徒花の相対性理論 [ 29/29 ]

徒花の相対性理論


hi
 大型連休に突入して、世間は誰が見ても浮足立っていた。ニュースでは高速道路の渋滞具合や、観光地の混雑具合、それから各地方団体の必死すぎる呼び込みが放送されている。
 バカバカしい。チョコレートがかかったポテトチップスを一口かじって、茉莉(まつり)はぽつりと呟いた。先週切ったばかりの、明るいミルクティー色が首筋をくすぐる。開け放した窓からはまだひんやりとした風が吹きこんできて、その度に花粉症の弟が盛大なくしゃみを繰り返している。
 リビングのローテーブルに広げられた課題は、どのプリントも綺麗なままだ。筆箱の下で、彼女を嘲笑するかのようにぱたぱたとはためいている。
 塩分も糖分もたっぷりのお菓子を数枚一気に放り込み、ごろりとソファに横になった。海沿いの大きな動物園の特集が流れているテレビを熱心に見ている颯人(はやと)は、ティッシュを傍らになにやら興奮した様子だった。

「……キモイ」

「ねーちゃん、なんか言った?」

「別に」

 冷たく言い放つと、姉になど興味がないとでも言いたげに颯人はテレビに意識を集中させる。大方彼女とでも出かけるつもりなのだろう。今年高校生になったばかりの弟は、初めてできた彼女に馬鹿みたいに浮かれている。
 恥かいてフラれてこい。色気づいてワックスで立たせた髪の毛をぼんやりと眺めて、そんなことを考えてみた。
 なにもすることがなくて、携帯を右手に握りしめたまま瞼を下ろす。聞こえてくるのはきゃあきゃあとわざとらしくはしゃぐ女子アナの声と、それをかわいいと称賛するスタジオの男性キャスターの声。きっとカメラに写っていないところでは、二年前まできゃあきゃあ言われていた女子アナが苦い顔をしているに違いない。

 バカバカしい。
 ちょっとばかり目が大きくて、肌が白くて、髪が長くて、ひらひらとした服が似合うだけで騒がれるだなんて。腹ではなにを考えているか想像に難くないのに、こぞってかわいいと褒めちぎる。挙句の果てには、騙されてもいいだなんてほざく奴さえ出てくる。
 まったくもって、バカバカしい。
 一見すると僻みにしか聞こえない思いを抱きながら、茉莉は大きく息を吸った。それと同時に颯人がくしゃみをする。それがとてつもなく不愉快で、無言でティッシュボックスを振りかぶった。

「っ、いって! なにすんだよ!」

「うっさい黙れキモ男。ガキがはしゃいでんじゃねーよバーカ」

「はァア!? うっせーよクソ姉貴! 男女! んな口汚ねーから嫌われんだよ!」

「黙れクソガキ!!」

 ケンカを始めた二人の後ろでは、女子アナが満面の笑みでパンダ型のクッキーをかじって「おいしーい」なんて頭の悪そうなコメントをしている。
 ワックスまみれの頭を三発ほど思いっきり平手で殴れば、反対に髪を掴まれた。女だからと一応手加減をしているのか、顔や腹への攻撃はない。そんな中途半端な気遣いが余計にムカつく。
 ぎゃんぎゃん騒ぐ颯人の腹に膝蹴りを決め、茉莉はすっくと立ち上がって自室へと足早に向かった。
 リビングには課題とうずくまる弟を残して。





「……ムカつく」

 部屋に入るなりベッドにダイブして、イヤホンを乱暴につけて音楽を最大音量でかけた。当然耳も頭も痛くなる音量だったが、こうでもしないと落ち着けそうにもない。
 何度も何度も同じ言葉を呪詛のように繰り返して歯噛みする。
 たかだか連休ごときで浮かれる世間も弟も、みんな馬鹿で愚かだ。エコだなんだと言っているくせに、この高速道路は一律料金にして金の巡りをよくしようって? 笑える。みんながこぞって遠出なんざしたら、最初に掲げていたエコはどうなるんだ。公共交通機関をできるだけご利用下さい、なんて言ってたコマーシャルは嘘っぱちなのか。

