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* * *



 まったくもって、やってられない。
 そうぼやいて、鳩のあとを追う。先に上空から緑の豊富な場所を確認した鳩は、時折後ろを振り向いて案内を続けてくれた。
 空が高く、透き通っている。空気に汚れはみられるが、あの独特な汚染はない。通りのあちこちに緑が溢れていて、それがとても新鮮だった。
 研究所ではガラスケースに保管された緑を見ているため、これほど無造作に扱うことは考えられない。町にも僅かに天然の緑が見られ始めているが、それは特別浄化地域に限られている。町中に天然の緑が芽吹くことは、まだまだ難しい。
 ――それに比べて、この世界ときたら!
 高揚する気持ちを抑えきれず、思わず笑みが零れた。至る所に色のついた植物が溢れ、人に見向きもされず踏まれたりしている。美しい花は店先で売られ、個人の家でさえ植物が当たり前のように植えられていることも多い。
 この世界は、まだ白の穢れを知らないのだ。
 いきなりこのプレートに渡れと言われたときには大いに不満に思ったが――そして今でも思っているが――、こうして研究対象があちこちに存在していることは評価できた。
 そもそも、自分は実地向きではないのだ。研究室にこもり、電子機器やサンプルと向き合っていることの方がよほど性に合っている。
 そうだ。生の感染者なんて、遭遇していいものではない。新薬や武器を研究する以上、感染力の高い植物や感染者を対象にすることには抵抗はない。だが、それはあくまで立派なガラス越しの話であって、直接対峙するわけではない。
 そんなことは、野蛮な軍人共がやっていればいい話だ。
 野蛮な軍人――今朝方だって、無理矢理個人用の小さなヴァル・シュラクト艦に押し込まれ、「説明は追ってする」とたった一言告げられてこのプレートに飛ばされた。空渡中に着地点やナガト、アカギという隊員のコードが送られてきたが、操舵などできるはずもない。適当にコードだけ打ち込み、あとは自動操縦に身を任せた。
 案の定、着地時には失敗し、顎が鳴るほどの衝撃が身体を襲った。シールドを準備しなければ、死んでいたかもしれない。命辛々ひしゃげた艦から逃げ出して、緑のにおいに誘われるがままにふらふらと歩いていたのだが――気がついたら、こことは別の公園で倒れていたらしい。
 そのときに声をかけてきた女が、マーカーをつけていた。濃厚接触しているが、感染してはいない者につけられるマーカーだ。どうやら、この女はテールベルトの軍人と接触したらしい。濃厚接触者特有のにおいを発していたのでしばらく観察していたが、自宅とおぼしき場所に着くなり感染者の気配がした。とんでもない話だ。防護服もなにもない状態で感染者と接触するだなんて、おぞましいにもほどがある。

「スツーカ、そろそろかい?」

 くるぅと鳩が鳴く。見えてきた公園は、青々とした緑で満たされていた。

「うわあ……! どうしよう、保存ケースは足りるかな。圧縮パッチの予備がいくつかあったけれど、ああ……こんなことなら研究室ごと来ればよかった! どうしようか、どれを採取して持って帰ろうかな」

 公園の中は、それこそ楽園だった。緑に囲まれ、虫や鳥が我が物顔で緑の中に溶け込んでいる。幼い子供とその母親の姿もあった。小さな手が乱暴に植物を引きちぎっていく様子を見て、怒りがこみ上げてくる。気を紛らわせるべく、目の前の植物に集中することにした。
 どこを見ても緑だ。蔦を伸ばすタイプにするか、それとも花を咲かせるタイプにするか――どれをサンプルとして採取するかを考えると、それだけで胸が躍る。この世界の種を持ち帰り、育ててみよう。どの程度の段階で汚染が始まるのだろうか。それとも、白の脅威に打ち勝つ力があるのだろうか。
 想像はたやすく現実を越えるが、現実の衝撃は想像を凌駕する。幸せな悩みを抱えながら次々にサンプルを採取していくと、頭上で鳩が大きく鳴いた。

「なにさ、スツーカ。どうし――」
「――随分とご機嫌ですわね、ハインケル博士」
「ひっ!」

 ガチャ、と嫌な音を立てて後頭部に押しつけられたものの感覚に、背筋が凍った。硬直して身体が動かないのをいいことに、背後に立った女は撫でるような手つきで耳の通信機を勝手にいじってくる。
 言語コードが操作されたのか、耳に入ってくる言葉が理解できるようになった。急激に押し寄せてくる言葉の波に、頭がずきりと痛む。

「探しましたのよ、博士。さ、戻りましょう? ――あっ!」

 捕まってなるものか。
 昼間から銃器を持ち出す野蛮人に付き合っていられる余裕などない。白衣を翻し、砂利を蹴り、鳩を胸に抱えてひた走った。サンプルはしっかりと左手に握っている。
 大通りに出れば、あとは体格を利用して撒くだけだ。ほっとしたのもつかの間、通りの両側からつい今朝方転送されてきた画像データにあった男達が駆けてきた。

「うそっ! ススススツーカ、どうしよう!」
「止まれっ! 逃がすかよ!」
「怪我させるなよっ、アカギ!」
「わぁってるっつの!」
「助けてスツーカ! どっ、どうしっ、うわぁああああああああ!!」

 のどかな公園に、少年の悲鳴が弾けた。


* * *



 ナガト、アカギ、ミーティアの三人が家を飛び出していったあと、穂香と奏は荒れ放題の室内の片づけに専念していた。怪我をしている奏に休むように言ったのだが、彼女は「うちもやるから」と言って休もうとしない。
 ある程度綺麗になったところで戻ってきた三人は、なんと四人に増えていた。
 アカギが抱えているのは、鳥の巣のようなぼさぼさの金髪に青い垂れ目の少年だった。身なりさえ整えれば、それこそ天使のような風貌だ。がたがたと震える子供を見つめる穂香の視線に気がついたのか、アカギは不機嫌そうに「誘拐じゃねェからな」と言った。
 様子を見に来た奏が、あっと声を上げた。どうやら知り合いらしい。客間に通した彼らに茶を運び、二人は部屋の隅で肩を引っ付けてその奇妙な光景を眺めるしかなかった。

「なあ、ほの……」

 奏がぽつりとこぼす。

「……うちら、とんでもないことに巻き込まれたんとちゃう?」

 いつの間にか怪我も癒えてすうすうと眠りこける両親と、現実離れした外国人――異世界人達。
 荒れた部屋の惨状は現実のものなのに、どこか事態を把握できずにふわふわとしている。
 両脇をナガトとアカギに固められ、窮屈そうにしている少年の肩には、なぜだか鳩が乗っていた。茶を飲み終えたミーティアが、正座していた足を崩して伸びをする。

「……なあ。そろそろ、説明してぇや」

 包帯も巻き終わった頃、奏はそう切り出した。どうしたものかと思案顔の男達をよそに、ミーティアが妖艶に笑む。

「知る覚悟は決まったのかしら、お嬢ちゃん方?」


 ――そして容易には信じがたいゲームのような話を、赤坂姉妹は再び聞くこととなる。


【5話*end】

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