「味噌ラーメンに生姜餃子とライス」

賑やかな店内の一角。
イルーゾォがメニューを広げて店員の方など見向きもせずに注文をする。
私はそれをじっと見て、自分がいつ喋ってもいいように機会を窺っていた。気難しい彼の間に入るのは、良くないと私は既に嫌というほど学んでいる。テーブルの横でオーダーを取る店員の方が私よりイルーゾォとの会話の間に合わせられるが、それは別にこの店員に限った事ではない。

「中ライスで?」

「大で。……お前は」

「醤油ラーメンとポテトください」

やっと私が話してもいいと許可が出されたが、発した声は何故か緊張して喉にぴたりとくっついて微かに漏れただけだった。
わざとらしく咳払いをする。店員に聞き返されなかったから、声は言葉として届いているのだろう。
イルーゾォも片眉だけを器用にピンと跳ね上げたのみで(それが恐ろしく不遜で美しい笑顔に見えるのだと自他共に認識している)、追加の品を伝えるとメニューを閉じた。

「あ、あと油淋鶏」

「かしこまりました」

「……油淋鶏、ジャストサイズじゃないと食べきれない」

店員がテーブルから離れるのを待って、私がそう言うとイルーゾォは眉をひそめる。何なら軽く舌打ちすら出た。

「あ?お前の分じゃあねぇよ。オレが食うんだよ」

「あ、ごめん」

これは失敗した。油淋鶏は私の好物だから、頼んでくれたのだと思ってしまったが、よくよく考えればイルーゾォが私の為に何かする事はごく稀だ。その貴重な一回を油淋鶏のオーダーごときで使いたくはない。結果オーライだ。

「まぁひとくちやるよ。お前、好きだもんな」

「ありがとう。優しい」

「誕生日だろ。それにこんなの、優しいとか言わねぇだろフツー」

「それでも、私は嬉しいから」

「ふぅん。あっそ。あービール頼めば良かった」

イルーゾォの言うとおり、今日は私の誕生日だ。だから外食しに近くの王将に来ている。去年はココイチだった。どちらもイルーゾォの好みで、私は彼がお腹いっぱい好きなものを食べられればそれで良かった。
そんな気持ちを少しだけ露わにして言葉にしてみても、彼は興味なさげに話題を変える。私の想いなど、イルーゾォにしてみればポスティングされる宗教のチラシのようなものだ。

「頼もうか?」

「や、帰りにセブンで買うからいい。ナナコ持ってるだろ」

「持ってるけど、残高不足になるかもしれない」

「なんで毎回千円ずつしかチャージしないんだよ、めんどくせぇ」

「おまたせいたしました。生姜餃子とライス、油淋鶏です」

店員がオーダーした品を持ってくるタイミングは何なのだろう。続けるには不毛すぎる会話なので、再開させようとはせずにそのまま終わらせる。

「餃子食う?」

「大丈夫」

「どっち?」

「要らない。ありがとう」

「醤油とラー油取って」

「おまたせいたしました、味噌ラーメンと醤油ラーメンです」

「ポテトは只今揚げたてをお持ちしますのでもう少々お待ち下さい」

「はい。……醤油とラー油。……酢は?」

「生姜餃子に酢合わねぇだろ」

「それもそうか」

見下すような目線に、へらりと笑って酢の小瓶をトレイに戻す。

「おまたせいたしました、山盛りポテトです。ご注文は以上でお揃いですか?」

「あ、はい」

「どうぜポテト残すだろ。先にくれ」

「あ、うん。どれくらい食べる?」

「お前がどれくらい食うんだよ。自分が食う分を先に取れば良いだろ」

「それじゃあ、これくらいかな」

差し出されたこの取り皿はイルーゾォじゃなく、私が使うものだったのかとようやく理解する。

「油淋鶏も先に取れ。オレに残飯食わせんじゃあねェぞ」

「うん。頑張って食べる」

イルーゾォの言い方はともかく、彼にそんな事をさせるつもりは端からない。

「ポテト頼まなきゃ良いじゃん。どこの店でも同じだろこんなん」

「でもポテトあったら食べたいもん」

「わがままな女」

そう言ってイルーゾォはさっさと割り箸を割り、味噌ラーメンを啜った。熱々の湯気を前にその熱さをもろともしない。
私はと言うと、同じように白い湯気の立つラーメンにまだ箸をつけられないでいる。猫舌にこの湯気は危険だ。おとなしくポテトを摘んだ。こちらも揚げたてだと言うことを忘れていて、舌先を軽く火傷する。ピリピリとした舌先に上顎の皮膚がとろけてくる感覚に味覚が奪われていく。
メラミンコップに入った氷水を飲んでも、べろりと落ちた口内の皮膚は戻ることはなかった。
私がやっとラーメンを啜り始めた頃に、イルーゾォはほぼラーメンを食べきって餃子でライスを食べている。
イルーゾォは食べ始めると一切口をきかずに黙々と食べる。
彫刻のような骨ばった頬に長い睫毛の影が落ちるのを見つめるのは、彼が食事をしている時にのみ許される。
何とか頼んだものを胃に収め、イルーゾォに残飯処理をさせずに済んだ。

「鍵、よこせ」

イルーゾォがひらひらと手を振る。去年は奢ってくれたが、今年はそうではないらしい。私にとってそんな事は些細な事だ。彼に車のキーを渡すと、無言で店を出ていく。私は二人分の会計を済ませた。
駐車場に行けば、私の車の運転席にイルーゾォが座っている。

「え、」

「狭ェ。オイ、これどこでシート調節するんだよ」

「あ、えっと、座席下のレバー引いてみて」

「……あ、あー。これか。……んだよ、最大に下げてこれかよ。狭ェ」

軽自動車の運転席だ。イルーゾォの体躯が収まる筈もない。ブレーキを踏む右足とは逆の左足を曲げているが、膝がハンドルに触っている。脚が長いと大変だ。

「イルーゾォの脚が長すぎるんだよ」

「そりゃあまぁ日本人よりかは長ェだろ」

「運転してくれるの?」

「お前の運転、ダリィんだよ」

「ありがとう」

「今のどこも褒めてねェぞ」

「イルーゾォの運転で助手席に座れるの嬉しい」

私は運転が嫌いだ。来る時もダラダラと走った自覚はある。代わりにイルーゾォが運転してくれて、その上それを助手席で見られるのは貴重だ。

「やっぱり油淋鶏で使わなくて良かった」

「あ?油淋鶏が何だって?」

「何でもないよ。独り言」

「デケェ独り言だな。なァ、コンビニで酒買うけど何かいるか?アイスとかケーキとか」

「いいの?」

「良いんじゃあねェの?誕生日くらい好きなもん食えば」

「やっぱりイルーゾォは優しいね」

「そんな事、言うのお前くらいだぜ」

変な女、と鼻で笑うイルーゾォの上機嫌な横顔が窓ガラスに映る。
遠くにコンビニの看板の明かりが見えていた。



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