 ごろりと寝返りをうって、自分の部屋を横向きに観察してみた。
 入ってすぐに机。小学生の頃に買ってもらったいわゆる勉強机というやつだ。なにかのキャラクターのシールだったものが、ところどころにぺたぺたと貼られている。その隣には本棚がある。ほとんどは漫画で埋め尽くされていて、参考書が入っているのは勉強机の上の本棚だけだ。
 机と本棚の向かいに、今寝そべっているベッドがある。いたってシンプルな造りで、かわいげもなにもない。収納式で、下の引き出しには服が仕舞ってある。足もとにはシルバーのメタルラックがあって、そこにはコートなどの上着をかけていた。
 部屋のどこを見ても、ぬいぐるみなんてない。カーテンは淡い水色。黒がいいと主張する茉莉に難色を示した母が、妥協案で提示してきた色だ。
 メイク道具は洗面所に置いているから、この部屋には一切『女の子らしい』要素がない。服だって、男ものではないにせよ、女らしいとは言えないデザインのものばかりだ。
 真っ暗な携帯の画面に自分を写して見てみると、ずいぶんとひどい顔をしていた。造作が、ではなく、表情が。

「ムカつく……!」

 ――わりィ、この連休、ちょっと出かけるんだ。
 ――え? あー……その、ほら。まり――あ、片倉さんと。
 ――お前も女なんだしさ、たまにはスカートでもはいてデートしてこいよ。

 明らかに照れ隠しだと分かる表情、口調を思い出すとぐつりと怒りが込み上げてくる。あの男――小鳥遊悠のはにかんだ顔など、思い出したくもないのに。
 あの男は昔から嫌いだった。小学生の頃はなんの遠慮もなく、それが当然のように一緒に駆け回って取っ組み合いのケンカだってした。中学生の頃でさえ、お互いに生傷を作ることなんてしょっちゅうだった。
 それなのに、高校に入学してから奴は急におとなしくなった。いや、性格は相変わらず明朗で快活なままだったが、けれど、それでも確実に奴はおとなしくなったのだ。
 ケンカをしても口論がいいところで、それもたいていは奴の方が口が回るために押され気味になる。それが嫌で手を出してしまうのだが、向こうは避けるか受けるかしてやり返してこない。
 なんで、と受け止められた拳に力をぐいぐい込めながら聞いたことがある。すると彼は一瞬きょとんとして、呆れたように笑った。

 ――だってお前、女だし。

 怒りでかっと全身が熱くなる。確かに女だ。だけど、それがなんだ。
 思えば、部屋に遊びに来るのだって中学二年までだった。三年は受験で忙しいからだと思っていたが、高校に入学してから悠が遊びに来たことは一度だってない。
 別に大した用事もなかったから、遊びに誘うことだってなかった。もうそんな子供じゃないし、一緒にいる必要だってないと思っていた。
 学校で会って、馬鹿騒ぎして、宿題を貸し借りしたりする、そんな関係だった。
 それが当たり前だったし、当り前だとも思っていた。ちょうどいい距離感というものが、二人の間にはあったような気がする。
 しかしどうやら、そんなものがあると思っていたのは自分だけだったらしい。距離を開け始めたのは向こうだというのに、彼は突然メールを送ってきた。

 ――次の日曜、ちょっと買い物に付き合ってくれないか。

 久しぶりのメールだった。風呂上りに光っている携帯を見つけて、なんとはなしに開いて、名前を見て少し驚くくらいには久しぶりだった。
 そして内容にも驚いた。買い物。しょっちゅう遊んでいた頃でさえ、あまりなかった名目だ。
 短くしたばかりの髪がすっかり乾いてしまうまで、なぜか返信するのをためらった。カレンダーをちらりと見る。予定はない。天気は晴れらしい。もう一度カレンダーを確認する。やはり予定はない。
 カレンダーの代わりに、メールを確認した。次の日曜。返信ボタンを押して、数秒後に電源ボタンを押す。
 何度か不毛なやり取りを繰り返して、一言だけ送った。「いいけど」そんな絵文字も顔文字も一切ない了承に返信が来たのは、五分後のことだ。
 待ち合わせの場所と時間が指定されて、ありがとう、とらしくもない――とは言い切れないけれど――感謝の言葉で締めくくられたそれに、返信する気が起きずその日はそのまま眠った。
 土曜日の晩は、妙に落ち着かなくて颯人とケンカした。日曜は約束の二十分前に待ち合わせ場所について、なにをやっているんだろうかと馬鹿らしくなった。

 遅刻もせず、時間ちょうどにやってきた悠は、人好きのする笑みを浮かべて照れくさそうに言った。「彼女にさ、プレゼント買ってやりたくて」一瞬、なにを言われたのか分からずに、とてつもない顔をしていたらしい。
 彼は意地悪く笑って、「お前だって一応女なんだし、最近の流行りとか分かるだろ?」とせっかくセットしてきた髪をぐしゃぐしゃに掻き回してきた。

