▼32
(まだ……きちんと挨拶してなくてごめんなさい。私は、華。四神の神の巫女です。あなたが軫宿で、あなたが張宿ですよね?)
朱雀召喚を控えた一同。
華は、その準備に宮殿がバタバタとする中、挨拶をしていなかった軫宿と張宿の元を訪れていた。
といっても、池の周りに軫宿と井宿、そして翼宿が座り込んで、張宿の奏でる音色を聞き入っていたのだが。
邪魔をするようで気が引けつつも、なんとなく今しかチャンスはない気がして、申し訳なく思いながらもぺこりと頭を下げる。
すると、軫宿が優しく微笑んで華の腕をなでた。
「腕はもう大丈夫なようだな。よろしく華」
(腕……治してくれたのですか?  すみません、ありがとうございます)
「敬語はよしてくれ」
(では……軫宿、と。私の事も呼び捨てで構いません)
「では、僕も呼び捨てで」
(はい)
笛を吹くのをやめた張宿にほほ笑みかける。
「華、もう調子はいいのだ?」
(特に何も無いわ、大丈夫)
それまで笛に聞き入っていた井宿がちょいちょいと華に手招きをした。不思議そうに首をかしげながら、華は素直にそれに従う。
井宿の隣に座るような形になった華は、岩の上に座る張宿を見上げた。
「華、発声練習する気はあるのだ?」
(発声練習……?)
「だ。無理はしなくていい。もし華が声を取り戻したい気持ちがあるなら……」
(やる!)
「そういうと思ったのだー」
井宿は心底嬉しそうに笑うと、こほんと咳払いを一つして姿勢を正すと華の喉に手を当てた。軫宿も同じように軽く手を当てる。
「……あ、い……う……えお……」
基本的な母音から行こうかと、声を出してみる。しばらく使っていなかった声帯は、不器用に震えその声はかすれて聞き取るのも難しい。軫宿はしばらく考えるように眉間に指を当てると、小さく呟いた。
「精神的なものか……その様子からみて暫く喋れていないな。井宿、相当練習が必要になると思うが大丈夫か?」
「オイラは構わないのだ。問題は、華の気持ちなのだ」
「そうだな。……華、暫く練習が必要になるが、大丈夫か?」
「だ……じょ、ぶ……」
(ごめんなさい、こっちで答えるわ……大丈夫)
途中まで懸命に声を出していたものの、まともに伝わるのか怪しくて、すぐに切り替えた。井宿は、ポンポンとあやす様に華の頭を撫でる。
「ち、ち……り……」
「だ?」
(井宿って、意外と言い難いのね……)
「だー……確かにちょっと言いづらいのだ……」
狐顔のまゆを下げる。華はその顔がどこか可笑しくて、思わず声を上げて笑った。
綺麗な笑い声は出なかった。掠れたような声だったが、それでも、井宿と軫宿は褒めてくれた。
「それじゃあ、頑張ってる華に1曲」
いびきをかいて寝ている翼宿を起こさない程度のテンポの高い曲を奏でる。井宿と軫宿は途端にその曲に耳を傾け、目を閉じた。
華は、その曲を聞きながらそっとため息をつく。
ここに来たのには挨拶の為もあったが、実は張宿のことについて井宿に相談しようと思ったからなのである。
しかし、張宿の事を直前まで覚えていたのに、いざ相談しようとしても、忘れてしまって相談できない。仮に覚えられていたとしても、どうやってもそのことを口にすることができなかった。
まるで、接着剤で口を閉じられたように。
(本人になら……どうだろう……)
張宿を見上げた。長い指を優雅に動かしている。
(……張宿)
「はい?」
(ちょっと来てもらえる?)
笛を吹くのをやめた張宿。華は立ち上がると、物陰に隠れるように歩き人目につかない場所へくると、足を止めた。
「どうしたんです?」
今なら言えそうな気がした。
(……あなた、張宿じゃないでしょう……誰なの?  その気からして、青龍…
…?)
どうやら、朱雀側に知られないのならば、普通に言えるようだ。これが誰の意思なのかわかりかねるが、どちらにせよ華にとってこの事が後々の後悔に繋がることは安易に予想ができた。
(美朱たちを、裏切ることになる……)
朱雀七星士ではない、と知っているのは華だけだ。他の七星士は彼の事を張宿として見ている。そして朱雀召喚へと向かっている今。彼が朱雀七星士ではないと言わぬことは、儀式の妨害、そして朱雀召喚の妨害となる。
「……心宿の言った通り、気を読めるんですね。華の言う通り、僕は朱雀七星士でありません。しかし、ここで正体を明かす気も……ない。どうして黙ってたんです?  言うチャンスならいくらでもあったのに」
(黙ってるんじゃないの……言えないの)
「それは好都合です」
張宿はニッコリと微笑むと再び笛を口にした。
「黙って僕が任務を遂行するのを見ていてください」
笛の音が脳を刺激する。心地よい音色だった。
どうしようもできない歯がゆさに知らぬうちに爪を立てて握りしめていた手のひらから力が抜ける。そこには爪のあとがくっきりとついていた。
笛を吹きながら張宿は、話は終わりとばかりに立ち去っていく。止めることもできた華だったが、その場からぴくひとも動くことなくそれを見つめると、どうしようもない自己嫌悪に頭を抱えた。





