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分かるか。「ただの人」に、分かるのか。この肉体に宿った遺伝子は言葉通り「設計図」だという感覚が、理解できるとでもいうのか。人の手によって引かれた設計図通りに造られ、生まれた。もう誰も手を加えていないはずなのに、古の図面は未だに受け継がれている。
生まれたその瞬間から、鎖で繋がれた命。
他の人と同じように、ただ普通に生きて死にたいと望んでなにが悪い。
望みは、ただそれだけだ。けれど、それが叶わないことも知っている。誰に言われずとも、もう十分に理解している。ひどく苦いものを噛み砕き、咀嚼し、腹の中に受け入れた。
だからこそ、耐えられない。
緑を守るための、戦うための翼を折ることだけは、絶対に。
「こんなことを許していいんですか!? 答えてください、ヤマト総司令!」
泣き叫ぶように吠えたその声に、ヤマトがゆっくりと瞬いた。綺麗な瞳だと思う。不純物を取り除いた、濁りのない闇の色。吸い込まれそうなほどに美しいそれが、ひたりとマミヤに据えられる。
テールベルト空軍の頂点に立つ彼は、表情一つ変えなかった。まるで人形のようだ。そのくせ確かに生きた人間なのだから、どこか怖い。そう思ってすぐに、生きた人形は自分達の方かと自嘲する。
「現状、許されざる行為をしているのはお前だ、マミヤ士長。弁えろ」
冷ややかな声に、頭から冷水を浴びせられたような気がした。「どうして、」足元が急に覚束なくなる。水の上にでも立っているかのようだ。
ただの我儘でしかないのだろうか。この主張は、私的な思いが引き起こした、ただの我儘なのだろうか。
分からない。もうなにも、分からない。
「さっきも言いましたが、以前と同じ過ちは繰り返しませんよ」
言葉を失うマミヤに、ムサシは優しく微笑んだ。
他の重役達がなにを言うつもりかと、怪訝そうにムサシを見る。そこにははっきりとした侮蔑が透けて見え、この人もまた、嘲笑の上に立つ人なのだと思い出した。
「我々の目的は、ひとまず“緑を取り戻すこと”です」
「おい、それ以上は――」
「聞くまで引き下がらないでしょう、この子は。追い出すことは簡単ですけれど、外で騒ぎ立てられても厄介ですしねぇ。全部知ってもらった上で管理した方が、賢い選択だと思いますよ」
「それもそうか」と、苦い顔をしたまま頷く男達の姿に、吐き気がするほど腹が立った。
夢を語る子供の表情で、ムサシはゆっくりと語り始めた。新たな「緑のゆりかご計画」を。彼らが思い描く、この国の、この世界の未来を。
ムサシの声は穏やかで耳に心地よいはずなのに、声が零れるたびに寒気が走る。巨大な冷蔵庫の中にいるようだ。計画の全貌を聞かされ、目の前が真っ白になった。
白は不吉な色。
すべてを惑わす、魔の色だ。
その色が、すぐそこで揺れている。
「――それとも代わりに、あなたがその身を捧げてくださいますか? テールベルト王家の血を引く、マミヤくん」
白を前に立ち向かう勇気が、欲しい。
* * *
「ああもうっ、クソッ!」
口汚く悪態を吐き、思いつく限りの罵倒を早口で捲くし立てて椅子を蹴った。苛立ちが足に走った痛みを消す。自分がどれほど余裕のない表情をしているかだなんて、鏡を見ずとも容易に想像がついた。
初めて会ったときから、無茶苦茶な女だと思っていた。気が強くて、なにをするか分からない。小さな子供みたいに好奇心が強くて、喜怒哀楽が分かりやすく、柔軟な思考を見せたかと思えばひどく頑固で。
たった二人の女の子を助けるためだけに、このプレートに来たわけではなかった。最初は囮にする気ですらいた。だのに、目が離せないと思うようになったのは、いつからだったろう。
幸い、艦が軋む音は止んでいる。何度かけても繋がらない携帯端末を握り締めたまま、ナガトは大きく息を吐いた。
穂香を救出し、安全地帯と思われる山中に着艦したのは、ほんの数十分前の話だ。
警告はなにもなかった。感染者もおらず、核反応もなかった。――だから下ろしたのに。
奏からのコールを受けて無事を告げていたら、突然艦体が大きく揺れ、艦が軋んだ。アラートが絶叫する。艦内モニターに映し出された赤と白の明滅は、白の植物の存在を非情なまでにはっきりと示していた。
外側に取りつけたカメラから、無数の蔦が艦に絡みついているのだと知る。人の太腿ほどの太さもある蔦が、何本も何本も絡みつく。内側に取り込もうとするかのような動きに、ぞっとした。無線機が異常をきたし、照明がジリリと揺れて苦しげに喘ぐ。
そんな中で、あの女はよりにもよって予想を超えた発言を投げつけてきた。
『艦の周りになんか悪いのがおんねやろ? やったら、あたしがそっちに行ったら、そいつら引き寄せられるんちゃうん?』
一瞬、耳が馬鹿になったのかと思った。
怒鳴り散らして止めたところで、奏は聞く耳を持たない。あの女ならば、言葉通りミーティアにこの艦の座標を訊ね、ここまでやってくるだろう。そしてなにができる。体力も技術もない、白の植物がなんたるかも知らない他プレートの女に、なにができるというのだ。
艦は完全に取り込まれ、エンジンを始動させても動く気配はなかった。無理に発艦させようとすれば、火災が発生する可能性もある。空渡艦はすぐさまひしゃげるような軟な造りではないので、白の植物の動きが収まった今はひとまず落ち着いて、冷静に対処を考えなければいけない。そんなことくらい分かっているのに、熱を上げる頭は冷静さをどこかに置いてきたらしい。
もう一度リダイヤルしてみたが、何度コール音が鳴り響いても奏の声は聞こえなかった。
「落ち着け、ナガト」
「……あ、あの、あの人は、強いから。だから、あの……、きっと、大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけないだろ! 民間人がどうこうできると思ってんのか!!」
「ひっ……!」
「ナガト!」
アカギの淡々とした声は聞き慣れていたから、もはや耳に入っても頭までは届かなかった。けれど、未だに慣れない弱々しい声は、鼓膜を揺さぶり、耳管を通って脳に滑り込んでくる。その不愉快さに、ナガトは反射的に口を開いていた。
アカギの怒声と机を叩く大きな音に、嗚咽が重なる。見れば、穂香が小刻みに震えながら泣いていた。――泣かせたのか。ありとあらゆる要因が重なる自己嫌悪に、舌打ちが漏れる。その音にすら怯えて泣くのだから、もうどうしようもない。
八つ当たりだ。みっともない。情けない。民間人のか弱い女の子相手に、なにをやっているのだろう。