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「あの嬢ちゃんの声か」
「――はい」

 ソウヤやハルナにとっては、この声にあまり馴染みがない。それでも聞いていて心地よいものではないのだから、彼らにとってはどれほどの痛みを与えるのか。
 血の代わりに白い粘液を噴き上げて、蔦が一本千切れて倒れた。感染者達の邪魔がなくなったおかげで、地上からのアプローチも十分可能になったのだ。多くの銃弾を受け、おぞましい白の植物がもんどりうつ。
 一本一本確実に蔦を剥ぎ、あの実を落とす。時間はかかるがそれが最も有効な手と言えるだろう。
 冷たい風に煽られつつ一度距離を取ったソウヤの目に、感染者を引きつけて飛ぶカガと奏の姿が見えた。リロードのために距離を開けたナガトも同じく、視線は彼らを追っている。

「気になるなら行ってこい」

 見れば、スズヤと共にアカギも地上から健闘しているようだった。その顔は悲鳴を聞くたびに苦しげに歪むが、軍人の本分を見失ってはいないらしい。
 手が足りているとは言えないが、集中できない隊員が混ざっている方が厄介だ。だが、ナガトは軽く首を振って笑った。

「……いえ、カガ二佐が一緒なら平気です。それに、ほのちゃんを置いてあっちに行こうもんなら、絶対ぶん殴られますから」
「そうか。なら集中しろよ。ハルナにばっか美味しいとこ持っていかすんじゃねぇぞ!」
「はい!」

 奏にはカガがついて飛んでいるし、カガ隊のフォローも十分にある。どれほど大量の感染者に追われたところで、よほどのことがない限り、こちらよりずっと安全だ。まんざらただの強がりでもないような口ぶりで、ナガトは今はこちらに集中すると言った。
 上等だ。そうでなくては軍人など務まらない。
 荒ぶる蔦を撃ち抜き、吐き出される酸を避け、中央に揺れる実を目指す。心臓をひやりとさせる甲高い悲鳴を聞きながら、それでも心を殺してひたすら飛んだ。
 白い粘液が滴る肉厚の花弁がぶるりと震え、蠢くしべが白い花粉を撒き散らす。甘い腐臭を放つそれに、グリップを握る力が抜けそうになった。
 少女の声で、花は泣き叫ぶ。人の言葉でないだけ、まだマシだった。


 気が遠くなりそうな攻防をどれほど続けていたのだろう。無数の蔦が残り僅かとなるまでに、何度叩き落される隊員を見たか分からない。ソウヤ自身、吐かれた酸を左足に食らって、戦闘服の上からでも焼けるような痛みに襲われている。
 ハルナは未だに休むことなく飛び続け、額や首筋から滝のように汗を流していた。誰かあいつを引きずり下ろせと言ってやりたいが、ここで貴重な戦力を欠くのは惜しい。
 強力な薬銃を使えれば話は早いのだろうが、それではリスクが高すぎるからと、中威力までの武器の使用制限がかけられているのがもどかしかった。人命優先は望むところだが、刻一刻とリミットは近づいてきている。
 ハインケル達が出した結論も、核は実の内部、すなわち穂香の胸部から反応しているとのことだ。あの薄膜を破り、穂香を――寄生体を取り出さなければ、終わらない。

 あと三十分。
 誰かがそう言った。ナガトの顔色がさっと青褪める。減ったとはいえ、残った蔦の動きはより激しいものになっている。攻撃が盛んなのは蔦だけではなく、地上の太い根や降りそそぐ酸も同様だ。
 多くの隊員が最悪の状況を思い浮かべたその瞬間、枯れかけの声でハルナが吠えた。

「手を休めるな! カガ隊の意地を見せろ!」

 言うなり咳き込んでいるのが見えたが、ハルナは巧妙に地上からその姿が見えないよう空を滑っていく。どこまでも気高く、頑なであろうとするその姿に、誰もが表情を引き締めた。
 ――あいつは本当に「アイドル」だな。
 そんな苦笑が零れ出る。テールベルト空軍において絶大な人気と実力を誇るハルナは、新隊員達の憧れを一身に受けると言っても過言ではない。
 上官下官問わず愛されるその姿から空軍のアイドルと冗談半分で呼ばれているが、周囲に大きな影響力を持つ姿はまさにそれだ。
 弾薬の補充に地上に降りたタイミングで、ナガトも追うように降りてきた。彼もまた、冷えた風に汗だくになった髪を遊ばせている。

「……ハルナ二尉、大丈夫でしょうか」

 他に訊きたいことは山ほどあるだろうに、ナガトは痛々しいまでに必死なハルナを案じていた。彼の愁眉が開かれるのはいつになるだろうか。
 ハルナの優秀すぎる働きは、見方を変えればいつもの冷静さを欠いていることが分かる。こんな状況だからこそ気づく者はほとんどいないが、普段のハルナであれば、残りの体力も考えずにがむしゃらに突き進むような真似はすまい。彼は常に全力で事に臨むが、引き際は弁えている男だ。
 その箍が外れているとしたら、考えられる原因は一つだった。

「今のあいつを止めたきゃ、全身の骨を折るっきゃねぇだろうな」
「え? いや、でも……」
「あいつは昔、知り合いを故意の人体寄生によって亡くしてんだよ」

 弾倉を掴む手が一瞬止まり、ナガトの目が驚きに見開かれた。
 知らなくて当然だ。聞いていて気持ちのいい話でもないし、内容が内容だけにそう他言できるものではないから、知る者も限られている。けれど当時のハルナを知る者なら、一度は耳にしたことはある話だった。

「カクタスの人体実験の結果だとよ。それで完全寄生された相手を、どういう因果かハルナが処理するはめになっちまってな」
「核を植え込む人体実験ってそんな、でもそれ、国際的に禁止されてますよね?」
「表向きはな。うちのあの博士ですらやってんだ、あの国じゃお構いなしだろうよ」

 あの任務を終えて戻ってきたときのハルナの顔は、今でも思い出せる。
 色を失くし凍りついた表情は、その奥に苛烈な怒りを燃え上がらせていた。



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