「……あーーーっ、もう!!」

 やり場のない、吐き出しようのない感情が気持ち悪くて爆発しそうになる。思い出したくないのに、まるでドラマの再放送でも見ているかのように日曜日の光景が脳内で蘇る。
 いやだ、ムカつく、ふざけるな。
 悠は親友だった。いや、親友のはずだった。それなのに彼はなにも分かっていなかった。流行なんて自分はこれっぽっちも分からない。周りの女の子がはしゃぐようなものには昔から興味がなかったし、自分の趣味や好みは悠とそっくりだった。
 だからこそ、気があう親友だと思っていたのに。

 もうすぐ赤く染まりそうな、やわらかなオレンジ色になりかけた日差しが窓から差し込んでくる。明日が近づいてくることへの焦燥が、じわりと目元に熱を生んだ。
 裏切られた。茉莉の心はその気持ちでいっぱいだった。
 言葉ではうまく言えないけれど、裏切られたと、そう思った。

 悠は男子高校生一人では入りにくい、茉莉の苦手とするようなかわいらしい雑貨屋に入って、あれこれ手にとって首を傾げていた。
 猫は好きかな、犬の方が好きかな、ああでも、女の子って花の方が好きなんだっけ。
 バカじゃないの。後ろから吐き捨てるように呟くと、隣にいた明らかに年下の女子高生がびくりと肩を震わせた。悠がそれを見て、肩を竦める。「なにビビらしてんだよ、お前」ごめんな、なんて歯を見せて笑うから、女子高生は頬を染めて俯いて去っていった。
 甘ったるい音楽と匂いの漂う雑貨屋は、いるだけで胸やけがするくらい気分が悪い場所だった。
 それから悠といろんな店を見て回ったが、茉莉にしてみればどれも同じ店だった。ようやく気に入ったものが見つかったのか、彼はハートのモチーフのピンキーリングと、ドライフラワーみたいなものの綺麗な版――どうやらプリザーブドフラワーというらしい――のケーキ型の置物を買った。
 ずっと不満そうな顔をしていたのだろう。満足そうに袋を提げる彼が苦笑して、悪かったなと言ってきた。別に、と返して顔を背けた先には映画館があった。看板には、前から見たいと思っていた映画の主人公がこちらに銃口を向けている。

 ――悪いと思ってんなら、映画連れてってよ。連休割引やってんじゃん。

 深く考えもせず、ぽろりと口をついて出た。前売り券売ってるし、と続けたところで、ようやく悠の表情が困ったものに変わったことに気がついた。
 そして彼は、買ったばかりのプレゼントを優しい目で見て言う。

 ――わりィ、この連休、ちょっと出かけるんだ。

 誰と、と聞いた。悠は「まりか」と言いかけて、「片倉さんと」と言った。
 かたくらまりか。どんな子だったろうか。ああ、確か、文化祭のときに悠のクラスの劇でヒロインを演じた子だ。
 大して可愛くもない、ぱっとしない地味な子だ。姉の方は派手顔で美人なことで有名だ。積極的で活発な悠とは違って、消極的でおとなしい女の子。真面目だけが取り柄のような、典型的な優等生ちゃん。
 その子の話をする悠は、にまにまと気持ちの悪い笑みを始終浮かべていた。爽やかキャラで認定されている『小鳥遊悠』というブランドの、やっていい表情ではない。
 かたくらまりか。彼女に小鳥遊ブランドを崩す、どれほどの威力があるのだろうか。なにも特別な要素などない、平凡極まりない女子高生だ。
 ランダム再生していたせいで、曲が突然それまでの雰囲気をがらりと変えて静かなバラードへと切り替わった。急な変化に違和感を覚える。

「……ムカつく」

 片倉茉莉花。
 一文字違いの、ばっとしない女の子。
 そのくせ、自分とは違って『花』がある女の子。

 目が大きいわけでも肌が白いわけでも、ひらひらふりふりの服が似合うわけでもないのに、どうしてか彼女は女の子なのだ。
 自分はちょっとばかり人より目が大きくて、肌も白くて、髪さえ伸ばせばひらひらふりふりの服だって似合うのに、どうしてか女の子にはなれない。
 茉莉はもう一度低く唸って、ぎゅっと目を瞑った。





徒 花 の
 相 対 性 理 論 


(男女の仲は相対、と)
(はたしてその理論はいかに)


| 戻る |



[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -