はなびら、ひとつ [ 1/29 ]

はなびら ひとつ


hi

 突然だが、あたしには姉がいる。
 名前は片倉栗子。あだ名は幼稚園から大学まで、一貫して『かたくりこ』だ。そう、料理で使うあの片栗粉。姉の友人の八割はそう呼び、残りの二割が『くり』や普通に『栗子』と呼ぶ。
 けれど、中には例外っていうものがあるらしい。ある日突然、姉が連れてきた『彼氏じゃないけど友達でもない、強いて言うなら手下みたいな男』こと尾崎悠さんは、姉のことを『リィ』と呼ぶ。栗子の『り』から取ったのだろうか。
 悠さんは女の人みたいな名前の通り、見た目もどこか女っぽいところがある。別に今流行のオネエってわけじゃなくて、こう――そう、繊細なのだ。
 線は細く、色素も薄い。もし彼の髪が長ければ、ぱっと見は完全に女だろう。どこか日本人離れした顔立ちは、外国人とのクォーターだかららしい。
 そんな見目麗しい男性が、強引で傲慢で喧嘩っ早くてそのくせ泣き虫な、あの姉の手下ポジションにいるだなんて嘆かわしすぎる。

 テレビの前で胡坐を掻きながらドライヤーで髪を乾かす姉に、あたしはぼんやりと目を向けた。姉の後ろで、悠さんが雑誌を片手に鼻歌を歌っている。耳を澄まして聞いてみるけど、聞き覚えのないものだ。
 現在両親共に世界一周旅行に行っていて、当分の間家には帰ってこない。だからこそ姉は悠さんを連れ込んだのだろうが、それにしてもこの人は一体いつまでうちにいるんだろう。
 大して面白くもない芸人のネタを見て大笑いする姉を、悠さんは優しい目で見つめていた。

「あ、ねー、茉莉花。コーヒー淹れて」

「やだ。自分で淹れなよ。あたし、今からお風呂入ってくるんだから」

「ダーメ。お風呂はハルカが先。あんたは最後。大人しくコーヒー淹れなさい、ジャスミンちゃん」

 派手な顔立ちを子供みたいにくしゃくしゃにして笑って、姉は得意げに胸を張る。
 ジャスミン――それがあたしのあだ名。名前の『マリカ』は漢字にすると、ジャスミンの和名なのだ。母から聞いたときは綺麗だとはしゃいだのだが、某アニメのお姫様と比べられるとどうにも名前負けしていて、それ以来あまり好きではなくなった。
 眉根を寄せたあたしを見て、悠さんが困ったような顔をする。

「リィ、我侭はよくない。俺はあとでいいから、ジャスミンちゃんが先にお風呂入っておいで」

「……もう別にいいですよ。悠さん、お先にどうぞ」

「だったら二人とも一緒に入ってきたらー?」

「お姉ちゃん!」

「リィ!」

 あたしと悠さんの抗議が同時に上がって、さすがの姉も首を竦めて唇を尖らせた。冗談よ、と呟く声に反省の色はない。
 それにしても、この二人は本当に恋人同士ではないのだろうか。
 妹のあたしが言うのもなんだが、姉はそれなりに美人だ。もともと派手な顔をしているから、ちょっと化粧をするだけで華やかさが倍増する。背も高いしスタイルもいいし、少しO脚だけどそれを矯正する努力をしているから、治るもの時間の問題だろう。
 悠さんもちょっと頼りない感じはあるものの、美男美女の称号を得るには相応しい二人なのだ。
 外を歩けば常に二人は寄り添っているし、家の中でだっていつ見ても二人一緒。それなのに、二人は互いを恋人ではないと言い張っている。
 しぶしぶコーヒーを淹れにキッチンまで行ったあたしを、悠さんが追うようにやってきた。冷蔵庫をためらいなく開ける様子は、きっと自宅と変わらないんだろう。
 というか、最近我が家の冷蔵庫管理はもっぱら悠さんの役目となっている。
 
「ごめんね、ジャスミンちゃん」

「いいえ、別にいいんですよ。あの人が悪いんですから」

 インスタントのコーヒーを姉のマグに注ぎ、しばらく蒸らしてトレイに乗せる。そのまま持っていこうとしたところで、横からひょいと手が伸ばされた。途端に消える重量感。
 見上げれば、悠さんがトレイを持って――その上には温められたミルクがある――はにかんでいる。

「あたしが持っていきますよ」

「いいよ、気にしないで。お風呂行っておいで」

「……でも」

「いいからいいから」

 悠さんはトレイを片手で支え、リビングに向かいながら温めたミルクをコーヒーに注いだ。姉はブラックじゃ飲めない。ミルクが必要だ。そんなことくらい、妹のあたしは知っている。だからマグの中も、ミルクが入る分だけ余裕を持たせてあった。
 でもここで悠さんとあたしの決定的な違いは、ミルクの出し方だろう。
 あたしも姉も、わざわざコーヒーが冷めないようにミルクを温めたりなんかしない。冷蔵庫から取り出して、適当にごぼごぼ注ぐだけだ。あっという間にコーヒー牛乳の出来上がり。
 ミルクを温めるか温めないか、ただそれだけの違いのはずなのに、なぜだかあたしは無性に虚しくなって俯いた。以前酔っ払った姉が這いずったせいで小キズだらけになったフローリングが目に入る。
 リビングから聞こえてくる二人の楽しそうな声に、はあ、とため息か呼気か分からないものが零れた。