(美朱、私ここで見守ってるから)
朱雀召喚の日。等々井宿にも美朱にもいうことが出来ずこの日を迎えた。
頑張ってなど、思ってもいない。頑張ったところで朱雀七星士が揃っていない今、朱雀召喚は叶わないのだ。
(今、中止すればまだ間に合う……なのに、どうして言えないの……っ!)
固く閉ざされた口。いつものように思って見ても、誰にも伝わらない。
焦燥感だけが華を包む。
しかし、そんな華を置いていくように、時間は進み等々召喚の時間へ。

「美朱ちゃん、オイラが読み上げることを反復するのだ」



「四宮の天と四方の地、深き法と信と善を以て、南方守護の朱雀御身に告げたまわく、我今是の言を作す……」
ちらりと張宿をみた。落ち着いた様子で、美朱の祝詞に耳を傾けている。

「七宿天より地に現ずは、御身を渇仰す衆生の為の故、此に於いて諸の悪を滅、其の神力で我等を救護すべし。唯願わくは之を聞け……」


「天より我が元へ降り立ち給え」

美朱が四神天地書を火へと投げ入れた。その瞬間に、倒れ込むような勢いで身体が前のめりになり、慌てて華は近くにあったなにかに捕まった。
見上げてそれが、朱雀をかたどった銅像だと気づき、思わず美朱の元へと駆け寄る。
「華ちゃん!?」
突然の乱入に、美朱が驚いた声をあげた。
(その子……朱雀七星士じゃない!!)
「なに!?」
美朱を守るように自分の方へと引き寄せると同時に叫ぶ。それにいち早く反応した鬼宿だったが。
「もう遅いよ」
張宿の冷ややかな声が響き、直後朱雀七星士と美朱が頭を抑えてうずくまった。激しく響く笛の音。
(やめなさい!)
今更何を言うのか、と自嘲気味に心の中で笑いながら、張宿から笛を取り上げようと手を伸ばす。
「俺は青龍七星が1人、亢宿!」
更に笛の音が激しくなった。それに伴って美朱たちの苦しみも酷くなっていく。
(召喚!  笛の音から美朱たちを守って!)
黄金色の光が、美朱たちを包んだ。
「あ、あれ……?」
「痛みが……」
「なくなったのだ」
それぞれが顔を上げる。そして自分たちを包む光に気がつくと、柳宿が慌ててその光から出ようとする。

(ダメ! 出ないでっ!)

