その世界ではただの回復アイテム。ただのお土産。






 勝己の日課はダンジョン攻略だ。勝己にとってダンジョン攻略ほど効率のいい生業はない。

 ダンジョンの成り立ちは場所によるが、かつては賊のアジトだった場所に魔物が住み着いている場合は、賊が掻き集めた金銀財宝が残っていることが多いため手っ取り早く金になる。そうでない場合も魔物の皮や牙などが武器防具などの素材となり、強い魔物のものほど価値があった。

 金に直結しなくとも、戦うほど強くなることは勝己にとっては必要なことだった。それはかつて過ごした闘技場で、勝たなければ死ぬという強迫観念が未だに残るからだ。弱ければ死ぬ。強ければ生きられる。それが勝己に刷り込まれた生き残るための術だ。
 そして今も時折思う。まだ奴隷になる前に自分が大人より強ければ、あの時◎を失うことはなかった。叫ぶような泣き声を聞きながら引き離されることなどなかった。

 もうあんな屈辱は受けない。そのために絶対的な強さは必要不可欠だ。





 しかし、勝己が今日向かった先は魔物が蔓延るダンジョンではなかった。

「おい、一番売れてんのどれだ」

 清潔感のある店内で、きっちりと制服を着こなした販売員に勝己は尋ねた。周囲では身綺麗の洒落た女性客が物珍しそうに勝己をチラチラと見ている。

 ここは製菓販売店。轟の城下町にある、女性から人気のある一店である。




 勝己の頭に並んだ言葉をそのまま使うならば、ここに来たのはただの気まぐれで、この店を選んだのはたまたま麗日たちが話していたのを覚えていたからで、店に入ったのもこの城下町でしか買取をしていない道具屋に魔物の素材を売りつけるためにわざわざ足を運んだついでに過ぎない。別に女は甘いものが好きという上鳴の情報を鵜呑みにしたわけではないし、パン屋に先を越されたとも思っていないし、間違っても同じ土俵で張り合おうなんて気はないし、決して◎に好かれようとして来ているのではない。そんなことをしなくても◎は勝己の所有物だし、媚びて愛想をよくする必要なんてない。
 ◎は知らないことが多すぎるから買ってやるだけだ。いつまでも貧乏根性で倹約しているから質の良いものに慣れさせるだけだ。



 内心でそんな七面倒な言い訳を並べまくってはいるが、要は◎のために甘いものを食べさせてやりたくて、なおかつパン屋の手作りクッキーよりもグレードの高いものを買ってやりたくて、勝己は城下町まで来たのだ。

「ご自宅用ですと、こちらのワッフルセットが自由に組み合わせできますので、ご自身で召し上がる方には大変人気の商品でございます」

 見るからに賊で人相が悪く態度がでかい勝己に、女性販売員は内心慄いているが、丁寧に商品の説明を行う。鉄壁の営業スマイルを貼り付け、他の客に対する時と同じ対応をしている自分を全力で褒めながら女性販売員は勝己の対応に奮っていた。

「俺が食うんじゃねえ」

「贈り物でしたら、こちらのアソート生チョコレートが一番人気となっております」

「女は食うんか、それ」

「はい。こちらは女性へのプレゼントで購入される男性も多くいらっしゃいますよ」

 途端、勝己の眉間がピクと痙攣し、すこぶる苦々しく顔が歪んだ。それに反応して、女性販売員もビクと硬直する。何か口を滑らせてしまっただろうかと内心ヒヤヒヤしていると、眉間を寄せたままの勝己が、極めて不服そうな声で「それ一つ」と短く言った。
 セット内容の個数を確認しつつ、女性販売員は会計を伝えて商品を包み始めた。



