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残る欠片に声はなく *9


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 マイクを通した声が淡々と耳に届く。二百人は収容できる大教室の窓際後方に一人で座っていた奏は、スライドに示される講義内容を必要な部分だけレジュメに書き移していた。窓からは赤く色づいた木々が見下ろせ、ここから見渡せる景色を見る限りでは、農村部を騒がせている白の植物が嘘のようだ。
 正門に近いこの教室棟からは、大学の自慢でもある広い芝生が見える。空き時間を利用して学生達が思い思いに過ごす場所だ。近所の子供達が遊びに来ることもしょっちゅうで、奏もたまに子供達とバドミントンや鬼ごっこに興じることがある。
 しばらくぼんやりと外を眺めていると、正門のあたりに人が溜まっていることに気がついた。芝生にいた学生達も正門を気にしている。なにかあったのだろうか。ますます外に集中していたところで、机の上に置いていた携帯が震えた。驚いて身体がびくりと跳ねる。慌てて確認した画面には、ナガトの名前が表示されていた。

「――え?」

 大学まで来てるんだけど、抜けられる?
 講義中ということを気遣ってか一応疑問系の形を取っていたが、抜けてこいという意図であることはすぐに分かった。幸いにもこの講義は必修科目ではないので、そそくさと荷物を纏めて後ろの扉から退室する。
 小走りで教室棟を飛び出し、そこで正門付近の騒ぎの理由に思い至った。
 確かにナガトの見目はモデル然としている。しかし、少々外見が整っているくらいでそれほど目立つだろうか。いわゆるイケメンはこの大学にもそれなりに見かける。まさか飛行樹でやってきたわけでもあるまい。
 辿り着いた正門前で、奏は思わず足を止めた。「……そりゃ目立つわ」呆れと驚きが入り交じった呟きに答えるように、車道側でナガトが手を振る。周りの視線が射るようにして奏に集中した。引き返したくなるのをすんでのところで堪え、唇を噛み締めて駆け寄った。

「ごめん、急に。ちょっと急ぎの用があって――」
「や、それはええんやけど。……これ、どうしたん?」
「へ? ああ、これ? ミーティアさんに借りた」

 これ、と言いながらナガトが叩いた車体は、詳しくない奏にも分かる有名なロゴがついていた。世界的に有名な最高級の大型バイクだ。国内で走らせるには、その存在は非常に「浮く」。
 この騒ぎは、場違いにもほどがある高級バイクのせいだったのだ。恥入ることはなに一つないが、畑違いの高級品を前にすると羞恥心が頭をもたげてくるのが庶民の性だ。とにかく乗ってとヘルメットを投げ渡されたのだから、余計にいたたまれなくなった。

「ええー……、これに乗んの……?」
「そのために借りてきたんだから、乗ってくれなきゃ困る。さすがに白昼堂々、飛行樹で飛べないでしょ」

 「ほら、早く」エンジンを吹かすナガトの後ろに、恐る恐る奏は跨った。大きな振動が身体を揺さぶる。

「しっかりしがみついててね」

 右手は座席に取り付けられた取っ手を。左手はナガトのベルトをしっかりと握り、奏はぎゅっと目を閉じた。「行くよ」ひゅ、と風を切る音がしたかと思えば、一気に加速する。
 身体が置いていかれそうな感覚に、奏は悲鳴を飲み込むことで精一杯だった。


* * *



 テールベルトのヴェルデ基地内にある訓練施設で、一通りの訓練を終えたチトセ士長は、真新しい階級章を誇らしげに指で撫でた。昇任試験を無事突破して左腕部に得た階級章は、芽吹いた双葉を意匠したVの字が縦に三つ重なって表されている。花の模様が入るのは三等空曹からで、花付きになることを「開花」と呼ぶ。「才能の開花」と掛けているらしい。
 そんなチトセの仕草を見ながら、マミヤが歌うように言った。

「あーあ、早くお花咲かせたいなー」
「……あんたならとんとん拍子で昇任できんでしょ。問題さえ起こさなきゃ」
「なぁに、その言い方。わたしは別に問題起こさないわよぉ」

 同期同階級のマミヤは、軍の人間とは思えぬたおやかな腕で、夕食が乗った盆を支えていた。艶やかな緑の髪――本人は黒髪だと主張するが――が美しく、誰もが目を瞠る美人の彼女は、優秀ながらも大きな爆弾を抱えている人物でもある。僅かながら王族の血を引く彼女が入隊した理由は、未だに謎だった。
 彼女は空渡観察官で、チトセは特殊飛行部入りを目指す若手操縦士(パイロット)だ。デスクワークが主となるマミヤとは違い、戦闘職種に就いたチトセの身体は女性ながらも鍛えられている。
 二人はいつものように、混み始めた食堂で素早く空いた席を見つけて着席した。どっと疲労感が押し寄せてきて、そこでやっと座れたのだと自覚する。ぐったりと机に突っ伏したチトセに、マミヤが呆れたように目を向けた。

「ごはん、冷めちゃうわよぉ?」
「お腹減ってんだけど、それ以上に疲れてんのーっ」
「そんなんで特殊部隊に入れるのぉ?」

 テーブルマナーの見本のような動作でハンバーグを口に運んだマミヤからの一言に、持ち上がりかけていたチトセの頭が再び沈んだ。相変わらずこの女は痛いところついてくる。
 片頬をテーブルにつけたままスプーンに手を伸ばすと、すかさずマミヤからの小言が飛んでくる。「お行儀悪いわよ」既婚者にばかりアタックしていくあんたはお行儀悪くないのかと言ってやりたい気持ちをぐっと堪え、チトセは背筋を正した。


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