味のない言葉を次から次へと零していく。
 おずおずと伸ばされた指先をテュールは左右異色の双眸で一瞥し、かちんと歯を鳴らして意地悪く脅かした。慌てて手を引っ込めたシルディを見てライナが苦笑する。

「うーん。それにしても、どうやって下まで行こうかな。一応この塔の窓から入って、中にある階段を伝っていけばそのままアビシュメリナには辿り着く――と思うんだけど」
「思う?」
「なんせ僕もまだ最奥には行ったことがないんだよね。この塔の半分より先は見たことないよ。息が続く時間を考えたら、そこまでが限界なんだ」
「……それなら、私達が行くのは到底不可能じゃないのか」

 「そうなんだよね」と笑いながら言ってのけたシルディは、シエラを通り越してライナに視線を送る。

「結界の応用でなんとかなるとは思いますけど……どこまで保てるか少々不安ですね」
「そうそれ。僕も知り合いの神官に何度か頼んでみたけど、誰も上手くできる自信がないからって断られちゃって。でも大丈夫、クレメンティアならできるよ」
「“ライナ”です」

 「元よりそのつもりで来たんですけど」と苦い表情のままライナは言い、水底を見下ろしてロザリオに手を伸ばした。
 結界の応用――やり方さえ分かれば、本来ならばシエラにも可能なことである。だが祓魔の力はなんとなく使えてきたのだが、結界となるとからっきし駄目だ。
 ここはライナに任せるより他にないのだが、彼女一人で全員をどれだけあるのかも分からない海底まで連れて行くのは至難の業だろう。
 途中で結界が壊れれば溺死しかねない。

 まずは慣れたシルディとライナで結界がどれくらい保つのか――また、どれくらいの深さがあるのかを確かめるために潜ろうかと二人が話していたときだった。
 シエラの肩に僅かな振動が感じられたかと思うと、テュールがぱたぱたと音を立てて皮膜の翼を羽ばたかせる。
 海面間近まで飛んでいった小さな竜は、不思議がるシエラの言葉に応えるように小さく鳴いて異色の双眸をきらりと輝かせた。

「テュール?」

 ――紡ぎだされたのは、『謳』のような音だった。

 竜にしては優しく高い、普段のテュールの鳴き声ではない。言葉では表現しがたい『自然の音』のような鳴き声が発せられ、途端にテュールの尾についたクラスターが淡い光を帯びる。
 次いで放たれた光線にも似た吐息《ブレス》に、一同は目を瞠った。
 薄青の透き通った光が徐々に形を成し、やがて球状の風船のようなものがぷかりと海面に浮いいたのである。うっすらと膜を張ったそれは気泡のようにも見えるが、しっかりとした形を持っている。
 テュールは球体の上にちょこんと座ると、どこか誇らしげにこちらを見て一声上げた。

「まさかこれ……結界、とか?」
「そのまさかみたいですよ、エルク。これで心配はある程度なくなりましたね。それでは、行きましょうか。――アビシュメリナへ」

 ライナに促されてシエラは恐る恐る海面に浮かぶ膜に手を伸ばす。ふにゃ、となんとも言えない感覚のあと、指先が膜の中へと突き抜けた。
 そのまま手首まで入れて手を握ったり開いたりを繰り返し、内側から膜を叩いて感触を確かめる。どうなっているのかはよく分からないが、意識して抜こうとしない限り内側から手が抜けることはなかった。
 シエラが決意を固めて足を踏み入れようとすると、ぎょっとした様子のエルクディアに押しとどめられた。

「一応、俺が安全を確かめてからにしてくれ。万が一そのまま落ちでもしたら、大変なことになるだろ? ――テュールのだから、大丈夫だとは思うけどな」

 安全を疑われ、不満そうに唸ったテュールの機嫌を取ってから、エルクディアはためらいなく球体に足を入れた。しっかり足裏が膜を捕らえたのを確認し、彼は一気に全身を球体の中へ放り込む。
 ぼよぼよと大きく海面で揺れたあと、球体は彼の体を支えたまま同じようにして浮いていた。
 中から彼が安心したように微笑んで手招きする。
 手を引かれて入った球体の中は、とても不思議な感覚だった。薄い膜を挟んでライナが微笑んでいるのが見えた。足元に視線を下げれば、水の上にそのまま浮いているような錯覚に陥る。
 そっと屈んで指で底を突いてみるが、膜のひんやりとした感覚がどこまでも付きまとうだけだった。

 次いでライナとシルディ、リースが乗り込み、そして最後にテュールが球体の天井からすとんと落ちるように入ってくる。
 未だに信じられないような状況だったが、テュールは楽しそうに一鳴きして尾を淡い青色に輝かせた。
 途端に球体が揺れ、音もなくゆっくりと海の中へ沈んでいく。
 ――夢のようだと、シエラは思った。

「……魚になったようだな」
「ええ、そうですね。でも、シエラには人魚の方が似合っていますよ?」 

 そう言ってライナは微笑むと、辺りに気を配りながらテュールの頭をそっと撫でた。この結界にも似た球体はテュールの力で作り出しているのだから、小さな竜が力尽きてしまっては元も子もない。
 藻の絡みついた塔の外壁沿いにゆっくりと、流れる水の音だけを届けて海底へ進む。
 目の前を滑るように泳ぐ魚達に目を向けながら、シエラがそっとロザリオを握った。


 ――目指すは深海、アビシュメリナの海底遺跡。
 

+Fin+
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