 腹の中でどんなに言い訳したところで、男から女へのプレゼントであることには変わりない。不服だ。かなり不服だ。

 女だから贈るわけじゃねえ。あいつが昔の馴染みで、俺の持ちモンで、自分が食いてえもんも言わねえから買ってやるだけだ。あいつが野郎でも同じことしたわ。等々考えて、客観的に見た自分の行動を頑なに認めようとしない。そんな思考を飽きずに脳内で沸かせていた。さすがにその思考を、明らかに年上である女性販売員に対して声にすることはなかったが。

「えっ!?」

 背後で店のドアが開く音の直後、仰天した声が勝己の背中にかかった。聞き覚えのある声にギクッと身を硬くすると、立て続けに「わ!」だの「お」だの「む」だのと聞こえてきた。心底嫌々、という顔で振り向くと、緑谷、麗日、轟、飯田の四人が入口で棒立ちになり勝己を凝視している。一様に勝己がこの店にいることに驚いており、一部は驚かないまでも意外そうな顔をしていた。

 明らかに場違いであることは勝己自身重々承知している。彼らも同じことを思っているのだろうと察して、恥やら不服やら何やらで苛立ち、それをそのまま顔に出した。

「…んだよテメェら何か文句あんのか!!」

「い、いや、意外で…」

 勝己の怒鳴り声に、対応していた店員と周囲の客がビクと驚き、何事かと身を硬くして勝己を見る。勝己の態度に比較的慣れている四人は、突っかかられると逆に驚きが流れて動き出した。

「バクゴーくんも甘いもの買ったりするんや! 肉食だけじゃなかったんだね!」

「かっちゃんは野菜もしっかり食べるよ麗日さん」

「前に菓子類やった時甘すぎるとか言ってなかったか」

「ならスコーンなどの方がいいんじゃないか?その箱はチョコレートだろう?」

「あっ! ひょっとして◎ちゃ」

「だああああ!! うるッッッせんだよ! こんなもんただの回復アイテムだろうが!! おい会計!!」

 立て続けに向けられるおせっかいに苛立ち、◎の名前が出たのを打ち消すように勝己は怒鳴り、会計の額ぴったりをトレイに叩きつけた。販売員があわあわと金を受け取ると、勝己はひったくるように商品を取り、肩で風を切りながらわざと緑谷にぶつかって店を出た。








 帰宅して早々、勝己は買ってきたチョコレートをテーブルに投げた。食器を出していた◎はその音に振り返る。見慣れぬ箱の存在に首を傾げ、どうしたのかと問うように勝己に視線を上げる。勝己は◎を見ておらず目は合わなかったが、◎が何を思ったのかは視界の端で捉えて察したらしい。

「食え」

「何?」

「菓子だよ」

「……私に?」

「他に誰がいんだよ」

「、うん。そうよね。ありがとう」

 食器を置き、箱を取る。写真よりかは一回り大きいサイズで、厚さは三センチほど。黒い紙箱は赤い蓋で閉ざされており、サテンのリボンで封をされている。
 箱を持ち上げてすんと匂いを嗅ぐと微かに甘い香りがして、ほうと溜息を吐く。◎はもう一度匂いを嗅いだ。

「いい匂い」

 機嫌の良い穏やかな声音だ。声だけで微笑んでいるのがわかる。それだけで城下町まで行った甲斐がある。◎の反応に満足……とまではいかないが、手応えを感じた勝己は内心でよし、と拳を握った。

「ご飯の後に食べるわ。勝己も食べるでしょう」

「食わねえよ。テメェが食え」

「えっ?」

 ◎から出た素っ頓狂な声に勝己は振り向いた。聞いたことないくらい間抜けな声だった。ぱちくりと目を見開き、意外そうな顔をしている。

「……んだよ」

「どうして買ってきてくれたの?」

「あ、?」

 今度は勝己から素っ頓狂な声を出た。理由なんて訊かなくともわかるだろう。お前に買ってきてやった以外に何があるというのか。喜ぶ顔が見たいとでも言えばいいのか。冗談じゃない。そんなこと言えるか。
 言葉が詰まる中で色々と考えるが、自分のプライドが許す言葉が見つからない。パン屋のことなんて死んでも言いたくない。返答を決められなさ過ぎて、この俺が買ってきてやったのに物申すってか、と八つ当たりすら出てきた。しかし、◎に常々普通にしろと言いつけているのは勝己自身だし、柄にもないことをしているのも勝己だ。◎のきょとんとした顔に反して、勝己は難しい顔をした。思ったことを素直に言えさえすれば難しいことなどないのだが。

