私は一日の殆どを貸し出しカウンターに座って過ごすこの図書館の司書だ。
本を借りに来たり読みに来る人は殆どおらず、何かの試験勉強をする学生がちらほらいる程度の図書館で、私は些か退屈を覚えながらも毎日変わらずカウンターに座り好きな本を読んだり蔵書の点検や整理をしていた。
人に「今日はどうだった?」と聞かれれば「座っていた」としか答えようのない毎日に変化が生まれたのは一ヶ月ほど前。
その人は大体週に二回、多くても三回ほど現れる。
時間はまちまちで開館時間と同時だったり夕方だったりする。
美しい金髪と紫水晶のような瞳を持つ彼はさながら童話に出てくる王子様のようだった。
穴だらけのスーツでさえも彼が着てしまえば気にならない(実は最初はびっくりして本に隠れて二度見した)。
いつも違った学問の専門書を読み、一時間程で帰っていく。
彼はいつも本を読みに来るだけで貸し出しカウンターには来ない。
だから私は彼とは一度も会話したことがないし目すら合ったことがない。
彼からしてみれば私の存在など認識すらしていないだろう。
だが、私は彼の名前を知っていた。
お昼休みにランチに出掛けた先で見掛けた彼は友人からフーゴと呼ばれていた。
それが名字なのかあだ名なのか分からないが、私は彼が図書館にやってくる度にこっそりと心の中でプリンチペと呼んでいたので名前を知ってからはフーゴさんと呼び方を変えた(誰に言うわけでも、ましてや本人を呼ぶわけでもないのだからどう呼んでも構わないのだが、自分でもいくらなんでもプリンチペは乙女染みていると思ったのだ)。
フーゴさんという美しい利用者は、確実に無味無臭だった私の生活に彩りを加えた。
自分とは決して交わらない。だからこそ一種の憧憬を持って見ていることができた。




今週はまだ一度も姿を見せないな、と思っていると閉館時間ギリギリになってフーゴさんがやって来た。

「まだ間に合いますか?」

彼は初めてカウンターに座る私に声を掛けた。
フーゴさんの声を聞いたのもこの時が初めてだった。

「えぇ。あと15分ありますから」

「良かった。すぐに済ませますから」

緊張でもつれる私の声に、フーゴさんはほっとしたような顔で本棚の列へ消えていく。
姿に似合う想像通りの柔和な声だった。
私はほぅと溜め息をつくと、閉館準備を進める。
フーゴさんは本の貸し出しをしないから、先にカウンターの処理を済ませてから館内のカーテンを閉めていくことにした。
誰もいないことを確認しながら戸締まりのチェックをしていくと、夕陽が差し込む窓側の書架にフーゴさんが立っていた。
革張りの分厚い本を読むフーゴさんの伏した睫毛や金髪に夕陽が当たる。
キラキラと透けて輝く様に私は思わず呟いてしまう。

「Che!bello……!」

こんな静かな図書館で私の呟きが聞こえなかった筈もなく、フーゴさんは本から顔を上げてこちらを見て意味が分からない様子で首を傾げた。
夕陽に照らされたあなたが美しかったので、なんて私に言えたらもう少しマシだっただろう。
現実の私はフーゴさんから逃げるようにぺこりと不恰好なお辞儀をしてその場を離れ、照れた真っ赤な顔も夕陽のせいだと思われますようにと願うしかなかった。




そんな絶望的な出来事があった翌週、 一方的に気まずい思いを抱えながら今日も私はカウンターに座っていた。
朝から何度溜め息をついたか分からない。館長に早めのランチ休憩をもらったので(恐らく気を遣ってくれた)、私は近くのバールに入った。
カフェラテとパニーニを頼んで窓側に座る。
いい天気だ、とぼんやり外を眺めていると、ガタンと音がして顔を上げた。私の前の席に見知らぬ男性が座っている。

