おねがい、ぎゅっと抱きしめて
職場であるSPW財団イタリア支局すぐ傍のバールでアキラがランチをしていると、たまたま道を通りかかったミスタに声をかけられテーブルを共に囲んでの昼食となった。

「最近どうなんだよ」

「何?」

「ブチャラティとだよ」

「別に……普通だけど」

「それってジャポネーゼの普通だろ?最近ブチャラティよく溜息ついてるぜ」

「ミスタたちが言うこと聞かないからじゃあないの?」

「いーや!あれは絶対お前絡みだね。ブチャラティの元気がねぇのは大体アキラが原因なんだよ」

「えぇ……」

「今流行りのネイキッドチャレンジでもやってみたらいいじゃあねぇか」

「ネイキッドチャレンジ?」

「あ、知らねぇ?アメリカで流行ってるコレよ」

差向けられたミスタの携帯を覗けば、カップル同士で相手の前に突然裸で出ていった時のリアクションを見るという動画だった。日本人のアキラからしたら、何ともアメリカらしい開放的な動画だという感想だ。

「これを私がブチャラティにやるの?」

「Sì!どうよ?」

「愛されてるのが伝わる動画だと思うわ」

ここイタリアで否定するような言い方をするのはあまり心象が良くない。それはイタリアでもアメリカでもきっと同じだろう。日本で言うようなものの言い方は受け入れられない。認めつつやんわりと自分とはかけ離れたものだとニュアンスを含めながら答えるが、ミスタはアキラの答えを好意的に受け取ったのか笑顔で頷いた。

「Sì sì!この国で愛は伝えなきゃないのと同じなんだぜ。この国で生活してこの国の男と付き合ってるアキラならもう解ってるだろ?」

Lo so(解ってるよ).」

「彼女にこんなことされたら一発で元気になるのによぉ……」

「ミスタが言うと何だかやらしく聞こえる」

「ヤダー、アキラちゃんったらエッチ!」

ミスタがわざと身体をくねらせてアキラの腕を突く。アキラは思わず笑ってしまった。

「ほら、な?そうやってブチャラティのことも笑顔にしてやれよ」

「Ah,capito解った.」

はい、はいと頷くとミスタは満足したように残っていたパニーニをエスプレッソで流し込むとチャオチャオ!と去っていく。
時計を確認してアキラもそのまま職場へと戻り、話題に出た無謀なチャレンジの事はすっかり忘れていた。
その日アキラが帰宅すると、既にブチャラティは帰宅していて、ソファに座って書類を読んでいる。

「あれ、早いね?」

「ああ。持ち帰ってもいい仕事だったからな。週末休みだし、たまにはいいだろ」

「そうね。ご飯は?食べた?」

「いや、まだだ。アキラが帰ってきてからにしようと思って待ってた。と言っても何も用意してないんだが」

Va bene(大丈夫).いいよ、私が作るから仕事してて」

「Grazie.あ、コメだけは炊いたぞ」

「Grazie,amo!」

ソファに座ったままのブチャラティにチュッ、と短くバーチをしてアキラはキッチンに入った。
炊飯器はしっかり保温のオレンジのランプが点いている。漢字で書かれたスイッチでも既にブチャラティは使いこなせるようになっていた。
殆ど漢字が解らないブチャラティだが、アキラの名前と“予約”、“炊飯”、“保温”は解るのだ。
冷蔵庫の中から作り置きの常備菜をいくつか出して魚を焼く。

「スープはどうする?」

「ミソがいいな」

「はーい」

豆が苦手なブチャラティだが、味噌汁は気に入っているようで日本の米を食べる時には必ず味噌汁を希望する。アキラは実はまだブチャラティに味噌が大豆から出来ていることを教えていない。日本の食材から大豆を引いてしまえば、醤油も味噌も豆腐も油揚げもなくなってしまう。
アレルギーではないようだし、美味しいと食べているなら言わない方が良いとアキラの判断である。
日本から送ってもらった味噌でキャベツと玉ねぎの味噌汁を作り、テーブルに並べれば夕飯の出来上がりだ。

「出来たよ」

「Sì.今日も美味そうだな」

Buon appetito(召し上がれ).」

「Grazie.」

アキラが召し上がれと言うまで手を付けないブチャラティと、ブチャラティがありがとうと言ってからいただきますと手を合わせるアキラはちぐはぐながらも二人が文化の違いを互いに認め心地良く食事を囲めるように歩み寄った結果である。

「今日はどうだった?」

「いつも通りだよ。一日中パソコンの前」

「事務仕事って疲れるよな」

「うん。……あ、」

「何だ?」

「いや、何でもない」

「ん?」

「ミスタが言ってた変な冗談を思い出しただけ」

「……ミスタ?」

「あ、たまたま逢ってランチしたの」

「ああ」

「……何?」

「うん?」

「今怒った風に見えたから」

「あー……悪い。ちょっと妬いた」

「ミスタだよ?」

「オレはアキラとランチを一緒に食べられなかったのにって思っただけだ。疲れてるな、オレ」

ふぅ、と溜息をついた後に眉を下げて笑うブチャラティの顔には確かに疲労が滲んでいる。

「……私が原因?」

「どうした急に」

「ミスタが言ってたの。ブチャラティの元気がないのは大体私が原因なんだって」

「アイツ……余計な事を……」

「私、またブチャラティを不安にさせるような事何かしてしまった?」

「いいや。そんな事はないさ。最近忙しくて二人で過ごす時間がなかっただろ?アキラのせいじゃあないさ。寧ろオレの方こそ放ったらかしにしてて、アキラが寂しくないか心配だった」