気配でそれを感じ取った華は断続的に痛みを訴えだした腕を抱えながら叫んだ。その必死な華に、柳宿の足も止まる。
「華!  無茶はやめるのだ!」

この光が華の身体に負荷をかけている事にいち早く気づいた井宿。なにか打破する術はないか頭の中で考えながら止めようと手を伸ばす。しかし、光がそれを弾き、井宿の手は華を掴むことはなかった。

「なぁ……。一つ聞いてもええか?」
全員が焦る中、翼宿の冷たい声が、華の脳裏に直接響いてきた。
「美朱の友達っちゅーことは、俺らの仲間って認識でええんやろ?」
翼宿が何を言いたいのかわかってしまった華は、血の気が引いていくのを感じた。しかし、それを拒絶することはできない。
わざとではない、しかしやったのは事実。
言えなかった、など通じるはずもない。
紛れもなくすべて真実なのだ。
「なんでそいつが正体を明かす前に……張宿やないって知ってたんや?」
その言葉に全員がはっとした。
「知ってたの……?」
震える美朱の声。当たり前だ。美朱はこの数カ月、朱雀を召喚する事だけを目標に頑張ってきたのだから。
「お前、黙ってたのか……?」
そう、黙っていた。
静かに怒りが上昇しつつある鬼宿に、華は頷いてみせる。
もはや、言い訳など論外。

「あんた……アタシ達の仲間じゃないの!?」

亢宿の笛の音はやまない。痛みはどんどん加速してゆく。
「やめるのだ!!」

皆に背を向けたまま、力を使い続け、等々痛む腕を血が滴った。どこか切れたのだろうか、とぼんやりとした頭で考える。井宿の声が聞こえ、この人にも嫌われてしまったのか、そう考えるだけで腕だけではなく胸が、全身が引き裂かれそうな痛みを覚えた。
「なにか理由があるはずなのだ!」
「ちちり……」

掠れた声で名前を呼んだ。
もうよかった。どう言おうと華が黙っていたのは事実であり、変えようがない。何も言わない自分をまっすぐ信じる井宿に、華は涙をこぼした。
(ごめんなさい……ごめんなさい……っ、言えなかった、言おうとしたけど……言えなかったの……っ)

それなのに、この口は。この心は井宿に向けて絶対に言うまいと、黙っていたことをぶちまけてしまう。
「みあ、か……ご、めん、ね……」
「華ちゃん……っ」

ぽたぽた。頬を伝って涙が床に落ちる。
痛む腕はもはや持ち上げることもできなくなり、それを拭う術はわからない。抑えている腕をのけてしまうと、痛みで倒れてしまいそうでそれも出来なかった。
「ちっ」
笛の音をあれこれ変えて攻撃してきていた亢宿だったが、何も効かないとわかると吹くのをやめ、背を向けて走り出した。
(まって!)
もう要らないとわかると、美朱たちを包んでいた光が自然に消え失せる。華は、幾分か痛みの和らいだ腕を抱えたまま亢宿をおって走り出した。
(亢宿……っ、止まって…!)
すいすいと人混みをわけて走っていく。青龍七星士なだけあり、亢宿の足は普通の人間よりも早かった。
「華!」
後ろから追いかけてきたらしい鬼宿が横にならんだ。
「……悪かった、な…」
ボソリと呟かれた謝罪の言葉。びっくりして華は、勢いよく首を横に振った。
(私…、私が悪いの。鬼宿はなにも悪くない)
「いや……井宿のように華のことを信じていたら……」
「オイラ、ちょっと怒ってるのだ」
「……っ!?」
突如聞こえてきた声に、華は声にならない悲鳴をあげた。びっくりした反動で、段差につまずき顔面から倒れ込む。
「……まったく」
(井宿……)
しかし、顔面と地面がくっつく寸前に井宿の大きな手が華の腰を支えた。なんとか衝突を免れた華だったが、井宿の冷ややかな声音が恐ろしく、頭が逃げろと警告音を鳴らす。
恐る恐る顔をあげれば、そこにあったのはいつも通り、狐顔の面をした井宿の顔。しかし、纏っているオーラは通常とは比べ物にならない程尖っていた。

(あ…亢宿追いかけなきゃ……)
脇腹に挟むようにして、抱えられている華。足は宙に浮かんでおり、この腕から逃げることはほぼ不可能だろう。
それでも足をばたつかせて、降りようと試みた。


結果。

「……華?」
(ひぃ…!)

井宿の非常に恐ろしい微笑みを見る結果となってしまった。
亢宿の事など頭から抜け落ちて、ただひたすら怒っている井宿の雷が落ちぬよう祈る。その間に、亢宿は先日の大雨で増水し、荒れ狂う川へと追い詰められていた。




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