■ 03.幽霊と私


「いいかげん、現実を認めなよ」

 イスの背もたれに腰掛けるようにして立つ、半透明のその人は、何の悪びれもなく私に話しかけてきた。今は荷解きの真っ只中、なるべくその幽霊のことは考えないようにする。ダンボールの中から次々と出てくる生活のかけらをどこに配置しようか、このお気に入りのカップにどんな紅茶を淹れようか、そんな幸せなことだけを考えている間は、まだ私の部屋に住み憑いた「そいつ」のことを忘れられる。……気がするのだ。

 しかし、その思考を分かっていてか、否か、それは私に話しかけてくる。

 彼の名前は、「トム・マールヴォロ・リドル」そこいらのアイドルよりハンサムで、頭も良いらしい。どうしてこんな幽霊がここにいるのかというと、さっそく町でナンパしてきたわけでも、例のアパート内の週末パーティーで仲良くなったわけでもない。もちろん、半透明の人型をした物体がそこらじゅうをうろうろしているような街ではないのだけれど。

 彼はこの前もらった(無理やり渡されたようなものだが)日記についていたおばけだ。彼が言うには、記憶らしいが、彼が幽霊だろうが、記憶だろうが、そんなことは関係ない。いつでも平和に暮らしたい私からしてみれば、こんなにも平和を乱すような原因は、とっとと排除してしまいたいと思う。

「君は、ここへ越してきたばかりなのかい?ずいぶんと箱詰めされた荷物が多いようだけど……」

 きょろきょろと辺りを見回しながらそんなことを聞く。返事をしようかどうか一瞬迷ったが、私は、心ある人間だ。いつまでも誰かの話を無視し続けるのは心が痛む。

「そうです。つい先日、日本からこっちに引っ越してきたんです。女の子の部屋をじろじろ見るなんて、失礼ですよ」

 と、行動をたしなめると、少し肩をすくめてそれきり何も言わなくなった。しばらく私たちの間に沈黙が続いたのだが、あまりの居心地の悪い静けさに耐えられなくなり、私は思わず口を開いた。

「はやく、出て行ってください。私の部屋に幽霊が憑くなんて、考えたくもありません」
「だから幽霊じゃないって」
「どちらでも同じです」

 む、と顔をしかめる彼を横目に、私はさらに言葉を続けた。

「あなたには悪いですけど、この日記帳は、もとの持ち主にお返しします。もともと、ふらっと立ち寄った本屋で押し付けられたような日記帳なんですから。また、あの店主に押し付け返せばいいんです」

 ダンボールの山から離れ、外出する準備をはじめた。鏡を見ながら自分の髪をチェックする。

ふと、鏡越しに奴を見ようとした、が、映っていない。角度的には映らないとおかしい、透き通る彼はどうやら鏡には映らないようだ。

 そして、もはやそのことにも驚かない。慣れとは恐ろしいもので、この幽霊のことに関してびっくりしない自分がいる。こんな環境に慣れてしまうなんて。 


「……それじゃ、行きますよ」
 
 わたしは日記帳をかばんの中につっこみ、部屋を出た。




 今日もカラっといい天気。レンガの歩道を歩けば、建物のすきまから太陽の光がこぼれてくる。絶好の散歩日和だ、この幽霊さえ居なければ。しかし、短い間ではあったものの、この幽霊とももうおさらば。あと少しの我慢だ。

 その今日でさよならする幽霊、ただでさえ快く思っていない存在なのに、外に出てみれば彼に対する不満感はいっそう高まった。どうしてか彼はとても不機嫌なのだ。しかもそれを隠すことなく、堂々としている。

「ちょっと、あからさまに不機嫌そうなの、止めてもらえませんか」
「……、こんな大量のマグルの間を歩くなんて、正気の沙汰じゃないよ。まったく。寒気がするね」

 まぐる?はて、聞いたこともないような単語が、彼の口から飛び出した。

「まぐる、ですか」
「そう、マグル。非魔法族のこと」

 まるで興味がないような、そんな冷たい声だった。

「本当に、汚らわしい存在だ。同じ空気を吸っているだなんて考えたくもない」
「……今は、そのまぐる≠フ私に拾われてるじゃないですか」

 私のその言葉を最後に、彼はそれっきり黙ってしまった。一度、睨むかのように私に視線をよこしたが、それも気づかないふりをした。余計な口論を続けるのは無駄だ、と思ったからだ。



「あっれ、確か、ここにあったはずなんだけど……」

 隣に雑貨屋、反対側にはレストラン。その間に、例の本屋が建っていた。しかし、今、私の目の前にそのようなものは無く、それぞれの店員は何の変哲も無いかのように仕事をしていた。

「……あの、建物がいきなり消えたりって、すると思いますか?」
 ここに、あの本屋があった、あの時は。そうそう忘れるはずが無い。数時間前には、ここにあったのだから。家からもそう遠くないお店。家からの道も、帰ってきた道も、しっかりと覚えている。

「本当に、ここにあったの?」
「はい、ちゃんと覚えてます。ここですよ」

 半透明の彼は、少しうつむいて考えるような仕草を見せた。右手をそっと彼の口元へもっていく。たったそれだけのことだったが、とても絵になるものだった。悔しいことに彼の顔はとってもよく出来ていて、普通に生きていたならかなりのファンが居たことだろう。
 それから、ぽつりとつぶやく様に

「ありえないことはないかもね。もともとこの日記が置いてあったような店なら、魔法界の建物で間違いないだろうし。ロンドンのど真ん中に建てるなんて珍しいけど。でも、まあ、一軒丸ごと現したり、消したりするんだから、かなり出来る人だったんだろうね、その店主は」

「え、じゃあ、もうあのお店は無いって事っ!?」

「そうなるだろうね」

 何か問題でも?とでも言うような表情でこちらをみてくる。問題しかない。

「そんな、困ります!私、あなたを家に置いておくような余裕ありませんし、女の子だし。それに、私はあなたの嫌ってるまぐる≠ナすよ?」

「それなら、問題ないよ。僕は何か物を食べられるような体じゃないから、お金はかからない。あと、君には魔力がある。魔法の教育を受けていない方がおかしい、珍しいんだ。仲良くしようよ」

 私が、女の子なのは無視ですか。
  にっこり、と笑う彼はやっぱり綺麗で、どこか断れない。幽霊でも、もとは人間だったんだとか余計な事を考えてしまうと、もっと断れなくなってしまう。

「まあ、何か問題があるとしたら」

ひと呼吸置いて、彼がふっと周りを見回した。

「他の人には僕が見えないからね。周りの人は君がひとりで喋ってたように見えたんじゃないかな?」

 ほら、あの店員見てみなよ、と彼の指差す先には、それはそれは何か可哀相なものでもみるかのように怪訝な顔をしたレストランのウエイトレスが立っていた。
 失礼な、と真っ先に思ったのだが、確かに一人でおしゃべりしてる人が道のど真ん中にいたら、私もちょっと距離を取ってしまう。

「……、帰りますよ」
 今度は、小声でなるべく他人には聞こえないように。



 こうして、幽霊と私の奇妙な共同生活が始まったのだ。(なんてフレーズ、人生で使うときが来るとは思ってなかった、ほんと)

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