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 回廊の角を曲がったところで、視線の先に深い藍色がちらついた。

「リース?」

 壁にかかった絵画を眺めている男は、相変わらず冷ややかな表情をしていた。無口でなにを考えているかさっぱり分からないのに、ラヴァリルには溺愛されている。
 銀に似ているけれど、銀よりも深く暗い色をした灰色の髪の一部にだけ、赤い色が混じっている。それがとても印象的だった。
 向こうもこちらに気づいたのか、ぎろりと睨むような視線を投げて寄こしてきた。
 むっとして無視を決め込むシエラが彼と擦れ違った、そのときだった。

「――っ、リース!」

 振り向きざま、勢いに任せてリースの腕を掴んだ。考えずに動いたため、「あ……」と後悔にも似た呟きが漏れる。
 気だるそうに振り向いた彼は、苛立ちを隠そうともしないでシエラを威圧的に見下ろした。

「離せ」
「……お前、昨日の夜、どこにいた?」

 どくどくと心臓が騒ぎ立てている。
 リースはなにも言わない。ただ、掴まれた腕に無感動な視線を注いでいるだけだった。

「薔薇園にいたのか? 今のお前からは、薔薇のにおいがする」
「…………」
「昨日、薔薇園にいた侵入者は、お前ではないのか?」

 確信よりも本能が警鐘を鳴らしている。なんの確証もないが、ただ感じたのだ。鼻腔に届いた薔薇の香りと、突き刺さるこの視線が、昨夜の者と重なった。
 昨夜、一度もリースの姿を見かけなかった。たったそれだけでこんなことを思うのはおかしいと、シエラ自身そう思っている。たが襲いくる不安に、なにもしないまま勝てる自信はなかった。
 冷たい紫水晶の双眸が剣呑にきらめき、シエラを射殺そうとせんばかりに静かに燃える。ぞっとした。心底鬱陶しそうに睨まれたのと同時、乱暴に腕を振り払われる。

「っ!」
「触るな。俺がどこにいようと、キサマには関係ない」
「それはっ……、だが!」 
「はっ、じゃあ逆に聞くが、いたらどうする? なにもできないくせに、いちいち嗅ぎ回られると目障りだ」

 取り付く島などない。
 ずくずくと心が痛むのは、彼の言葉が図星だったからかもしれない。だからこそ、返す言葉が出てこなかったし腹が立った。

「思ったことを尋ねて、なにが悪い!」
「――キサマに答える必要性がどこにある?」
「質問に質問で返すなっ!」

 憤然としてそう食ってかかるも、リースは眉一筋たりとも動かさなかった。
 やがて彼はほんの僅かに口端を持ち上げる。笑顔と呼ぶには冷酷すぎるそれに、びくりとシエラの肩が揺れた。
 恐怖を自覚するよりも早く、ぐいっと髪を強く引っ張られた痛みに悲鳴が漏れた。乱暴に掴まれた髪によって、無理やり上向かされる。見下ろしてくる眼差しは、嫌悪に染まっていた。

「――いい気になるなよ? なにもできない聖職者の犬が。キサマの髪(コレ)が示す意味を、よく考えるんだな」
「なっ……、お前はその聖職者と協力するために、ここに来たんだろうが! それに、魔導師だって、聖職者と変わらないだろうに!」
「変わらない? 笑わせるな。神から授けられた力だなんだと崇めて、魔物を浄化して転生させる? そんなことをしてなんになる。魔物は払拭すべき存在だ。……ああ、もっと簡単に言ってやろうか」
「いっ、!」

 涙が滲むほど強く髪を引かれ、ぶつ、と嫌な音がした。

「お前ら(聖職者)も、俺達(魔導師)も、魔物を『消す』ことが目的だ。そこに綺麗なお飾りはいらない。綺麗事でなにができる? ――俺は守る気なんてない。お前も、この世界も」

 強い力で突き飛ばされて、シエラはよろめいて尻餅をついた。痛みに顔を歪める彼女に気遣うそぶりも見せず、リースはその場を立ち去る。
 まるで心臓に剣でも突き立てられたようだ。底なしの暗闇のように冷え切った言葉が、容赦なく心に爪を立ててくる。呪詛にも似た感情が、ひどく痛い。
 なにかが零れ落ちてしまわぬように、シエラは唇を噛み締めた。雰囲気に似合わない爽やかな風が、髪を優しく撫でていく。

「…………だから、嫌だったんだ」

 ――けっして、守られたいわけではないのに。
 変だ。守る気がないのなら、なぜ彼はここにいる。なぜ、聖職者と共に魔物を退治する。
 守る気がないのなら、どうして。

「なぜ否定しない……?」

 俯いた視線の先に、申し訳程度に少量の土と、踏まれて縮こまっている深紅の花びらが落ちていた。綺麗に掃除されているこの回廊で、先ほどまではなかったそれは、リースの靴裏から落ちていったものだ。
 ……現在、数名を除いて、薔薇園への立ち入りは禁止されている。
 そして今、そこに落ちている先端がくるりと丸まった花びらは、あの薔薇園にしか咲いていない、希少種だ。

「……私、は――」

 きらきらと太陽の光が窓から差し込み、回廊を照らし出す。金色の光が、エルクディアの金髪を思い起こさせた。
 けれど今は、一人で立ち上がるより他にない。
 手を差し伸べてくれる者が、いつもいるとは限らない。

 雨が。
 雨が降ればいい。

 そうすれば、すべてを押し流してしまえたのに。



+FIN+
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