もうひとつの、恋 [ 28/29 ]

もうひとつの、恋


hi

 言葉一つでこの状況が打破されるなら、いくらでも紡ごう。
 それくらいの気持ちでいたのに、どうしてこう、うまくいかないんだろう。
 ごろん、とムカつくくらいふっかふかのベッドの上で横になる。頭まですっぽり被った毛布が、だんだんと酸素を奪っていって息苦しい。自分の吐いた二酸化炭素が再び吸引され、どうしようもない悪循環。
 アタシって案外馬鹿だったんじゃないの、なんて。

「……なにやってんの、お前」

 「オイ」とか「お前」とか。奴の口からはそんな単語ばっかり滑り出てくる。そういやどうしようもなく腹が立って、夜中の二時にハルカんとこ乗り込んで「ねえ、アイツってアタシの名前知ってるわけ!?」と愚痴ったこともあった。
 パチン、と音がして光が灯ったのが分かる。豪華なシャンデリアは蝋燭じゃなくて電気式。ある意味、この世界は手抜き感が否めない。
 大体、異世界って言ったら剣と魔法の国じゃないの。確かに剣はあるけど、今ではほっとんど役に立ってない。一部の兵士らがもしものときのために訓練してるけど、国同士の戦争が勃発してるだとか、継承権争いで内乱が起きているだとか、そんな事実はまったくない。
 平和も平和。イライラするくらい平和ボケしているこの国で、アタシは今ものすごく、半端なく平和とは程遠い精神状態にあった。

「なあ、オイ」

 うっさい黙れ喋んな。言ってやりたくても声が出ない。ぐるり、と毛布を巻き込むように寝返りを打って、おそらく扉にもたれているであろう奴に背を向けた。
 大きなため息が嫌味かと思うほど鮮明に聞こえる。
 甘ったるいベビーフェイス(あれ、こんなこともう言わない?)の代わりに浮かんできたのは、同じくらい甘くてふわふわで優しい、人形みたいなあの子の笑顔だった。

 アタシとは正反対のオンナノコ。文字通り深窓のお嬢様で、大事に大事にされて育ったオンナノコ。
 派手すぎない金髪のくるくるした髪に、小さな顔にピンク色の唇。そのくせ大きな目は期待を裏切らないコバルトブルー。道行く男子高校生百人に、「理想の金髪美少女を挙げよ」とアンケートをとったら、きっとこんな子になるだろう。
 期待を裏切らないのは見た目だけじゃない。天然で鈍くって、花や虫にさえ優しい、心はガラスよりも脆いデリケートでピュアなお嬢様。汚い感情なんて知らない、真っ白なままの、赤ちゃんみたいな心の持ち主。
 男はこんな『守ってあげたい』タイプの子に、簡単に騙される。俺がいなきゃ駄目なんだ、って真剣な口ぶりで言って、簡単に別の女を振る。そう、簡単に。

『その……さ、お前には俺がいなくても大丈夫だろ? だって、強いんだし。でも、アイツには俺がいなくちゃ駄目なんだ』

 聞き飽きた別れの台詞が蘇ってきて、小さく唇を噛んだ。世の中のエリート女子の皆さん、一回は言われたことがあると思う。アタシも、この言葉で何度別れを切り出されただろうか。五回……いや、六回は完全に同じシチュエーションを再現された気がする。
 ええ、ええ。すみませんね、守ってもらわなくても平気な女で。派手顔長身、強気で勝気。勉強も運動も、人並み以上。
 誰もがそれを羨ましいと言う。アタシだって、運がよかったと思うし誇りに思う。
 ケド、それを理由に告られて、それを理由に振られるのは話にならない。ムカつく。殴りたい。
 ――実際は、いつも通りにっこり笑って「そう、じゃあさよなら」なんて余裕ぶって手を振るんだけど。
 ああほら、やっぱり可愛くない。

「オイって。お前さ、ココが誰の部屋か分かってんの?」

 分かってる、分かってる……いや、分かってんのかアタシ?
 ふつふつと湧いていた怒りが一瞬鎮火した。ぱしぱしと何度か瞬きをして、落ち着いて考えてみる。
 包まった毛布からは知っているけど知らない匂いがし、明らかにベッドの弾力性が違う。そして聞こえてくるのは奴の声――って、ことはつまりはあれか、そういうことか。

「オレの部屋、なんだけど」

 無言を貫き通せば、またしても大きなため息が聞こえた。そしてゆっくりと足音が近づいてくる。ギシ、とスプリングが小さく鳴いて、身体が斜めに傾いたのが分かった。

「なぁにいじけてんだよ」

 意地の悪い声。絶対奴は笑ってる。馬鹿じゃねえの、って顔しているに違いない。
 ハルカとは大違いだ。馬鹿で単純で真っ直ぐで、相手を傷つけないように必死になってもがくハルカとは。
 奴は違う。賢くて複雑で捻じ曲がってて、相手を傷つけることになっても本気を出さない。いや、もしかしたら傷つけて楽しんでいるのかもしれない。
 どうしたことだろう、と自分でも思う。今までは、余裕のありすぎた恋しかしてこなかった。いつも翻弄する側で、相手の慌てる顔を見るのが大好きだったのに。
 今では、奴の顔すら見ることができない。

「だんまりか」

 めんどくせえな、お前。
 笑ったのか呆れたのか、苛立ったのか分からない。アタシが声を聞いて相手の気持ちが分からない、なんて奴くらいなものだ。
 だから正直、嫌いだ。大っ嫌い。ぶっちゃけ憎い。今だって、得意の回し蹴りを食らわせたあと床に沈めて逆エビ固めかけたいくらい。
 あの子なら、言わないんだろうな。――なんて、アタシらしくないことを考えてみた。
 もう本当に、一体どうしてしまったんだろう。寒さにやられたのか? いいや、寒さっていってもまだ秋だ。こっちの秋は真冬の北海道くらいの気温だけれども、でも、だとしても。
 オカシイ。