「……美味そうに食ってやがっただろうが」

 長い沈黙の果てにそう吐き捨てると、◎は少しだけ考えた。美味そうに食ってやがった。何を。思い当たるものは一つだけだった。パン屋からもらったクッキーのことだ。

「、うん」

 考えながら、短く相槌を打つ。クッキーを美味そうに食べていたのに取り上げたからそのお詫びなのか、もっといいものを食べさせたいという心遣いなのか、真意はわからないが◎はそれ以上の理由を深追いしなかった。そして今一度箱を見下ろす。

 ダンジョンで獲得してきた戦利品ではない。明らかに女性向けの人工物だ。ということは、わざわざ買ってきてくれたのだろうか。女の買い物に付き合わせたら殺すなんて言うのに。

 (私に)

 突然、胸にぶわと花が咲いたような気分になる。それがいっぱいになるとふへ、と口元が情けなく緩む。中身は知らないが、手にあるこの箱が急にとても素晴らしいものに思えて目が離せない。宙に浮くような幸せな気分で、奴隷らしさの欠片もない顔で、頬までほんのり熱くした。

 見たことない顔だった。◎にはいつも余裕がある。それは生きることに齧り付かない奴隷の諦念でもあるし、生来からの落ち着きでもある。こんな、目の前のものに意識を全部持っていかれている◎は初めて見た。そしてその情けない顔が自分の口元にも移りそうになったことに気付いて、勝己は我に返った。

 喜んでいるならよしと、目的を達成したことに満足しつつ、勝己も◎の様子に落ち着かない気持ちになる。勝己が誰かに何かを贈るなんて滅多にないことだし、受け取った相手の反応を見るなんて更に珍しいことだ。だからそのくすぐったさに勝己は慣れていなかった。

 くすぐったい。それで済んだのは短かった。◎がずっと浮かれっぱなしなものだから、時間の経過と共に勝己はくすぐったいを通り越して恥ずかしくなった。まるで世界で一番価値のある宝石でも眺めているかのように延々と見ているのだ、たかが既製品のチョコレートを。しかもまだ未開封なのに。中身がまだ何かも知らないのにその浮かれっぷりはなんだ殺すぞと、理不尽極まりない八つ当たりが頭に上ってきた。これを買った時の緑谷達の意外と言いたげな空気を思い出して、勝己は遂に怒鳴った。

「…ッ〜〜いつまでニヤついてやがんだクソ◎! 言いてえことがあんならハッキリ言えや!」

 ◎は全く悪くない。繰り返すが完全に八つ当たりである。普通の人間ならこの理不尽さに不平不満を思うところであろうが、◎が勝己にそんなことを考えるはずもない。◎の中では、勝己に対する怒りの沸点などないに等しいのだ。意に介さない朗らかさで、ふふ、と楽しげに笑った。

「びっくりして。嬉しいの」

 ◎もようやく夢中になっていた自分に気付いたようで、やっと箱をテーブルに置いた。

「でも、私……」

 そう続いた言葉は、不自然にそこで切れた。◎が口を滑らせたことに気付いて意図的に口を閉ざしたからだ。でも、と続いた通り、◎には嬉しい以外の感情を持った。奴隷なのに、せっかく買ってきてくれたプレゼントに意見しようとした。許されるはずがない。勝己がその肩書で自分たちを区別しようとしたことは一度だってないけれど、そういう固定観念が◎にはあるのだ。

