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自分の知らないところで国が一つ滅ぶのならなんとも思わないが、自分を巻き込むというのなら見過ごすことはできない。一緒に殺されてたまるか。
ハインケルは身を起こし、壁にもたれて天井を仰いだ。零した溜息が聞き慣れたものより少し低くてはっとする。手錠に繋がれた手をまじまじと見つめるまでもない。今のハインケルは、本来あるべき姿に戻っている。
「データの習得に一時間。プレート離脱に二時間。ジグダの熱エネルギーが最高値になるまで一時間。データをコピーしてからセットしたとしても、トータル三時間。……三時間か」
気を失ってからどれくらいの時間が経ったのだろう。喉の渇き具合から考えて、一時間程度だとざっと見積もる。
起爆装置の解除など生まれてこの方やったことはないが、自分ならばできるだろうという確信がハインケルにはあった。この頭を使えば、おそらく爆破は阻止できる。
――しかし。
「どうやって出よう……」
長い前髪が目元を覆う。
外にさえ出られれば。起爆装置の前にさえ辿りつければ。そうすれば、なんとでもできるだろうに。
トイレに行きたいと言って、扉を開けさせることくらいは簡単だ。この部屋にはトイレがない。しかし、見張りの目を盗んで逃げだすだけの瞬発力と体力は持ち合わせていない。大きくなった身体では小回りも利かないだろう。
打つ手なしか――。絶望に膝を抱えて俯いたハインケルは、外の雰囲気が変わったのを肌で感じて膝に埋めたばかりの顔を上げた。
怒声に混じって銃声が二発立て続けに鳴り、ガシャンという凄まじい音と共に扉が揺れた。なにか大きなものがぶつかったらしいことは明白だが、物騒な物音に混じって「やりすぎですってー」などと笑い声が聞こえてくるのが異常だった。
怯えるハインケルに構わず、頑健な扉が蹴り破られるかのようにして押し開かれる。
開いた扉の隙間から、スーツを着た男がずるりと滑るように倒れ込んできた。「ひっ」上げた悲鳴を掻き消すように、乱暴な足音が割り込んでくる。
まるで鬼か悪魔のような形相のその人は、ベッドの上で縮こまるハインケルを見るなり心底鬱陶しそうに舌を打った。
「チッ、ハズレかよ。あの野郎、ホラ吹きやがったな。――オイ、兄ちゃん。ハインケル博士はどこだ? 知ってんならとっとと吐け、吐かねぇならぶっ飛ばす」
「こ、ここです」
「あ?」
大きな手に胸倉を掴まれて、ぐっと息が詰まった。
青い目が剣呑に細められ、きつくハインケルを睨みつける。
「時間がねぇんだ、ふざけたことぬかしてると――」
「ここです! ぼ、僕が、ハインケルです」
深く濃い青い目に、毛先にだけ癖が出た茶髪。この男のデータは何度も見た。その後ろで目を丸くさせる男のことも知っている。
信じられるかと言わんばかりに手の力を強めるソウヤに、ハインケルは喘ぐように言った。
「僕がハインケルなんですっ。ソウヤ一尉に、スズヤ二尉、ですよね……?」
ソウヤとスズヤが同時に目を瞠る。それはそうだろう。信じろという方が難しい。
今のハインケルと彼らの知るハインケルでは、見た目があまりにも違いすぎる。髪と目の色こそ同じだが、十歳前後の子どもだったのに対し、今は年齢通り、二十歳を過ぎた青年の風貌だ。肉は薄いが長身で、顔つきからなにまで変わっているのは鏡を見ずとも想像がつく。
「お前がハインケルだって証拠は、」
「緑のゆりかご計画に使用されるジグダ爆弾は、このプレートじゃ僕にしか解除できない。この頭が、“ハインケル”のなによりの証明になると思う。……と、思います」
ソウヤの言葉を遮って強気に言ってはみたものの、その眼光の鋭さに臆病風に吹かれて語尾が揺れた。
胸倉を掴んでいた手が緩む。そのままベッドに突き飛ばされ、仰向けの状態であっという間に両手だけを高く上げさせられた。
「な、なに!?」
「お前が本物のハインケルなら、――いいか、絶対に動くなよ」
言うが早いか、ソウヤは腰から拳銃を抜いてハインケルの両手の間を撃ち抜いた。凄まじい発砲音に鼓膜が揺れる。庇うように耳を手で覆って、そこで気がついた。
手錠の鎖が、撃ち砕かれたのだ。
「行くぞ」
「ソウヤ一尉、さっきからやること大胆すぎますって。怪我したらどうすんですか、もー」
「ちゃんと動くなっつったろうが。それともスズヤ、お前が開錠してくれんのか?」
「ピッキングスキルは持ち合わせてませーん」
けらけらと笑うスズヤに肘を掴んで立たされ、白衣の乱れを正された。前髪を掻き分けてくる指先は、ソウヤのものよりずっと丁寧だ。
「事情を理解してくれてるってのはありがたい。でもおれ達はそっちの事情を把握してないんだ。道中、どうしてチビ博士が大きくなったのか説明してくれる? ――おれはまだ、君が博士だって完全に信じたわけじゃない」
ハインケルを誘導する手も声も顔も、そのすべてがソウヤより穏やかなくせに、その実スズヤの言葉は刃物のように鋭く切り込んでくる。この人は、ソウヤよりもずっと性質が悪い。心から冷える恐怖を覚えながら、もつれそうになる足で必死に彼らについていった。
ソウヤの手並みは鮮やかだった。次から次へとやってくる邪魔者を、ちぎっては投げちぎっては投げの大立ち回りを演じている。しかしその動きは最小限で無駄がない。長い手足と抜群の運動神経を持つ軍人に、雇われの力自慢程度が敵うはずもなかった。
ハインケルがどうして自分の姿が変わっているのかを説明している合間にも、ソウヤがまた一人落としていく。
無機質な廊下の造りは、ハインケルの勤める研究室のそれと酷似している。どうやらここがドルニエの根城らしい。人は多い。武人だけでなく、白衣を着た研究員の姿も多く見られた。
様々な思考が浮かんでは消えていく。そうして選りすぐったデータは、必ずや正解に近づくはずだ。意識は二人の軍人に向く。ヒュウガ隊のスズヤがここにいるのはまだ分かる。なぜイセ隊のソウヤがここにいるのだろう。
緑のゆりかご計画を阻止するために来たのだとすれば、彼らはもうすでに自らの立場を手放す気でいるのだろう。これだけのことをしておいて、お咎めなしというわけにはいくまい。
――だったら。