「たっく、しゃあねえな。……オイ、リィ」

「っ!」

 なにこれありえない! たかが呼ばれただけ、それも本名じゃない。こっちの連中が呼びにくいからって、勝手につけたあだ名だ。
 それなのに、身体も心臓も、かつてないくらい大きく跳ね上がった。
 もう泣きたい。これ絶対にアタシじゃない。茉莉花だ。茉莉花に違いない。そうだ、うん。これは茉莉花なんだ茉莉花まりかまりか。

「言いたいコトあんだろ? さっさと言え。今なら聞いてやっから」

「……ない」

「そーかよ。じゃあオレは……そうだな。お前がココにいんなら、アリスんトコでも行ってくるわ」

 最低、と不満が漏れる。誰に対してかは分からない。アタシか、それとも奴か。
 ああ、最低なのはアタシの男運か。こんなのに惚れるだなんて、ほんっと最低だ。

「さっさと行けば? アリスちゃんとよろしくやってきなさいよ。アタシは今頭痛いの。ガンガンすんの。二日酔いで」

「二日酔いに苦しむ姫様(ヒロイン)ってのは聞いたことねえな」

「別にヒロインになった覚えないからいいのよ。アタシはどっちかっていうと、ヒーロー体質だから」

 そう、颯爽と現れて助けに行く、ヒーローのようなポジションがいい。
 昔からそうだった。気弱で引っ込み思案な茉莉花を助けてあげていたのは、いつもアタシ。ヘタレなハルカだって、アタシが助けてやってる。
 それがアタシであり、アタシを『片倉栗子』でいさせてくれる最大のポイントだ。
 守られる役は、アタシじゃない。助けを待つ役は、アタシじゃない。王子様や騎士様を待つ気なんてさらさらない。もしアタシがどこかの姫だというのなら、自分から結婚相手を探しに旅立ってやる。
 ――だから今、どうしたらいいのか分からない。

「ヒーロー、ねえ。泣き虫がいっちょ前によく言うぜ」

「……は?」

 今、奴はなんて言った?

「鼻水垂らすなよ? あと、マジで二日酔いだっつーんなら吐くな」

 じゃあな、と毛布の上から頭を軽く撫でられ、ベッドがゆっくりと跳ね上がった。遠ざかっていく足音に、どうしようもない焦燥と羞恥を覚える。
 なんでバレてる? なんで見透かされてる?
 なんで、なんでなんで。
 痛くて苦しい。息ができない。きっとそれは頭から被った毛布のせいだ。だからこれさえ取り除けば、楽になるに違いない。
 そう思って勢いよく毛布を撥ね退け、涼しい空気を一気に肺に取り込む。急に上体を起こしたせいか、明るくなった視界は眩暈を起こして揺れていた。扉を開け、廊下へ半歩踏み出していた奴の背中が歪んで見える。
 新鮮な空気は十分に取り込めたはずなのに、どうしてだか苦しいままだ。

「ねえ! 待ちなさいよ、ねえってば! ねえっ! っ、リュカ!!」

 投げつけたクッションは奴――リュカには当たらず、虚しい音を立てて足元に落下した。ただ大声を出しただけだというのに、息が上がっていて苦しい。
 それでもまだ奴は振り向かない。扉を開けたまま、進むことも戻ることもせず黙ってそこに立っている。
 どんな顔をしているんだろうか。
 呆れているのか、困っているのか、それとも笑っているのか。皆目見当もつかないことが、なによりも不愉快だ。
 そしてなにより、そんな不愉快な相手に対して、もっと不愉快な言葉をぶつけそうになった自分がもっともっと不愉快だ。

「リュカ……」

 これ以上なにかを言えば、絶対にアタシじゃない言葉が零れてくるような気がして口を閉じる。頭の中がぐるぐるしていた。
 こんなとき、いつもはどうしていただろう。男を留まらせたいとき、アタシはなんて言っていたんだろう。

「――で。オレにどうしてほしいわけ? 言ってみろよ」

 やっと振り向いた奴の顔は、意地悪い笑みが張り付いていた。
 瞬間、類は友を呼ぶ――なんていうありがたーい諺を思い出す。同時に浮かんできた感想が、『コイツ性格悪ッ!』だ。

「別に。言いたいことなんてないけど?」

「へえ。言いたいことはなくても、してほしいことはあるのか」

「そういうの、屁理屈って言うんだけど。知ってる?」

「そーゆーの、意地っ張りって言うの知ってるか?」

 無理やり形作った笑顔は奴の完璧な笑顔に崩される。
 どんなに頑張ったって、奴にはすべてお見通し。アタシが認めたくない感情にも、奴はきっと気づいてる。
 ここらが潮時なのかもしれない、と大きくため息をつく。俯いた頭の天辺に感じる視線に、さっきまで潤んでいた目を擦る。大丈夫、落ち着いてる。ただ少し、苦しいだけ。
 一度くらい、最初っから玉砕するのもいいかもしれない。人間ポジティブシンキングが一番よ。いざとなったらハルカに八つ当たりすればいい。これくらいで気まずくなるほど、アタシは――アタシ達は、子供じゃない。
 砂糖菓子みたいなオンナノコの代表、アリスちゃんはどうなるか分からないけれど。
 だから、さ。
 勇気出せ、アタシ。

「リュカ、あのさ――」




好きだから、ここにいてくれないと困るんだけど。




(さすがに「行かないで」とは言えなくて、)
(にやりと笑って奴が近づいてきたことを、俯いたアタシはまだ知らない)



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