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「おやおや、マミヤ士長。なんのご用ですか? 会議中ですよ」
中性的な甘い声が、囚われていた意識を引きずり戻す。はっとして視線を滑らせれば、ヴェルデ基地司令であるムサシがにこにこと笑みを浮かべていた。忌むべき白を身に宿したその人は、悪戯っぽく笑って隣を見上げる。ムサシが視線を送った、ぞっとするほどの色香を持ったその男こそ、テールベルト空軍の頂点に位置する総司令官、ヤマトだった。
ざわつく会議室の中は、とんでもない重役会議の場となっていた。もしもここに爆弾でも仕掛けられていてそれが爆発すれば、テールベルトとビリジアンは一気に国家上層部の人間を失うことになるだろう。それほどの面子だ。
――否応なく悟る。予想が、確信へと変わる。なにかが起きている。
「オイ! ここはお前のような小娘がいていい場所じゃない、出て行け!」直接かかわりのない上官にそう怒鳴りつけられると同時、マミヤの唇を自然と言葉が割って出た。
頭で考えた言葉ではなかった。呼吸と同じように、するりと滑り出たのだ。
「――ナガト三尉とアカギ三尉の救助に向かわないのは、“このため”ですか」
「なに……?」
「あの二人を、見捨てるんですか」
ざわめきが大きくなる。
「こーら。マミヤ士長、それは内緒のお約束ですよぉ?」
「どうせ、ここにおられる皆さんはご存知のお話でしょう。違いますか」
腕を掴んで引きずり出そうとする男の手を払いのけ、マミヤはムサシに詰め寄った。それでも笑顔を浮かべたまま、ムサシはマミヤを見上げてくる。すぐ近くに、氷のようなヤマトの視線を感じた。
あちこちから野次が飛ぶ。それもそうだ。こんな大事な会議の場に、下っ端も下っ端の、たかだか士長の小娘が乗り込んできたのだから。後々の処分は免れないだろう。
それでも今しかなかった。これだけの重役を集めた会議にもかかわらず、下には一切の情報が下りてきていない。通常であれば、接待で弁当やらなにやらの手配から始まり、様々な雑務に駆り出されるはずだ。空渡観察官のマミヤにお鉢が回ってこないだけならばまだ納得ができる。だが、ここには広報官一人いない。
この扉を開けるとき、恐怖がなかったとは言わない。だが、理性で抑えきれない感情が胸の内で渦巻いて、どうしようもなかった。
この血を嗤われるのは、もううんざりだ。
「――緑のゆりかご計画ですか」
血を吐くような思いで吐き出した言葉に、室内の空気が明らかに一変した。野次を飛ばしていた一部の重役達の顔色が変わる。
「そんな古い話が若いお嬢さんから飛び出すとはな」
「さすが、歴史のお勉強はよくなされていたようですなぁ。王族のお嬢さんは違いますな」
「ふざけないでっ!」
「ふざけておられるのはあなたですよ、マミヤ士長。よーく周りを見てから発言しましょうね。――口を慎みなさい」
薄く色のついたレンズ越しに睨まれ、マミヤの舌がもつれた。まるで蛇に睨まれたようだ。
ヴェルデ基地司令は、とても不思議な人だった。軍部登録書類上は男性らしいが、本人いわく「どちらでもない」らしく、言葉通りムサシの外見は中性的で男女の別がつけにくい。どちらかといえば女性に見える顔立ちだが、その年齢もまた、不詳だ。薬の影響で老いのスピードがかなり遅れているらしい。下手をすればマミヤよりも若く見えるが、実年齢は遥かに上と聞いている。
輝く白髪の毛先には、白を染め変えんとする緑のグラデーションが施されていた。それはこの国の未来を示しているかのようで、いつも綺麗だと思っていたのに。今では、神経を逆撫でする要因にしかなりえない。
「なぜですか、ムサシ司令。あなたはナガト三尉を気に入っておられたじゃありませんか」
ビリジアンは英雄の国だ。
それは子供でも知っている。一人の青年が、世界を救った。白に呑まれたこの世界に、緑を取り戻した。彼はその名の通り、核(コア)となった。白の植物が持っている核とは違う。緑の核だ。希望の核だ。
英雄は唯一、白の植物に耐性を持っていた。だから、選ばれた。今ほど科学の発展していない、遥か昔の話だ。あれが現代であれば、もう少し違う道があったのだろう。そう考えたところで、歴史に「もしも」はありえない。
英雄は、王族の生みだした緑のゆりかごに揺られて眠っている。
――すべての白の災厄を、その身に宿して。
彼は白の植物に対する耐性があった。だから、いくつもの核をその身に受け入れ、集まる白の植物を一身に宿したのだ。そうして、世界から感染の恐怖が去った。
詳しいことは分からない。けれど、そう伝えられている。
綺麗なおとぎ話として伝わっているけれど、作戦名「緑のゆりかご計画」と名付けられたそれは、一人の人間を人柱にして白の侵蝕を遅らせるというものだった。
「あれだって一時的なものだった! 結局今はなにも変わってない! むしろ、白の植物による被害はどんどん拡大してきています! 英雄だって祀り上げてるけど、あんなの実際はただの人身御供じゃない! それをまた繰り返すの!? 今度はあの二人で!」
「マーミーヤーくーん、あんまり一人で熱くなるのはどうかと思いますよ? 急にやってきてなにを言うかと思えば、そんなこと。遥か昔の出来事と、おんなじことを繰り返すわけがないじゃないですか」
「だったらなんで、あの二人を助けに行かないんですかっ!」
「物事には常に犠牲が付きものだろう。若いお嬢さんには分からんかね」
緑花院に籍を置く高官が、マミヤを見て鼻で笑った。それを受けて嘲笑が連鎖していく。
「三階級は特進だ。彼らもまた英雄となる。喜ばしいことだろう」
計画を肯定するかのような発言に、ムサシが小さく息を吐く。それでも、ムサシは口元に浮かべた笑みを絶やさない。屈託のない笑みを向けながら、これ以上の侵入を許さないと言わんばかりだった。
「なにが……、なにが変わるっていうんですか……? 同じことの繰り返しじゃないですかっ!」
「違う。緑が戻るだろう。それこそ、君達王族が望んだようになぁ」
マミヤに流れる血を嗤う声が、絶えない。
そうだ、王族は常に緑が戻ることを望んでいる。この身を犠牲にしなくともこの世に緑が溢れることを、常に望んでいる。特権階級なのだからそれくらい享受しろとの声が溢れる中で、それでも、ただ普通に生きて死ぬことを望んでいる。
それすら傲慢だと糾弾されるのだろうか。かつての王族の過ちは雪ぎきれぬ業となり、今もなお血によってマミヤ達を苦しめる。
誰が望んだ。目を瞠る美貌などいらない。名誉ある肩書きも、輝かしい紋章もいらない。あの印は家畜の称号だ。焼印と同じだ。国という巨大な鳥籠の中で誕生し、生き、死んでいく。