「……私なら平気だよ」

「アキラは溜め込むからな。前にも言ったけど出来る限りオレはアキラを甘やかしたいんだ」

食卓を挟んでにっこりと笑うブチャラティにアキラはふいっと目を逸らす。
日本人で長女。それだけでアキラがどれだけ甘え下手なのか分かる筈だ。ブチャラティからしてみても日本人は控えめで本心を中々外へ出さないと認識しているし、日本人にしては物事をバッサリと言えるアキラの事も自分の事となるとやはり口を重たくするので、男としての不甲斐なさを感じる事も多いようだ。
それでも少しずつ二人のやり方で心地よい距離を保って来たが、どちらかが忙しくなるとそのペースは乱れてしまう。
元々仕事に忙殺される国柄で生まれたアキラからしてみれば、そこまで寂しさは感じない。日本でもアキラのそういうドライな所が原因で恋人と別れたりもしたが、アキラからして見れば恋人という存在の優先順位が低いのだ。プライベートな時間が大事でひとりで自由に過ごすのが好きなアキラにとって、久々の休日を毎回恋人と過ごすのはストレスを感じてしまう。
ブチャラティと付き合い同棲までしていてもアキラが心地良くこの生活を続けてこれているのは、ブチャラティの仕事が忙しく数日間帰ってこないことも多いからだ。
勿論彼の身の安全を心配もするがブチャラティに限ってヘマをする事は少ないし、帰ってくれば逢わなかった分だけの愛の言葉を贈られる。
居心地悪そうに座り直すアキラが照れているだけだと解っているブチャラティは少しだけ満足して食事を続けた。
食事を終えてブチャラティが持ち帰ってきた書類を読む為に書斎へと籠もったのでアキラはシャワーを浴びようとバスルームへ入る。
イタリアの家では珍しくバスタブにお湯を張っている間、ネイキッドチャレンジとブチャラティの言葉を思い出していた。
洗面台の椅子に座りながら、携帯でミスタから教えられた動画を見てみる。
バスタオル一枚でシャワールームを出て、見せる相手のいる場所の直前でタオルや服を脱いで登場すると言うのが一連の基本的な流れらしい。殆どが女性から男性へ行われているもので相手の男性たちの反応の多くは喜んでいる。
ブチャラティはどうだろうか。こういう事をするとは思ってもいないだろうからとても驚いてそれで終わりそうだな、とアキラがぼんやりと思っているといつの間にかお湯は溜まっていた。
熱い湯に浸かりながら今度はブチャラティの事を考える。
あんな風に言っていたけれど、本当はブチャラティが寂しかったのではないか。彼もまた甘えたくてもそれが叶わない人生だったのはアキラも知っている。
あそこでアキラが寂しかったと言えばブチャラティも自分の想いを吐露できたのかもしれない。アキラが強がってしまったばかりにブチャラティは甘える機会を逃してしまったのかもしれなかった。
アキラはそこまで考えると自己嫌悪の念がじわじわと出てきて、バスタブの縁に頭を乗せて溜息をつく。
やはりミスタの言っていた事は的を得ていたのかもしれない。教えられたネイキッドチャレンジも彼なりの助言だったのだろう。ブチャラティが少しでも元気になるならやってみてもいいのかもしれないと考えながらバスルームを出る。
流行っているならばそれをして失敗しても理由はたつ。
動画では解らなかったが、本当に素っ裸なのだろうか。せめて下の下着だけはつけたいとショーツのみを身につけてバスタオルを巻いた。
廊下を歩いて書斎の前で耳を澄ませると声はしない。ブチャラティが誰かと電話している様子はなかった。
アキラはヨシッと心の中で腹を括り、ふぅと溜息をついて巻きつけたバスタオルを床に落とす。
カチャリと音を立ててドアを開けると、机に向かうブチャラティの背中が見えた。ニ三歩近づいてみると、書類を読むのに集中しているようだった。

「Ehi,amo.」

アキラの呼び掛けにブチャラティが返事をしながら回転椅子ごと振り返る。
そしてアキラの姿を見て絶句し、手で顔を覆い、フフッと笑った。
ブチャラティが笑ってくれた事でアキラも少しは安心する。失敗はしていないようだ。
目元を覆っていた手で口元を隠しながらブチャラティはマジマジとアキラを見て青い目を細める。

「今日、オレの誕生日だったか?」

「……フフフ、違う」

ブチャラティの言葉に思わず笑ってしまう。首を横に振るアキラの身体をブチャラティが抱き上げる。

「わぁッ!」

「誕生日じゃなくてもプレゼントはもらっても良いんだろ?」

「……Sì.」

ブチャラティはアキラの返事ににっこりと笑ってキスをした。

「少しは元気出た?」

「気になるなら確認してくれ」

「え、あ、キャア!」

二人分の重さでベッドがキシリと音を立てた。




翌朝アキラはブチャラティにぎゅっと抱きしめられている腕の中で目を醒ました。
昨夜そのまま寝てしまった為、二人とも何も身につけていない。剥き出しの肩が冷えていて布団を引き上げていると、携帯の通知ランプが点滅している。
ブチャラティを起こさないようにそっと腕を伸ばして携帯を見れば、ミスタからのメールが届いていた。
中を読むと『ネイキッドチャレンジどうだった?』と書かれている。
アキラは溜息をついてそのメールをスルーすると、二度寝の心地良さに瞼を閉じた。



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