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「それで、話を戻しますけど。そのメール、やっぱりスズヤ二尉ですか?」
「……こんなくだらんことをする馬鹿は、奴くらいしか思いつかん」
「その馬鹿に端末まんまと奪われてる二尉はどうなんですか」
「やかましいっ!!」

 仕事が絡むと少なくともそんなヘマはしないだろうに、どうしてか彼はよく携帯端末をスズヤに盗まれる。スズヤがすごいと言うべきか、ハルナが抜けていると言うべきか。
 どちらにせよ、その被害に遭うのは決まってチトセだった。上司や同僚にしてみればハルナはいい玩具なのだろうが、その玩具で遊ぶために自分をダシにされるのは気に食わない。

「いい加減ロック掛けるなりなんなりしたらどうです? 落として一般人に見られでもしたら大問題ですよ」
「阿呆。そんなものはとっくに掛けてる。何度変えても、スズヤの奴はロック解除しやがるんだ」
「……パスに誕生日とか使ってるからじゃないんですか」
「最初はな。今じゃ俺ですら覚えるのが難儀なランダム構成だ。それをどうやったら解除できるのかご教授願いたいものだな」

 皮肉混じりの一言に、突っかかってばかりのチトセも口を噤んだ。いったいどうしているんだろう、スズヤ二尉は。
 謎は残ったが、どちらにせよ疑問は――最初から答えは分かっていたが――解決した。最後の唐揚げを頬張って、ついでにハルナのオムライスを一口かっさらう。

「二尉がスズヤ二尉に端末を奪取されるのは別にどうでもいいんですけど、あたしが呼び出される意味が分かりません。スズヤ二尉に文句言っといて下さい。さすがに一士の立場的に言いにくいんで」
「……あ、ああ、分かった。沈めておく」
「別にそこまで言ってないです」

 やりにくい。真面目な顔をして端末を睨むハルナのオムライスをもう一口奪い、小言を受ける前に席を立った。

「…………マミヤなら、また玉砕して帰ってきましたよ。わんっわん泣いて、今朝は仕事したくないとかほざいてたのでひっぱたいておきました。今夜辺り、またそちらに伺うんじゃないんですか」

 顔も見ずに言った。でも、どんな顔をしているかくらいは分かった。

「――そうか」

 声はひどく優しかった。からかわれたときのように上擦ったりどもったり、はたまた照れ隠しで怒鳴ったりすることもなく、ただただ優しい声で「そうか」とハルナは言った。
 食器を返却し、昼休みを終えて午後の職務に就く。勉強する予定が、結局あのあともぼうっとしたまま過ごしてしまった。
 職務を終えて戻った部屋には、案の定誰の姿もなかった。机の上には、一枚のメモが残されている。

 ――ちょっとハルナさんのところに行ってきます。

 綺麗な字。メールでも入れれば済むことなのに、就寝前に部屋を空けるときは書き置きを残すのがマミヤの特徴だ。
 流れるような字を光に透かし、チトセはそのまま床に寝転がった。

「だー……、くっそ」

 マミヤが上官を「ハルナさん」と呼ぶのは、昔からの知り合いだからだ。彼女は以前、感染者に襲われたところをハルナに助けてもらっている。そこに居合わせた軍人はハルナだけではなかったし、被害者もマミヤだけではなかった。
 だが、そこでハルナはマミヤに恋をしたのだという。まだマミヤが入隊する前の話だ。
 普通、窮地を救われた側が救ってくれた側に恋をするのがセオリーだと思うのだが、どうやら違ったらしい。その思いは筒抜けで、今では新隊員ですら知っている。マミヤが入隊すると知ったときの動揺っぷりは、それはもう任務中の彼からは想像できないものだった――と、当時の彼を知る者は腹を抱えて笑っていた。
 当のマミヤはたかだか六つほど上の男に興味などあるはずもなく、アンテナも張っていないためにあれほど分かりやすいハルナの思いに気づいていない。それどころか、「助けてくれた優しいお兄さん」の認識が強く、失恋するたびに泣きついている。
 とはいえ主な愚痴は前日にチトセが聞くので、マミヤの気は幾分か晴れている。もうどうしようもない愚痴を零すだけだ。ゆえに彼は、一緒に食事をして飲めもしない酒を一杯だけかっくらい、自分の思いを必死に仕舞い込んで、惚れた女の口から流れ出る「どれだけ好きだったか」という語りを聞くのが仕事だ。
 ひどく心は痛むだろうに、それでも彼はマミヤの誘いを断らない。そうまでして接点を持ちたいかと、上官に対して言うべきではない皮肉を放ったことがあったが、彼は怒鳴ることなく静かに答えた。「そんな理由じゃない」じゃあどんな、とは聞けなかった。

