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「ゼロくん! ちょっと、ねえ、さすがにあんな飛び方……!」
「あー……、だからごめんって言ったじゃん。そんなに怒んないでよ」
「怒るよ! だってあんな、あんな無茶! 下手をすれば相手にそのまま突っ込んで、二人とも死んでたんだよ」
「だーかーら、俺そんなヘマしないって。だからやったの。絶対大丈夫だって自信あったから。それにあいつだって、ミサイルは無理でも機体は避けるくらいの腕ありそうだったし」

 青い機体に背を向けて後ろを追われていたあのとき、ゼロの胸の中を占めていたのは高揚感だけだった。それでも冷静に動く頭は、的確に操縦桿を操作した。まるで自分の身体のように飛行樹は空を飛ぶ。
 オーバーシュートしてヘルの前に滑り出たのは計算だ。わざと背を追わせた。どんな反応をするのか見たかった。ロックされたことを告げるアラートが血を沸せ、弧を描く唇を酸素マスクが押し隠す。発射されたミサイルをフレアで掻き乱し、回避のためにぐっと機首を引き起こして急上昇し――そして、そのまま機体を水平に戻し、そこからほぼ垂直に急下降してヘルの真正面に躍り出た。
 コックピットの真正面を捉えてミサイルのスイッチを押し込んだあの瞬間、全身の毛穴が開き、興奮に瞳孔が散大した。着弾判定が下されるまでの数秒がもどかしかった。そんなものを待たずとも、自分の勝利は明らかなのだから。
 最低限のループもなにもない、無茶苦茶な飛行だ。曲線など存在しない、鋭角な直線的な動きばかりを駆使して飛んだ。下手をすれば失速して墜落するか、油圧系統に無理をきたして内部発火を引き起こす。そうでなくとも、敵機の真正面ギリギリに降りるのだから、キリシマの言うように、そのままぶつかって共倒れの可能性も十分にあった。
 どこの技術書を捲ったって、こんな戦法は推奨されていないだろう。教官はもちろん、整備士からも大目玉を食らいそうな飛ばし方だ。

「あのね、ゼロくん」
「どうせあとでしこたま怒られんだから、お説教はなし! あんたが言ったんだよ、俺の好きに飛んでいいって」
「言ったけど、でもそれとこれとは、」
「一緒! 結果、勝てたんだからそれでいいじゃん。そりゃ、美味しいとこ全部取っちゃったのは悪いと思ってるけどさあ」

 それだって、一応先に謝っておいた。呆れてものも言えないのか、それとも諦めたのか、キリシマは深い溜息を吐いて額に手をやった。「まったくもう……」いつもにこにこと微笑んでいる男のこんな顔を見るのが新鮮で、今手元に携帯端末を持っていないことを口惜しく思う。
 滑走路の向こうから、自分達に投げられている視線の数々を感じ取り、ゼロはぐっと伸びをした。テールベルトの人間はもうすでにゼロの実力を知っているが、他国の人間がそれを目の当たりにしたのは初めての者がほとんどだろう。もっとも、今回の飛行に関してはテールベルト側もざわついてはいたのだけれど。

「――おっ、来た来た」

 青を纏った長身の影が二つ、こちらに向かってくる。一人は明らかに苦い顔をして不機嫌そうで、それがこの上なく愉快だった。もう一人の表情は、飛ぶ前と変わらない。ゼロを見てにんまりと笑むところも一緒だ。
 目の前を通り過ぎようとする二人に、ゼロは「なあ!」と呼びかけた。ワイルドの舌打ちが大きく響く。「なんだい?」微笑みと共に振り向いたのは、予想通りヘルの方だった。

「あんまり調子に乗んなよ、“子猫ちゃん”」

 青い機体の尾翼にペイントされていた黒猫を、空の中でしっかりと見ていた。
 スカイブルーの目が丸くなる。ざまあみろ。得意げに笑って、ゼロはキリシマの横腹をつついた。自分達も戻ろうと、視線でそう告げる。
 ヘルの機体には黒猫が、ワイルドの機体には耳の尖った山猫のようなものが描かれていた。部隊章でもないだろうから、個人のマークだろう。練習機からペイントを許すとは、カクタスの軍はよほど金持ちらしい。
 それにしたって、ヘルが黒猫とは言い得て妙だと思う。星屑を集めた髪も、スカイブルーの瞳も、「黒」とは無縁だけれど、彼はどこからどう見ても「黒猫」だ。猫のように身軽で、気ままで、戯れにその爪が線を描く。

「――Darling!」

 二人を追い抜いて建物内に戻ろうとしていたゼロとキリシマの背を、そんな声が引き止めた。よく通る声だ。ゼロとキリシマ以外にも、多くの者が注目する。

「“だーりん”ってどーゆー意味だっけ」
「“愛しい人”とかじゃなかった?」

 ふうん。ゼロは軽く頷いて、再びヘルに背を向けた。誰を呼んでいるのかは知らないが、自分ではないのだから構う必要はない。

「ダーリンってば!」

 「あいつ、誰呼んでんの?」見上げたキリシマもきょとんとしていて、ゼロと同じように首を傾げていた。仕方なしに足を止めて首だけで振り返れば、夜に溶け込む黒猫のように瞳だけを爛々と光らせて、ヘルがまっすぐにゼロを射抜く。

「たまんないね、あんなに刺激的なのハジメテだよ。すっごくゾクゾクした。ねえ、今度また遊んでよ。次は俺がデカいのブチ込んであげるからさ」
「へ……?」

 張り上げた声がそんなことを言う。周りがざわついたけれど、意味がよく分からない。――なにかとてつもなく卑猥に聞こえる気がすると思った頃には、目の前までヘルが迫っていた。隣のキリシマが言葉を失っている。
 手袋を外した指が、ゼロの頬に触れた。耳の付け根をくすぐられたと思ったら、ふいに目の前に星が流れた。

「――かわいいね、ダーリン」

 ちゅっと音を立てて左頬に触れた柔らかい感触に、身体が一瞬で石化した。棒立ちのまま硬直するゼロの隣を擦り抜け、青が消えていく。「またね!」離れていく笑声、気遣わしげに降ってくる視線。そのどちらもが思考を掻き乱す。
 軽く肩を揺すられて、ようやっとゼロはもつれる舌を動かした。それでも身体は動かない。

「い、いま、今の、なに」
「あの、ほら、……カクタスはそういうの、挨拶だって聞くし。ね?」
「いまのなに」
「…………キス?」

 キス。キスってなんだ。キスはキスだ。唇が触れる、そういう行為だ。残念ながらゼロは未だに体験したことがない、未知の行為でもあった。
 口ではないにしろ、でも、初めて家族以外の誰かに唇で触れられた。誰に? ――考えかけて、瞬時に爆発する。


「はぁああああああああああああああああっ!?」


* * *



 ――このときは、想像もしていなかった。
 今と変わらぬあの空の中で、あんな交わり方をするなんて。

「愛してるよ、ダーリン。早く地獄(こっち)へおいで」

 思ってもみなかった。
 あの空の中で、――あんなことに、なるなんて。


「黙れクソ猫、無に還れ」


 もうすでに、すべては始まっている。
 ――革命の時を、見定めろ。


(20131019)

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