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「いつの間にヴァハトを取り込んだ」
「取り込むとか失礼なこと言わないでよね。この前コールしたときに話したでしょ。カフェの一件。あの日以来、仲良くさせてもらってるの」

 空学生の立場を利用し、空き時間にオウカの様子を見に行ってさりげなく周りの様子をヴァハトに報告しているのだが、それはわざわざニノカタに言う必要はない。オウカは一度面倒な目に遭ったらしく、ヴァハトが心配していたのでワカバが情報収集役を買って出たのだ。変な虫が近寄れば、その情報はすぐさまヴァハトに流れる。
 まさか同僚とそんな関係にあるとは知らないニノカタは、小さく呻いて拾い上げた枝を折った。軍手をはめているとはいえ、フローリストの手が傷つくような真似をしていいのだろうか。そう訊くと、ニノカタはひどく不思議そうな顔をして「お前、俺をどんだけか弱い生物だと思ってんだ」と返してきた。
 ワカバからすれば、あんな強盗犯を前に怯えるようではか弱い生物に他ならない。もっとも、民間人ならばそれが当然だろうとも思っている。ヴァハトの身体能力が異常なのだ。

「ヴァハトさんだったら感染者の一人や二人、沈められそうだもん。ほんっとすごかった」
「そんなにヴァハトがいいならどうぞ乗り換えてくれ。そんで一瞬で玉砕しろ」
「えっ、嫉妬? 嫉妬してるの?」
「お前はほんっとおめでたい頭してるよな」

 早く惚れさせて早く振ってやりたい。焦りは禁物だと分かってはいても、逸る心は抑えられない。
 到底他の人には聞かせられない軽口を叩きながら奥へ奥へと進んでいたワカバは、ふと足を止めて頭上を見上げた。広がる枝葉が照りつける陽光を遮り、地面に光の模様を描いている。風が吹けば葉擦れの音が鳴り、耳にもとても涼しげだ。キャンプ場付近からは大分離れているため、騒ぎ声は届かない。

「ねえ、静かすぎない?」
「あ? そりゃ、こんだけ離れりゃ誰もいないだろ」
「なんで誰もいないの? キャンプ場にはワカバ達以外にも何組かいたよね? なんで、同じように枝拾いに来たりしてないの?」
「そりゃたまたまだろ。つか、それがどうしたよ」

 たまたまだと言われればそれまでだ。だが、ワカバは妙な違和感を覚えてその場に立ち尽くした。

「この辺りの蝉、鳴きやんでる。鳥もいない。こんなの、絶対おかしい」
「はあ? なに言ってんだ、お前」
「戻ろう、ニノカタさん。ここにいると危な、――伏せて!」

 もはやそれは勘だった。
 ガサッと音を立てた茂みを警戒し、ニノカタを突き飛ばすようにしてワカバは地面に伏せた。その肩ギリギリの高さを、牙を剥く狸が跳躍する。口元から覗いた鋭い牙の先から、白い粘液が滴り落ちていた。ただの狸ではない。徐々に毛の色が白く変色していき、その皮膚の合間から白い芽が顔を出す。

「なっ……!?」
「ニノカタさん走って!」

 感染している。ワカバは抱えていた枝を放り投げ、驚愕に目を瞠るニノカタの手を引いて走り出した。キャンプ場まで戻りさえすれば、武器になるものがある。狸の一匹くらい駆除できるだろう。その間に民間人を避難させればいい。
 そう思っていた矢先、今し方通った道の向こうから聞きたくもないしゃがれた声が聞こえてきた。あれは間違いなく人の声だ。喉が潰れたような奇声。笑い声とも叫び声ともつかないそれは、徐々にこちらへ向かってくる。

「おい、嘘だろ、この山は安全区域じゃねぇのかよ!」
「言ってる場合!? いいから早く走って! こっち!」

 ニノカタの言うとおりだ。この山は、安全が保障された指定区域のはずだ。山には定期的に薬剤が散布され、専門家が十日おきに測定して安全を確認している。それでも、ここは自然の山だ。相手が植物である限り、昨日安全でも、今日もそうだとは限らない。
 いくらこの山で白の植物が猛威を振るう可能性が低いとは言っても、外部からすでに感染した個体が侵入すれば感染拡大を防ぐことは難しい。感染者であればゲートで引っかかるだろうが、野鳥――あるいはもっと小さな動物、虫ならば監視の目を掻い潜ることも可能だ。
 息を切らしながら山の奥へと走り、ワカバは見つけた小さな洞窟へとニノカタを誘導した。洞窟と呼ぶには忍びない穴だ。ただの窪みと呼ぶ方が正しいかもしれない。二人が入ればそれだけで満杯になったそこに潜み、必死で荒ぶる呼吸を整えた。噴き出す汗が止まらない。
 感染者は大きく引き離したようだが、それでも油断ならない。膝に手をついて呼吸していると、その足が震えているのを自覚した。
 ――怖い。
 ワカバはまだ空学生だ。軍人の端くれとはいえ、本物の感染者と対峙したことはまだ一度もない。映像で見たことはあっても、この目で見たことはなかった。戦い方は一通り習っているとはいえ、実戦経験は皆無だ。武器もない今、ただ逃げることしかできない。

「……ニノカタさん、とりあえずヴァハトさんに連絡して、ここから避難するように伝えてもらって。避難完了したら発煙筒焚いてもらうよう伝えてくれる? ワカバは軍に連絡する」
「あ、ああ……」
「絶対に大丈夫だから。――助けが来るまで、ワカバが守ってあげるから」


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