「Ciao,bella!ここ空いてるかい?」

私にこんな風に声を掛けてくる派手な男性はいない。
やぁ、かわいこちゃんだなんてよく行くパン屋のおばさんや八百屋のおじさんくらいしか私には言わない。

「えっと……」

なので私はこういう時、咄嗟に交わすことができない。
戸惑う私に目の前の男性はニコニコと笑いながら頬杖をついた。
斬新なデザインの帽子や服装も気になって、私は逃げ出したくなる。

「そんな悲しそうな顔しないでくれよ。いきなり声掛けて悪かった。俺はミスタ。ちょっとフーゴが言うプリンチペッサっていうのがどんなか知りたかっただけなんだよ」

今にも泣き出しそうに見えたのか、ミスタさんは肩をすくめて言った。

「フーゴ、さん?」

「何だァ?アイツ、自分の名前も言ってねェのかよ。なぁプリンチペッサ、あの角にある図書館のヒトだろ。知らねェか?金髪で緑の変なスーツ着てるヤローだよ」

ミスタさんはフーゴさんの知り合いなのだろう。
確かに私は彼の名前を知っているがフーゴさん本人から聞いたわけではないので、知っていると言うのは躊躇われた。
それにさっきから私のことをプリンチペッサだなんて呼ぶことが気になって仕方ない。

「あの、プリンチペッサって……?」

「君のことだろ。確かにフーゴが言うとおり可愛いな。こう、染まってない感じがいいぜ」

ミスタさんはバチンとウインクして言うがそんなこと親にですら言われたことない。
フーゴさんがわたしのことを認識していたことに驚きだしそんな風に友人に話していたことに、じわじわと顔が赤くなるのが解った。

「……なぁ、プリンチペッサ。俺に君の名前を教えてくれねぇか?今度一緒にジェラートでも食べようぜ」

テーブルに置いていた私の手にミスタさんの手が重なる。
びくり、と自分でも滑稽なくらいに跳ね上がる。
あぁ、こんな風にからかわれても私は立ち上がることも出来ない。

「その手を離せ、ミスタ」

ふと人影が差す。
あ、この声はと思っていると、私の手の上に重ねていたミスタさんの手をフーゴさんが掴んだ。
決してプリンチペッサではない私だが、この時のフーゴさんは私にとって確実に王子様だった(付け加えるとミスタさんも悪い人ではない)。

「何のつもりなんですか?ミスタ」

「お前がとろとろしてるから横取りされるんだぜ?」

「……相談する相手を間違えたな」

ミスタさんの手が私から離れる。ほっと息をつく私の隣にフーゴさんがやって来て私の手を取った。やっと引いた赤みがまた顔に集中する。

「僕の知り合いが不愉快な思いをさせてすみません。どこも汚れてませんか?」

「テメェ、人をバイ菌みたいに言うな!」

「うるさいな。邪魔だから外で待っててください」

フーゴさんがしっしっと手のひらを振ると、ミスタさんは短く舌打ちしてバールを出ていく。

「Ciao,principessa!今度デートしような!」

「早く行け!……すみません、ナマエさん」

「えっ、い、いえ……。平気、です。あの、私の名前をどうして」

「そこに」

フーゴさんは自分の胸をトントンと指で叩いて教えてくれる。

「あ……ネームプレート、ですか」

「ええ。それに好きな人の名前くらい知ってますよ」

「えっ!?」

「ねぇナマエさん。デートならミスタじゃなくて僕としましょう。その時、きちんと告白させて」

フーゴさんの宝石みたいな眼に見つめられてもう私は何も考えられなくなっていて、小さく頷くのがやっとだった。
それを見たフーゴさんは満足そうににっこりと笑って私の指にキスをした。

「これは約束の代わりです。…… Mia principessa」

爽やかな笑顔でそう言うとフーゴさんはバールから出ていく。
私は暫く真っ赤な顔のまま座っていたが、心配そうなバールの店員さんに声を掛けられてやっと動くことが出来た。
これでは午後もカウンターで溜め息ばかりつくだろう。
私はすっかり冷めてしまったカフェラテとパニーニを食べながらそう思った。



王子様は読書家

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