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 なにも分からないけれど、分からないまま膝を抱えているのは性に合わない。それは奏にとっては物心ついたときからの性分だったけれど、穂香は違ったはずだ。だからこそ、守ってやらなければとずっと思っていた。
 乱れてぼさぼさになった細い髪を、優しく撫でつけてやる。少したれ目がちな瞳は奏のものとは違っていたけれど、瞳の奥に見える熱はよく似ていた。

「ほの、ちょっと見ぃひん間に変わったなぁ」
「え? そう、かな」
「うん。見違えた。ええ顔してる」
「……変われたのかな、私」

 恥ずかしそうに俯いて、穂香は「だとしたら、」と呟いて大きく深呼吸した。

「だとしたら、アカギさんのおかげだね」

 大事な妹を取られたような気がして悔しいけれど、それ以上に喜びが勝った。屈託のない笑顔に、もう影は見えない。
 わしゃわしゃと穂香の頭を掻き回して、奏はほっと息をついた。うさぎのぬいぐるみを抱き締めて泣いていた小さな女の子は、もういない。怯えも震えも残っているけれど、それでも前を向く眼差しがここにはあった。
 大きなモニターに、二人静かに目を向けた。映し出された外の映像は、映画さながらの凄惨な光景を切り取っている。感染者達を撃ち抜く、種の弾丸。白を赤く染め上げる。色を落とした白いネズミが、鳥が、虫が、人を襲う。
 深緑の軍服を纏った彼らは、それを的確に処理していく。それでも、あとからあとから湧いてきてきりがないように見えた。

「おーおー、まぁた増えてきてんなぁ」

 のんびりとした声はカガのものだ。泰然と構えた姿と言えば聞こえがいいが、なにを呑気なと言いたくなるその様子に、僅かな苛立ちすら覚える。軍服の胸元に数多の徽章を輝かせるその人は、奏と目が合うなりにんまりと笑った。
 年の頃は、奏の父よりもいくらか若いくらいだろうか。その割には、言動や仕草がどこか少年を思わせる。

「ナガト達、あんなとこ行って危険やないんですか?」
「ん? めっちゃくそ危ねぇよ?」

 しれっと言い放たれた台詞に、奏だけではなく穂香も目を瞠った。

「そんなっ!」
「危ねぇけど、それが俺達の仕事だ。俺達が『危ないから引きこもってますぅ〜』っつったら、誰があいつら倒すんだ?」
「それは、そうかも、しれんけど」
「高レベル感染者は増えてっし、白の植物も暴れ出してる。外はとんでもなく危ねぇ。感染の確率はたっけぇし、そうでなくとも無傷で戻ってこられる保証はねぇよ。こんなん、うち(テールベルト)ですらあんまし見ねぇ光景だわなぁ。しかも、根本の核がまだ姿を現してねぇし」

 笑みを交えて語るカガは、こんな状況でなければただの親しみやすいおじさんだ。下町の商店街で肉や魚でも売っていそうな、そんな印象を受ける。けれど、その口から語られる内容は、他の誰よりも厳しい現実を突き付けてくる。
 オブラートなんてない。ヒュウガにはそれがあった。奏を気遣ったのか、彼の語る「現実」は、事実を伝えつつもまだ優しかった。優しいだけの言葉から砂糖を身ぐるみ剥いだ上で、カガはげらげらと笑った。

「でも、その上で“勝つ”のが俺達だ」

 たん、と、太い指先が端末の画面を叩いた。奏もよく見るタブレット端末に似たそれに、履歴書のようなものが映し出される。次から次へとスライドされていくその中には、この艦の中で見かけた隊員達の顔が何枚も含まれていた。

「嬢ちゃん方は知らなくてトーゼンだけどな、オッチャン率いるカガ隊ってのはそりゃあもう優秀でな。こう……ビューって行ってドカーーンとやって、シュババッと帰ってくることで有名なんだぞ。あ、あとな、テールベルト空軍が誇るめっちゃくそかわいいハルナがオッチャンの部下でな、」
「……へ?」
「そういや、そっちの嬢ちゃんはハルナ見ただろ!? ええと、あんた名前なんつったっけ」
「ほ、穂香、です」
「よし、穂香! どうだった、なあ、どうだった? オッチャンのハルナ、超かわいかったろ!?」
「ええっと……?」

 目をキラキラと輝かせて穂香に身を乗り出したカガは、返答など気にした風もなく「オッチャンのハルナ」について語り始めた。奏も名前だけは聞いたことがある。テールベルト空軍が誇るエースパイロットで、ありとあらゆる格闘術に精通した人だと。
 名前の愛らしさに反して、その実態は謹厳実直を絵に描いたような生粋の軍人だと、ナガトは言っていた。
 どう聞いてもかわいらしさとは無縁の人のように思えるが、カガは「かわいいかわいい」と言って譲らない。一人で熱くなるカガをよそに、奏はそっと穂香に耳打ちしてみた。

「……ほの、そのハルナって人、かわいかった?」

 もしかしたらナガトのように童顔なのかもしれないと思って聞いてみたのだが、穂香は困ったように眉を下げて首を傾げるばかりだ。どうやら見た目も、かわいらしさとは縁がないらしい。
 いい加減うんざりとしてきた頃、カガはきらめく瞳を再びモニターに移動させ、一変して穏やかな口調で言った。

「だから、信じて待っててくれや」

 ――俺の自慢の部下達を。
 けして大きくはないのに広く染みわたっていくその声に、艦内で作業をしていた隊員達がくすぐったそうに表情を綻ばせていた。ハルナについて語っているときに見せていた、呆れたような笑みではない。自分たちの長を誇りに思っていることが目に見えて分かるその表情を見せつけられては、もうなにも言い返せない。
 モニターに、ナガトとアカギらしき人影が写った。心臓が跳ねる。落ち着かないし、恐怖と不安がさらに高まっていく。


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