「……あ、明日、スズヤ二尉と巡回だ」

 それも見越しての昨日のメールか。
 マミヤの失恋ももしかしたら視野に入れていたのかもしれない。――もしかしなくても、そうなのだろう。

「うっわ、最悪……。熱でも出そっかなー」

 言ってはみたが、健康体なのでそれは望めない。無意識のうちに握り潰していたメモをゴミ箱に放り投げ、チトセは寮の風呂に向かった。
 途中、端末が震えてメールの受信を知らせる。差出人はスズヤだ。

『ハルちゃん今帰ってきたよ。マミヤちゃんもそろそろ帰るんじゃない? がんばってね!』
「――殺りてぇ」

 思わず口走った物騒な本音に、隣で着替えていた同僚が目を丸くさせた。
 スズヤはハルナとは班が異なるために艦や任務地も異なるらしいが、同期同格の元同室ということもあって仲がいい。スズヤの場合は消防班なので火を消すことが主な仕事だが――、そこまで考えて、チトセは端末を握り潰しかけた。
 下着を一気に脱ぎ捨て、掛け湯もそこそこに湯船に飛び込む。苦情は聞こえないふりをした。

「――人の恋愛にまで口出すなっつの! なにか? あたしの恋の炎は消火対象なのか!?」

 自分で言っておきながら、その内容のポエム加減に恥ずかしくなって潜る。半分水の中で言った台詞だったおかげで、どうやら周りには聞こえなかったようだ。
 ――恋の炎。
 ああもう、まったくもって情けない。
 普通、窮地を救われた側が救った側に恋をするんじゃないのか。――あたしみたいに。
 叩きつけた水面は、ばずんと奇妙な音を立てて湯を跳ね上げる。明日になれば、マミヤはけろっとしているに違いない。朝食のときに、「ハルナさんってやっぱりいいお兄さんよねぇ」なんて笑いながら言うのだ。そして一ヶ月も経たないうちに、あの子は満面の笑みで走ってきて、「好きな人ができたの!」と報告してくるに違いない。
 その間、どんな顔をしてハルナに会えばいいのかとチトセが悩んでいることなど、彼女はこれっぽっちも思っていない。
 失恋したってすぐに立ち直って新しい恋に走るマミヤが、羨ましくもあり腹立たしくもある。
 あの子の恋は純粋で、だからこそ歪んでいて、たまに意地悪をしたくなる。あんたがやってるのは最低の行為なのよ。あんたの気持ちはいろんな人を傷つけるてるの。あんたは――……言い出せばきっとキリがない。それを言えないのは結局のところ、彼女が報われない恋に走ってくれている方が安全だと考えているせいかもしれない。

「よりにもよって、なーんでスズヤ二尉にバレるかなあ……」

 いい歳した大人の三角関係を見守る――むしろちょっかいを入れてくる――スズヤは、ことあるごとにハルナとチトセを接触させようとする。分かっていてもあえて罠にかかりにいく自分が嫌だった。今回だって、スズヤのいたずらと知りつつ食堂に行ったのだから。
 分かっていても、会いに行ってしまう。そうまでして会いたいか。傷つくことが目に見えていて、それでも会いたいのか。
 チトセはハルナとは違い、はっきりと断言する。そうです、と。
 傷つくことが目に見えていても、それでも会いたい。話したい。傍にいたい。
 でも、まずは女として隣に並ぶことよりも、部下としてあの人に、あの背中に追いつきたい。そしていつか、追い越してやりたい。あの人を背に守って、そして言ってやるのだ。

「……あたしの方が、絶対にお買い得ですよ」

 絶対に、あたしが幸せにしてあげます。
 突っかかってばかりの上官にそんなでかい口を叩ける日が来るかどうかはさておき、チトセは昇任試験の勉強に勤しむべく風呂を上がった。
 


 部屋ではきっと、マミヤがおいしいお茶を入れて待っている。

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