 勝己は聞き逃さなかった。でも、なんだ。さっきまで顔面が溶けるほど喜んでいたくせに。嬉しいとも言ったのに、何を言いたいことがある。まさか奴隷だから受け取れないなんてことを、今更言うんじゃないだろうな。
 そう考えながら勝己は◎が続けるのを待ったが、◎は居た堪れない表情のまま何も言わなかった。

「んだよ」

「ううん、なんでも」

「言えやキメェ」

 案の定◎ははぐらかそうとしたが、勝己が語気を荒げて強情に催促すると言わざるを得ないと察知したらしい。
 変に遠慮するところはまだ奴隷根性が残っている。いちいちこちらが仕向けないと自分が考えていることも言わない。そうイライラしつつも、口を滑らせるところまでは矯正できているのだと知り、そこは根気強く彼女に色々言い聞かせてきた甲斐を感じた。奴隷から内気な女くらいには成長してるかもしれない。しかしまだ手がかかって面倒だ。
 ◎が話し出すまでそんなことを考える程度に少し間が開いたが、やがて◎は口を開いた。





「……勝己と一緒に食べられるものが、一番好き」





「……」

「だから…嬉しいけど、甘いものより勝己の好きなものの方が好き」

 なんだ、そりゃあ。
 渡したものは食べ物だ。味覚には個人差がある。実際、◎は勝己の好物である辛いものは刺激が強すぎると食べられず、味の薄いものと合わせて食べている。言葉の通りに受け止められず、納得できなかった。言おうとしていることが的確な言葉を選択できていないように思えた。

「……いらねえんかよ」

 そうではないだろうと思いながら勝己は言った。

「ううん、大切に食べるわ。すごく嬉しいのよ、本当に。……でもなんだか、上手く言えないけど」

 ◎はその言葉の先を少し考えていた。自分が何を感じたのか、それを素直に拾い上げるのは思いの外難しい。あれもこれも違うかもしれないと思いながら、それでも一番近いと思える言葉を選んだ。

「……私だけが嬉しいのは、少し寂しいって思ったの」

 これは思っていることを伝えられる言葉なのだろうか。◎はそれがよくわからないでいたが、それ以上のものは何も浮かばなかった。だが、勝己はようやく腑に落ちたという気分だった。そして、◎が抱いていたものが遠慮ではないと理解すると、安堵と、呆れが出た。なんだ、そんなことか、と。

「別にお前だけじゃねえよ」

 それを手にした◎がどんな顔をしていたのか。それに対してどう感じていたのか、勝己はちゃんと自覚している。嬉しいのが自分だけというのは、◎の勘違いだ。しかし◎は、ぽつりと零れた勝己の言葉の意味をちゃんと理解していないような顔で首を傾げていた。

「何が?」

「……自分が言ったこと思い出して自分で考えろゴミカス」

 嬉しいのはお前だけじゃない。さすがにそれをそのまま言うことができずに濁してしまったけれど。そして◎がまたおかしなことを考えないうちに、無理矢理会話を取りまとめようとして声のトーンを上げてから続けた。

「つーかなァ、出先で土産買うくらい普通なんだよ。それが誰も喜ばねえもんなら土産の意味ねぇだろ。そんだけのことだ。いちいち深く考えてんじゃねえよ。黙って食え」

「……うん。じゃあ、ご飯の後に食べる」

 勝己がもう◎に何かを問わないのだから、それが勝己が導き出したこの場の結論だ。ならばそれ以上問答は不要。それを理解しながら、◎は勝己に言われた通り、先ほど自分が言ったことを思い出していた。

 ――私だけが嬉しいのは、少し寂しいって思ったの。
 ――別にお前だけじゃねえよ。

 つまり、そういうことなのだ。
 ◎は改めて、嬉しくて少し笑ってしまった。



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