「茉莉花〜? なにやってんの〜?」

 ほんと、なにやってるんだろう。
 リィ、髪乾かすから前向いて。そんな悠さんの声が嫌でも耳に入ってくる。ダメだって悠さん。そんな人甘やかしてると、ロクなことないんだから。
 オープンキッチンって便利だけど、嫌だ。姉の髪に指を通し、ドライヤーで丁寧に乾かしていく悠さんの姿が丸見えだ。まるでそこだけ有名な美容室みたいで、あたし一人が場違いな気がした。

「ハルカ、あとで肩揉んでよ」

「また? 俺はリィの召使じゃないんだけど」

「いーじゃない。ハルカの手、気持ちいいんだもん」

「たっく。リィほど我侭なヒト、見たことないよ」

 とか言いつつ、悠さんの声は全然嫌そうじゃない。
 なんだかいたたまれなくなって、あたしは黙ってお風呂場へと逃げ込んだ。


+ + +



 やっと行ったか。ハルカの指が頭皮を心地よく刺激するのを感じながら、茉莉花の気配がなくなったのを悟る。
 途端に口数が少なくなったハルカのお腹の辺りに、思いっきり肘鉄をくれてやった。

「ぐえっ! ちょ、リィ! なにす――」

「いつまでグダグダやってんのよ。あんた男でしょ? 根性見せなさいっての」

 カチ、カチ、と二回音がしてドライヤーが口を噤む。テレビは相変わらず騒がしいけど、会話の邪魔にはなんないから無視。
 今はこのどーしよーもない、ヘタレ男を睨む方が先決だ。

「折角アタシが『一緒にお風呂入ったら?』っていいパス出してあげてんだから、ガツンとシュートしなさいよ。『だったら行こうか、俺のジャスミン』くらい言ってみろ!」

「……リ、リィ……、それはネオロマのしすぎ――」

「黙れヘタレ。あんたなんか後ろ向きじれっ隊の最後尾がお似合いよ! 大体ね、なんでアタシがわざわざ『アッチ』からあんたを連れてきてやったと思ってんの? リュカじゃなくてあんたを選んだ理由、忘れたとは言わせないからね」

 どっかのゲームや小説で使い古された王道の展開、異世界トリップで召喚されたアタシは、ついこの前まで中世ヨーロッパみたいな綺麗な世界で必死に温泉を掘っていた。
 竜がいるのかと聞けば「います」と言われ、期待して見せてもらえば地球でおなじみのコモドオオトカゲだったりだとか、魔王を倒しに行くのかと聞けば「んなもんいません」と一蹴され、ぶっちゃけなんのために呼ばれたのかよく分からない召喚だった。
 たくさんの従者が付いて、結局やったことと言えばお決まりの恋愛と買い物、それから裏金の隠蔽工作に温泉堀りだ。
 モンスターなんか一匹も出てこない平和な世界で、アタシは毎日平和と戦っていた。

「いーい? アタシはリュカといちゃいちゃしたいの。現代日本でデートとかいっぱいしたいの! それを帰る間際になってあんたが『リィ……俺、リィの妹が欲しい』なんて駄々こねるから――」

「ストップストップ! リィ待って! 俺そんなヤラシイ言い方してない!」

「純情ぶるなどヘタレがぁっ! あんたそれでも公爵なの!? あんたの大量の裏金、誰が処理してやったと思ってんのよ!」

 途端に気まずそうに顔を背けたハルカの太腿を、これでもかってくらいにつねってやる。涙目で「いたいいたいいたい!」と抗議してきたけどきっぱり無視。
 茉莉花の前では余裕ぶってカッコつける公爵サマは、実はひどくヘタレで泣き虫だ。

「リィ〜……」

「甘ったれんな! 言っとくけどね、あと一週間だからね。あと一週間で茉莉花をものにできなかったら、あんたは向こうに強制送還。入れ違いにリュカを連れてきて、アタシ達は幸せハネムーンするから」

「そんな!」

「それが嫌なら今すぐ風呂場行って襲ってこい。お姉ちゃんが許可します」

「だっ、だだだだだだめだ! そんなことできるわけ――」

「…………悠さん?」

 ぴしり。そんな音がしそうな勢いで、ハルカが動きを止めた。ああもう、なんでこいつはこうかな。
 ハルカの背後で髪をタオルドライしながら、茉莉花が訝しげにハルカを見つめている。その目がどこか熱っぽいのは、お風呂上りだからってだけじゃない。お姉ちゃんはなんでもお見通しなのです。

「ジャスミンちゃん、もう上がったの? それじゃあ、俺も行ってこようかな」

「え、はい。どうぞ」

 ほら。カッコつけたがりの公爵サマは、もうスイッチを入れて余裕のある王子様を気取ってる。
 そのまま茉莉花の横を通り過ぎようとするヘタレ男に、アタシは愛を込めて声を掛けてやった。

「ハルカ〜、アタシ、もうひとっ風呂浴びたくなっちゃった。先入ってくるから、茉莉花の髪でも乾かしといたげてよ」

「ええ!?」「はあっ!?」

 おや、見事なハーモニーだこと。
 内心大慌てなハルカと、意味わかんないと呟く茉莉花の肩をぽんと叩いて二人の間をすり抜ける。茉莉花の髪からふわりと香ったシャンプーの香りがアタシのものとは違うこと、これでヘタレも気づくだろう。
 健気な妹は、女の子女の子した香りのシャンプーをこの間ひっそりと買っていたのを知っている。
 すべてはそう、このヘタレのため。

「じゃ〜ね〜」


 アタシとリュカのハッピーライフのために、二人がさっさとくっつきますよーに。


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